夕べも愚痴る張飛となだめる関羽を見てしまつた。
ここのところ、「人形劇三国志」のDVDを二巻買つた。
最初に最終巻である17巻、次に5巻を求めた。
いきなり最終巻から買つたのは、こちらに書いたが、先月渋谷ヒカリエで「人形劇三国志」の上映会があつたとき、最終日の「出師の表」は見に行かなかつたから、といふのがある。
「赤壁の戦い」と「関羽の死」を連日見に行つて、この上「出師の表」も見に行くのであれば「DVDを買へつてな話だらう」とこの時も書いてゐる。
そんなわけで、DVDを買ふことにして、何巻から、と考へたときに、なんとなく最終巻からにしてしまつたんだね。
それで、遡ることなく、「んー、ぢやあ次は官渡の戦ひあたりにするかなあ」と、これまたなんとなく考へた。
この選択にあまり意味はない。
最終巻だと、すでに玄徳、関羽、張飛の三兄弟は亡く、当然曹操も死んでゐるわけで、チトさみしかつた、といふのもある。
それにしても17巻は最初からツッコミどころ満載でなあ。
だいたいいきなりサブタイトルが「孔明の愛の鞭」ときてゐる。
なんだよ、それ。
と、これは、確か本放送時にも思つた。
見た後、「どこが愛の鞭だつたの?」と思つたのも多分当時と同じ。
一番のツッコミどころは孫夫人(人形劇では貞姫)の遺体を呉から蜀まで運ぶくだりだ。
腐るから!
塩漬けにでもしないとムリだから!
でも貞姫はきれいな姿のまま、成都にたどりつくのである。
ま、いつか。
次の「出師の表」は、若干突っ込みどころが減る。
サブタイトルに「出師の表」とうたひながら、内容は南蛮遠征で、孟獲が意外にいい男だつたりして(失礼)、「あのころ何を見てゐたのか」と思つたりもした。
この回から孔明の衣装が黒から白に変はる。
前回まで出てゐた馬良がいつのまにかゐなくなり、前回名前だけは出てきてゐた馬超もなにごともなかつたかのやうにfade outしてゐる。
さみしいのう。
そんなさみしさ満載の中、孔明が「出師の表」を読み上げつつこの回は終る。
覚えたつもりもない「出師の表」を案外覚えてゐることに驚きつつ、自分が覚えてゐるのはなぜか漢文読み下し調な感じで、読み上げとあはないのが不思議。人形劇に出て来ない人物の名前は当然読み上げられない。まあ、あたりまへか。
その次の「泣いて馬謖を斬る」はその前の二回とうつてかはつて出来がいい。
特に、馬謖から見た時に「なんであんなバカなことをしてしまつたのか」といふのが手に取るやうによくわかる。
残念ながら、本放送当時はそこまでわからなかつたなあ。
馬謖は、この回冒頭から、かなり不満げだ。
丞相には「自分について兵法を学べ」とか云はれてるけど、魏延とかにバカにされるのが我慢ならなくて、戦場に出て己が「できる男」であるところを披露したくて仕方がない。
しかも、肝心の丞相も寝返つてきた姜維とかいふ若いのに目をかけるやうになつてるし。
つまんねーや。
さう思つちやふよねー。
と、今回改めて思つた。
最後は、馬謖を斬れと命じた孔明が、ひとり肚裡で馬謖に謝る場面で終る。
自分の命もさう長いことはない。さうしたら、「あの世でまた会はうぞ」と云ふ、その聲がはかなげで、なあ……
髭のおつさんやのに。
最終回は涙涙になるはずが、またツッコミどころ満載に戻る。
まあ、さういふもんだよね。
大抵、最終回ひとつ前がいい出来といふことに世の中なつてるし。
さつきまで戦場にゐたはずの仲達が洛陽にゐたり、同じく姜維が成都にゐたりするのは、ツッコんぢやいけないところなんだよね、多分。
ああ、こんなことを書くつもりではなかつたのに。
思はず、各回の感想(ツッコミ?)になつてしまつたではないか。
五巻は、関羽「決死の千里行」にはじまり、なぜか武松を真似た(?)「張飛の虎退治」といふいれごとがあつて、「官渡の戦い」をへて「わざわいを呼ぶ馬」で玄徳が檀渓を跳ぶところまで。
ああ、一々いろいろあるが、愚痴つたり泣きわめいたりする張飛をなだめるアニキな関羽といふのが、おもしろくて仕方がない。
普段、謹厳実直を絵に描いたやうなおかたい関羽が、張飛相手にゆかいなアニキぶりを見せるのがいいんだなあ。張飛もかはいいしなあ。
ところで、官渡の戦ひには許攸が出てくる。
許攸を見ると自動的に李儒を見たくなるのが人情なので、次に買ふのは一巻かな、と思ふてゐたが。
考へてみたら、龐統がその死の前に奇妙なことを口走るのを確認したい、といふ気もする。
本放送当時、びつくり仰天したんだよねー、そのセリフに。
ああ、どうしたら。
でもまあ、とりあへず次に買ふのは早くても月末だらう。
それまでははかなげな髭のおつさんの孔明とか、かはいい張飛と頼れる関羽を見て過ごすことであらう。
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