雨よけ
出勤するのが憂鬱。とくに雨の日は。
晴れてゐればお気に入りのかばんで出かけることで、なんとなく気分も上向くといふのに、雨ときては。
といふわけで、降るか降らぬかといふ天気の日には、撥水性の風呂敷を持参してゐる。これでかばんをすつぽり包むといふ寸法。
写真のコンフェティだとまるごと包むことができる。持つてないけど、タンク・トートくらゐまでならいけるんぢやないかな。
といふわけで、心憂く金曜日をなんとなやり過ごすつもり。
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出勤するのが憂鬱。とくに雨の日は。
晴れてゐればお気に入りのかばんで出かけることで、なんとなく気分も上向くといふのに、雨ときては。
といふわけで、降るか降らぬかといふ天気の日には、撥水性の風呂敷を持参してゐる。これでかばんをすつぽり包むといふ寸法。
写真のコンフェティだとまるごと包むことができる。持つてないけど、タンク・トートくらゐまでならいけるんぢやないかな。
といふわけで、心憂く金曜日をなんとなやり過ごすつもり。
早起きをはじめて十日。
じわじわと欲求不満がたまりつつある。
睡眠不足だから?
それは早起きをはじめる前からさうだから、あまり関係ない。
むしろ、意識して早寝するやうにしてゐるので、睡眠に関しては不足はともかく、よくなつてゐるはずだ。
問題は、なんだか追ひたてられるやうな感じがするから、なんだと思ふ。
朝には、「出勤しなければ」といふ焦りがつきものだ。
時間は限られてゐる。
この時間内にあれもこれもしたい。
でもムリ。
そんなわけで、たいして編めてないし、焦るからどこか気がたつてゐる。
安らがない。
むろん、夜だつて、時間は限られてゐるのである。
だが、睡眠時間を削ればなんとかなる。
それでダラダラと起きてゐてしまふ。
それがいいこととは云はないが、だが、すくなくとも追ひたてられてゐるやうな感覚はない。
むー。
どつちがいいのかなあ。
多分、早起きする方がいいのだらう。
やることを決めて、かぎりある時間を有効に使ふ。
さうした方がいいんだらうな。
わかつてゐる。
わかつてはゐるが、かうしてキーボードにむかつてゐても、落ち着かないし、「時間がない」といふ焦りにとらはれてゐる。
編みたいなあ。タティングレースもほとんど進んでゐない。
なんとかしたいなあ。
土曜の夜から、エスエス製薬の出してゐるといふiPhoneアプリケーション、ぐっすり〜ニャを使つてゐる。
iTunes Storeで公開されてゐる情報から引くと、
加速度センサーで就寝中の動きをキャッチし、グラフ化して睡眠の状態をチェックできる機能があるといふ。
日曜の朝、確認してみてびつくりした。
浅い眠りがまるでないのである。
グラフのy軸は眠りの深さをあらはしてゐて、下から深い眠り・浅い眠り・めざめ、となつてゐる。x軸は経過時間だ。
サンプルのグラフで見ると、めざめから浅い眠りを経て深い眠りに入り、その後深い眠りとめざめのあひだを行つたりきたりするやうになつてゐる。
土曜日のグラフは、いきなり浅い眠りから深い眠りに入り、そのままずーつと深く眠つてゐるといふことになつてゐる。
そして、目の覚める直前にいきなり浮上するやうにグラフが右上がりになつてゐる。
をかしい。
ま、まあ、iPhoneのアプリケーションだし、そんなもんだよな。
さう思つて、日曜日は昼寝もしたのでまた用ゐてみた。
夜とかわはらない。
どうやら、やつがれの眠りには浅い眠りがないのらしい。
レム睡眠がない、といふことなのかもしれない。
日曜の夜は、昼寝をしたのでなかなか寝つけなかつた。そして、おそらく朝方かなしばりにあつた。
ぐっすり〜ニャは、それをちやんと記録してゐた。
浅い眠りがないのは、アプリケーションの不具合といふわけではないのかもしれない。
月曜の夜も浅い眠りはなし。
火曜の夜、やつとサンプルのグラフに見られるやうな波形があらはれ、深い眠りとめざめのあひだを行き来することもあつたやうだが、それも最初の一度きりで、あとは起きるまでずつと深かつた。
もしかすると、布団が動きを吸収してゐるのかもなあ、と思ふはないでもないのだが。
寝ても寝ても寝足りない。
起きるといつも疲れてゐる。
この症状は、寝てるときにずーつと深い眠りについてゐるからなのではあるまいか。
さういへば、以前読んだ睡眠の本では、睡眠不足が深刻なことになると、いきなり深い睡眠に入つたりして、浅い眠りがなくなる、なんてなことが書いてあつたやうな気がする。
やつがれの睡眠は、危機状態にあるといふことか。
まあ、とはいつても、iPhoneアプリケーションだ。
深刻にとらへず、余裕をもつて楽しむやうにしたい。
記録をとるのつて、おもしろいしね。
ものを捨てられない。
世に「断捨離」といふ。
ものを捨てると家の中がすつきりして、気持ちがいいですよ、などと云はれる。
なるほど、確かにものを捨てるともともとものがあつた場所があく。
すつきりするといつていい。
作業もしやすくなるし、動線にも融通がきくやうになる。
だが、なんだらう。
この空虚な感覚は。
とりかへしのつかないことをしてしまつた。
この後悔にも似た念は。
最近、行動経済学の本を読むやうになつて、「保有効果」といふことばを知つた。
人は、一度手に入れたものを手放すのを惜しむ、といふ。
たとへば、ためしに新製品を一週間レンタルで、などといつて客に渡すと、客は手放すのが惜しくなつて最終的には購入する、とか、我ながら強引なたとへだが、まあ、そんなことらしい。
どうやらこの「保有効果」といふのに弱い。
それはもう、ものごころつくころ、幼稚園にあがるころから弱い。
幼稚園にあがるまでに二度引越しを経験してゐる。
一番最初に住んでゐた家で撮つた写真を見ると、そこにおさない自分がうつつてゐる。
部屋のやうすは記憶にある。
だが、自分の姿と、自分の隣にゐるぬひぐるみの記憶がない。
まだ一才くらゐだらうか、そんな自分より大きなぬひぐるみが一緒にゐて、おそらくは気に入つてもゐたらう。
でも、そんなぬひぐるみとともに過ごした記憶がない。
この「かつて一緒にゐたものが今はゐない」と感じるときの悲しさを、どう表現したものだらうか。
狭い家のことである。もらひものだつたのを、おそらく母が捨ててしまつたのだらう。
それはわかるし、もし今あつたとしても、かはいがつてゐたかどうかはアヤシい。
でも、この写真を見てゐられない。
あまりにもさみしすぎる。
と、幼稚園のころのやつがれは思つてゐた。
ゆゑに、過去の自分の写真をあまり見ることはなかつた。
今でもさうである。
こどものころからかうなのに、今どうして「断捨離」などできやうか。
などと云ひつつ、背に腹は代へられない。
仕方なく、日々断腸の思ひで愛着のあるものとの別れに接してゐる。
つらい。
このつらさを軽減する方法のないものか。
手帳をSmythsonのPanamaに変へて早十日。Moleskineを使つてゐたときより、使用するペンの幅が広がつてゐる。これが単純に楽しい。
今年の一月から三月にかけても、Smythsonを使つてゐた。
Moleskineに戻したのは、普段愛用してゐる中屋万年筆の細軟に合ふからだ。Moleskineのやはらかい風合ひと、同じくやはらかいペン先がしつくり来るのらしい。
でもなー、やつぱりペンを選ぶんだよなあ、Moleskineは。
それで、筆箱の奥にひつそりと眠るペンが増えてしまふ。
そんなわけで、SmythsonのPanamaにしてみた、といふわけ。
基本的に字しか書かない。
貼り込む用には別にTravelers Noteのクラフト紙リフィルを使つてゐるし、マスキングテープは使つてみたいんだけど、なかなかうまく使へてゐない。
びつしりみつしり字ばかり書き込んで、唯一のアクセントといふと、字の太さと色の違ひくらゐ。
さうすると、よりペンを選ばないSmythsonの方が楽しい。
さういふことになる。
とはいへ、Moleskineも捨てがたい。
こんなことは、Smythsonではちよつとやる気がしないからだ。
といふわけで、またぞろMoleskineに戻る可能性はかなり高い。
先週の月曜日から早起き励行中で、あひかはらずつづけてゐる。
別に早起きしなければいけない理由はない。
でも、このままではダメだと思つたのだ。
なにか変へなければ。
特につづけねばならない理由もない。
いつまでつづくかつづけられるかもわからない。
今は半分意地になつてつづけてゐる。
二週めに入つてこまつたことには、ついぼんやりしてしまつて、手がおろそかになりがちになるということだ。
すなはちあみものとかタティングレースとか紡ぎとかが十分にできない。
まだ寝呆けてゐるせゐか、はつと氣がつくと時間がたつてゐる。
意味ないぢやん。
その一方で、朝食をすこしのんびり取れるやうになつた。
早起きをする前は、明和電機の「エーデルワイス」ぢやなけねども、いつも同じシリアルをかつこむばかりだつた。
時間がなかつたからである。
でも今は早起き前と同じ時間に朝食の支度をはじめても、すでに目覚めてから時間がたつてゐるので、しやきしやき動けるし、おなかも空いてゐるからおいしく食べられる。
このまま夜九時台に帰宅できる生活をつづけられれば、早寝早起きもつづけられると思ふんだがねえ。
ま、つづけられなかつたら、そのときはそのときだ。
タティングシャトルに糸を巻いてゐる。
ほんとは何かの片手間にやりたい作業なのだが、明日は朝もはよからいろいろやらねばならぬことがてんこ盛りで、な。
このまへ入手したトネリコのGR-8シャトルに糸を巻いてみた。
今すぐにでも使つてみたいが眠すぎる。
明日の楽しみとしやう。
これを書き乍らブラームスの交響曲第四番を聴いてゐるのだが、これも最後まで聞きとほす自信がない。
家でのんびり好きな曲を聴く暇もないなんて、どういふ生き方をしてゐるんだか。
しかし最後まで聴いたら後悔するのは目に見えてゐる。
これもまた明日の楽しみにとつておくことにしやうか。
駐日ドイツ大使のblogに、何語で話すかといふやうなことが書かれてゐる。
ドイツの商工会議所の人が英語で話すのは、同席する日本人のためなのだらうか。それとも、たまたま同席するのが日本人といふだけで、本来はさまざまな国の人が出席するものなのだらうか。だとしたら英語で話すといふのもわからないではないのだが。
もうすでに終つてゐることとは思ふけど、大使はドイツ語でなんの問題もないと思ふ。たとヘいろんな国からいろんな人が出席してゐたとしても。
ニクソンも「指導者とは」でさうすべきだ、と書いてゐる。
ときどき、自分の性格は自分の思つてゐるのとちがふのではないか、と思ふことがある。
昨日、土曜日に横浜高島屋の伊東屋で、パイロットの筆圧鑑定を受けた話を書いた。
筆圧鑑定を受けると、もれなく性格診断の結果もついてくる。
自分に向いてゐるペンは、筆圧・書く速度・字の大きさ・字の丸さ・クセの有無の五点の結果で決まる。
やつがれの場合は以下の通り。
筆圧は低い。
書く速度は速い。
字は小さめ。
丸い字。
クセは鑑定してくれた人はないんぢやないかと云つてゐたが、「ある」にしてみた。
クセの有無に関はらず、やつがれに向いたペン先はやはらかいもの、細軟、中細軟、中字軟であるのらしい。
そして、性格は「手八丁ピーコック型」、であつた。
「手八丁ピーコック型」といふのがどういふ性格かといふと。
・社交的で行動的
・話し上手
・器用
それ、たれのこと?
と、いひたくなるやうな結果である。
もちろん、「自分本位」であるとか「気どりや」とか、うなづける点もあるのだが、「社交的で行動的」……。
いや、それはやつがれのことではない。
だが。
ふと思つたのだが、もしかしたら自分は本来社交的なのではあるまいか。
十年以上前だらうか、どうぶつ占ひといふのが流行したことがある。
どうぶつ占ひでは、チーターだつた。
「超プラス志向」。
「ポジティヴ」。
そんな結果が並んでゐた。
占ひだし、あたらないこともあるよな。なにしろ当たるも八卦当たらぬも八卦といふくらゐだし。
そのときはさう思つたのだが。
もしかしたら、内向的でひきこもりがち、後ろ向きでネガティヴ。
自分はさうだと思ひ込んでゐる、それこそが間違ひなのかも?
とはいふものの、やはり「社交的で行動的」な自分、「器用」な自分といふのは想像できないのであつた。
これが自分の限界といふことか。
たうとうやつてしまつた。
パイロットの蒔絵万年筆 変わり塗り 石目を買つてしまつた。
こちらで見て、ずつと気にはなつてゐた。
なにしろ十万円を超えるやうな萬年筆の書き味が、半分以下の価格で楽しめるといふのである。
去年の暮れには買はうと思つてゐた。
しかし、縁がなかつたのか、店頭に並んでゐるのは見るものの、なかなか踏み切れずにゐた。
それが、土曜日、行くつもりもなかつたがなんとなくぶらついてゐた横浜で、出会つてしまつた。
その日、横浜高島屋の伊東屋ではパイロットの筆圧鑑定が行はれてゐた。
この顛末についてはまた別に書くとして、そこで話すうちに、つい、「石目に興味があるんですよね」と云つてしまつた。
すると、売り場の方に誘はれて、そこで試し書きして、決まつてしまつた。
なんだらうね、この、書き心地。
細字と中字とあつて、まづ細字を試した。
月並みだが、電流が走るとはこのことだらうか。
書いた瞬間、びびびつときた。
筆圧鑑定では、細軟とか中字軟とか、やはらかいペン先がいいと云はれた。
石目には「軟」のつくペン先はない。
ないけど、このやはらかな感触はなんだらう。
まるで、書いてないみたやう? あつらへたやうな書き味だ。
中字も試してみた。
中字とはいふものの、細字好みの自分でも十分な細さがある。
こちらもすばらしかつた。
「中字もいいなあ」と思ひつつ、もう一度細字を試してみた。
これだ。
これしかない。
中字の書き味を考へると、細字でも多分今ここにあるこれが、まさに自分のためのペンだ。
ほかのペンはまた書き味も違ふだらう。
さう思つて、購入した。
最初は黒いインキを入れやうかと思つてゐた。
しかし、それには漆黒のやうな、まさに黒、といふ黒が必要な気がした。
残念ながら手持ちにはそんな黒インキはない。
いろいろ考へて、色彩雫の月夜を入れてみた。
いい感じぢやあなからうか。
早起き励行中、とは先日書いた。
早起きして何をしてゐるのか、といふと、主に、録音したラジオ語学講座を聞くことと、あみもの、といつたところか。
とくにあみものは夜帰宅後にはじめるとエンドレスになつてしまひがちだ。朝のかぎられた時間でなんとか編めるだけ編みたい。
まだ早起きをはじめたばかりだからかもしれないが、なかなか満足に編めずにゐる。眠たくてぼーつとして編みまちがへてしまつたり、はつと編みなほさうとしてほどきすぎてしまつたり。
また調子がよいときはよいときで、もつと編みたいのに時間が足りない、といふストレスがたまつたりする。
夜編んだからといつて、満足するまで編んでゐたらたいへんなことになつてしまふ。時間で区切るのなら強制的に切れる朝の方がいいのかなと思ひつつ、なかなか進まぬあみものにイラつかないといつたらウソになる今日このごろなのであつた。
また同じものを買ふてしまつた。
右が愛用の黒檀のGR-8 タティングシャトル、左がブラッドウッド、そして真ん中が今回購入したトネリコ。
黒檀とブラッドウッドは直接作成を依頼したもの。トネリコはDS9から買つた。
博多に行つたとき、黒檀のシャトルを持つて行つた。
行きの飛行機の中で、離陸前にねじ(ナット、か?)を落としてしまつた。
あせつた。
あせりはしたが、しかし落ちたときの音から、真下に落ちたこと、飛行機の絨毯だから、ころがつていくことはまづないだらうこと、このふたつを自分に云ひ聞かせて、着陸を待つた。
はたしてねじはほぼ落とした位置にあつた。
このとき思つた。
予備が必要だ。
あきらかにくるほしいほどに必要だ。
などと書きつつ、トネリコを頼んだのは博多に行く前夜だつたんだけどね。
まだ使つてないけれど、トネリコは黒檀やブラッドウッドにくらべて軽い。
いい感じだ。
現在、黒檀のシャトルでモチーフつなぎ中。
今使つてゐるMoleskineがもうすぐ最終ページを迎へやうとしてゐる。
次はSmythsonのPanamaにする予定。写真の緑の手帳がそれである。
今のMoleskineの前に使つてゐたのもSmythsonだつた。写真だと黒く見えるかもしれないが、Deep Navyとでも呼びたいやうな色の手帳だ。
この手帳を使つてゐたときは、萬年筆を選ばないし、薄いけどたくさん書けるし、云ふことないと思つてゐた。次もSmythsonにしやうと思つてもゐた。
氣がかはつた。
なんとなくMoleskineの佇まひがなつかしく思はれた。
軽いわりに堅牢な表紙、サイズ、そして、愛用の中屋万年筆の細軟で書いたときの書き心地。
Smythsonの手帳は萬年筆を選ばないと書いたが、それでもインキフローのちよつとしぶいやうな細字のペンだと、多少カリカリした書き味になる気がする。まあ、これは自分の勝手な感想だけど。
そんなわけでMoleskineを使つてきたが、ここでま一度Smythsonに戻らうと思ふ。
またMoleskineに戻ることもあらうがね。
昨日から早起きしてゐる。
といふわけで、日曜の夜は早めに布団に入つた。
昨日はよかつたんだけど、今朝は早くも挫折気味。海外旅行もしてゐないのに、時差ボケつて感じ。
実は去年の9月から12月の間、おなじやうに早起き励行してゐた。よくつづいたものと思ふが、なんのことはない、起きられない日も多かつたのだ。
おなじころから日々の行動記録をつけてゐる。
なんと10月から1月の間、一日の平均睡眠時間は六時間を越えてゐる。平日は四時間をきるやうな日もないではないが、休みの日に負債を返してゐる。
それが、2月以降は五時間をきつてゐる。
眠いはずだよなあ。
休日も眠れてないもんなあ。
こんな状態で早起きは危険な氣もする。
でも、何か変へなきや、と思ふんだよね。
ま、つづかなかつたら、つづかなかつたといふことで。
去年のいまごろはかぎ針編みモードだつた。
エミーグランデでパイナップル編みのショールとか編んだりしてゐた。
今年もあひかはらずかぎ針編みもしたいのだが、今編んでるのはこれ。
糸はリッチモアの友禅。絹に化繊混の、さらりとした肌触りの糸である。
これが、編みづらい。
なかなか進まない。
針との相性が悪いのかなあとも思ふが……。
そんなわけで、ほんとはいまごろの肌寒いときなんかに羽織るつもりだつたのに、まだ五分の一にも達してゐないといつた体たらくだ。
これを、完成させることができるのか否か。
はなはだ不安である。
生まれてはじめて羽田から飛行機に乗つて、生まれてはじめて本州から出て、生まれてはじめて九州の地にやつてきた。
博多座、見に来てよかつた。
RSS Readerを使つてゐて、あらためて自分が興味を持つてゐる分野がわかる。
なんか、今更そんなことをしてゐる。
自分が興味があるのは、経済と科学。科学といふと広いが、主に分子生物学系と脳医学系、および宇宙系、だらうか。
大抵の記事は英語で書かれてゐる。専門用語さへなければ平易な文章だつたりするので助かるが、しかし、読みたいものを全部読むには、もつと英文の読解力をあげないと、なんだよなあ。今のままでは読むのに時間がかかつて、読みたいものを全部は読めない。
まあ、それでもいいかなあ、と思はないでもないけどね。
ところで経済と科学には、数学も不可欠だつたりする。
むむむ。どうすれば。
ミーハーはイヤだ。
ファナティックなファンにはなりたくない。
こどものころから、一貫してさう思つて生きてきた。
どんなに好きなものでも、ダメなものはダメ。
むしろ、好きなものこそ、その欠点を知り、欠点は欠点と認めたい。
さういふ意識がずつとある。
まあ、「ヤな奴」だよな、さういふのつて。
普通、人はなにかを好きになると、無批判にその対象を受け入れる。欠点は見ない。欠点を指摘して、「そこがいいんぢやなーい」といふのならいいが、ないふりをする。
他人がさうするのは、まあ、いい。
でも自分自身がさうするのは許せない。
映画「ギャラクシークエスト」を見てゐて、そんなことを思ひ出した。
「ギャラクシークエスト」は、見るからに「スタートレック」、それも「宇宙大作戦」と呼ばれてゐたころのいはゆるTOS(The Original Series)を題材にした映画だ。
あらすじはこんな感じ。
かつて、「ギャラクシークエスト」といふTVドラマがあつた。宇宙船に乗つて活躍する乗組員たちのSFドラマだ。すでに放映は終了してゐるが、熱心なファンがコンヴェンションに押しかける。
コンヴェンションつてーのは、さうだなあ、巨大なファン活動、だらうか。東京ビッグサイトのやうなところを借り切つて、数多のファンたちが集まり、原作者とかTV俳優とかを呼んでサイン会とかやつたりどんちやん騒ぎを繰り広げるもの、と認識してゐる。ファンの多くはいはゆる「コスプレ」をしてゐるのも特徴かも。
この映画でも、ドラマ「ギャラクシークエスト」の主だつた俳優たちが集められるが、どうもその関係はぎくしやくしてゐる。特に、主役であるタガート艦長役のジェイソン・ネズミスへの嫉妬や嫌悪が渦まいてゐる。ジェイソンは、調子のいい男なんだよね。平気で遅刻してきたり、単独で仕事を請け負つたり。
ところが、宇宙のどこかにこの「ギャラクシークエスト」を歴史的資料だと思ひ、ドキュメンタリー番組だと信じる宇宙人がゐたからさあ大変。
その宇宙人たちに連れられて、ジェイソンたち「ギャラクシークエスト」の出演者たちはその宇宙人と敵対する宇宙人との交渉の席といふのは名ばかりの戦ひの場へと向かふことになるのだつた。
映画自体はとてもおもしろかつたし、よくできてゐる。
伏線もそれとなく張られてゐていい。
気になつたのは、上で説明したコンヴェンションに集まる人々のことだ。
彼らは、「ギャラクシークエスト」を愛してゐる。
俳優たちも、自分と同じやうに「ギャラクシークエスト」のことを愛してゐると信じてゐる。
だから自分のお気に入りの回のエピソードなんかを滔々と俳優相手に喋つてしまつたりする。
中には、「あれはほんとのことだ」と信じてゐる人もゐる。俳優とその演じた役との区別がつかないほどに。
さう、俳優たちを宇宙へと誘つた宇宙人のやうに、だ。
俳優たちは、当然そんなものにはうんざりしてゐる。
あれはフィクションだ。
作りごとだ。
うそつぱちなのだ。
なぜわからん。
その一方で、ほとんどの俳優は、コンヴェンションに参加することで生計を立ててゐる。
ひとつのドラマであたつてしまふと、そこでの役のイメージがしみついてしまつて、その後の仕事に恵まれないことがある。
それはある意味幸せなことなのかもしれないが、しかし、俳優としてはどうなんだらう、とも思ふ。
せつかく役者になつたのだから、いろんな役に挑戦してみたい。あらゆる役を演じてみたい。
さう思ふこともあるのではないか。
「ギャラクシークエスト」に出てくる俳優たちには、おそらくさうした屈託もあるものと思はれる。
いづれにしても、コンヴェンションに押しかけるファンには、といふか、この映画で描かれてゐるファンには、俳優に対する配慮なんてない。
いかに自分は「ギャラクシークエスト」を愛してゐるか、どれほど「ギャラクシークエスト」に詳しくて、ある登場人物に入れ込んでゐるか。
そんな話ばかりしてゐる。
コンヴェンションは、さういふファンのためにあるのかもしれない。
そして、やつがれもまた、一度はSFコンヴェンションに参加してみたいなあと思はないでもない。
でも、ミーハーになるのは御免だ。
fanaticにもなりたくない。
強くさう思つた。
とはいへ、この映画はさういふ「現実と空想の区別のつかない人々」、「TVドラマを信じる人々」の活躍する話だつたりはするわけだが。
そして、そんな映画を、かなり気に入つてゐたりするわけだが。
まあ、人間、これこれかうとかんたんに割り切れるものぢやないつてことか。
楽しく読んだ「文芸漫談 笑うブンガク入門」。
なにが楽しかつたつて……まあ、あちこちにいろいろ呟いてはゐるんだけど、ひとつは、奥泉光の同級生が「赤頭巾ちやん気をつけて」を読んで、「オレのことが書いてある!」とか云ひ出すところ。
本書にも書いてあるが、「赤頭巾ちやん気をつけて」は、高級官僚を父に持ち都心に済む日比谷高校生が主人公の物語である。東京大学にもたいして苦もなく入学できるやうな学力をそなへ、おうちにはお手伝ひさんがゐて、かはいい彼女もゐる。
奥泉光の同級生といふのは、埼玉県に住んでゐて、おうちは確か工場かなんかで、窓ガラスに絆創膏がはつてあるやうな、さういふおうちの子だといふ。
「オレのことが書いてある」?
いやいや、それはないだらう。
いとうせいこうも、さういふ読み方をしたことはないと云ふてゐる。
やつがれもまた、本を読んでゐて「これ、やつがれのことだ!」と思つたことはない。
つい最近、「桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活」を読んで、主人公クワコーこと桑潟光一のダメダメつぷりが自分のダメダメさ加減とoverlapして、ひどく落ち込んだことがあつたけれど、でもだからといつて、クワコー=やつがれ、とは思はなかつた。クワコー≒やつがれ、とさへ思ひはしなかつた。
さういふ読み方の是非といふのはあるのかもしれないが、なんだか、ひどくうらやましくなつてしまつた。一度でいいからさういふ読み方をしてみたいなあ。一度でいいけど。
一応、小説の主人公=作者、とは思はないやうにして読んでゐるし、「ここに書いてあることは、虚構」と思ふこともなく心のどこかでさう思つてゐるんだけど、さういふ読み方つて、正しいかもしれないけど、ちよつとつまらないのかもしれない。
そろそろあまり使はないペンを整理しなければ。
さう思つてゐた矢先にこれてある。
さう、新たにペンを増やしてしまつたのだ。
緑色のキャップのペンはPelikanのカリグラフィーペンSCRIPT。これは1.0mmで、あと1.5mmを買つてしまつた。
たまたま銀座伊東屋へ行つたら中二階でPelikanフェアをやつてゐて、試し書きしてみたところ、思ひのほかの書き心地。
カリグラフィーペンはペン先が太いからか、書き出しがうまくいかないことがあるが、1mmとちよつと細いせゐか、そのストレスがない。1.5mmも同様。
いいぢやんいいぢやん。
とは思つたが、とりあへず考へることにして、その場は買はずに去つた。
翌日また伊東屋へ行つてみたらこはいかに。
Pelikanフェアが終つてゐるではないか。
訊いてみたら、取り寄せてくれるといふので、頼んでしまつた。
ほかに2mmのペン先もあるが、多分、その太さを活かせるノートが手持ちにないので今回は見送つた。
カリグラフィーペンだからといつて、カリグラフィーをするわけではない。
カリグラフィーペンつて、案外日本語を書くのに向いてるんだよね。
縦書きにして漢詩なんかを書いてみると、實に趣がある。
といふことにはじめて気がついたのは、LAMMYのJOYを手にしたときだつた。
黒い軸に桃色のクリップのJOYを出来心で買つてみたのが運の尽き。
いいぢやん。
なんだか、楽しい。
といふわけで、その後もスタブな感じのペン先にはまつたりしてゐた。
ただ、カリグラフィーペンといふのは、ちよつと長い。持ち歩くのをしばし躊躇するくらゐには長い。
そこでPELICANのSCRIPTだ。
ほかのカリグラフィーペンに比べて、すこしコンパクトである。これくらゐなら持ち歩けるかなあ、といふ気もする。
長いのはイヤなはずなのに、買つてしまつたのが黒いデスクペン。プラチナ萬年筆のものである。
すでにプラチナのデスクペンは使つてゐるのだが、ここのところプラチナの売りである「1年間使はなくてもインキがかたまらない」機構を組み込んだ新作、といふことで買つてしまつた。
ペン立てもそれ用にそろへなければならない、といふことは、そのときには思ひつかなかつた。
デスクペンの極細は、多分、プラチナのものが一番好きである。
さらさら書けるんだよね。そこがいい。
従来のペンに比べてキャップがかたく、開ける時にペン先をぶつけさうで怖いのだが、これは慣れなのかもしれない。
デスクペンなんだから机に置きつぱなしで使へばいいかな、と思ふが、この書き心地は持ち歩きたい感じなんだなあ。うーん。
不用意に増やしてしまつたので、やはりあまり使つてゐないペンはきれいにして休ませなくつちや。
1日寝てしまつた。
図書館に予約した本を取りにいくつもりだつたのだが、断念した。
四時間くらゐおきに目覚めながら、午後五時近くまで横になつてゐた。それでもまだ眠れさうだつた。どうしたものやら。
おそらく、睡眠負債がたまつてゐたんだらう。
いや、過去形でなく、「たまつてゐる」かもしれない。
いつもは土日で返済してゐるのだが、ここのところなぜか週末に二度寝ができずにゐた。
そんなこんなで、ただでさへ足りない睡眠がヤバいことになつてゐたのかもしれない。
「風工房の小さなクロッシェレース」に掲載されてゐるスカーフになる予定だ。
本では黒い糸で編まれてゐるが、渋めの紫色で編んでみた。糸はエミーグランデ、針は2/0。
両端にアイリッシュクロッシェレースの葉つぱがぶら下がるスカーフで、「……そんなの、自分に編めるのだらうか」と少々不安だ。
それよりも、この本体部分を編みあげることができるのだらうか。
鎖編みの上にこま編みを編みつけていくのだが、これが編んでゐて大変楽しい。楽しいのだが、なかなか進まない。
正直云つて、このまま挫折するんぢやあるまいか。
そんな気がしてゐる。
実はこの前に同じ糸でアイリッシュクロッシェのモチーフを編んでゐた。同じく風工房の「かぎ針で編む私の小もの」に掲載されてゐるものである。本ではパピーのNew4Plyを使つてゐる。
いくつか編んでつなげるつもりだつたが、花と葉をひとつづつ編んだところで力つきてしまつた。
この先、いくつ編まねばならないのだらうか、と考へたら、もうムリといふ感じだつた。
余裕がないんだなあ……
それにしても、風工房好きだなあ、やつがれ。
読んだ本の数:6冊
読んだページ数:1729ページ
ナイス数:7ナイス
文藝ガーリッシュ 素敵な本に選ばれたくて。
どの本もとてもおもしろさうなんだけれども、実際に読んだときのがつかり感は柴田元幸で十分味はつたので、二の足を踏んでしまふ。さうね、人は「自分探し」といひながら、實のところは「居場所探し」をしてゐるのかもね。
読了日:05月07日 著者:千野 帽子
書を学ぶ人のための唐詩入門
なるほど、書に書く場合は書の都合のよいやうにいい加減なところで改行して書くのか。それで苦手な訳だ。せつかく対句になつてゐる部分が対に書かれないなんて、無粋ぢやあないか。詩の解釈がちよつとおせつかいな感じがする。
読了日:05月08日 著者:村山 吉廣
ダニエル・カーネマン心理と経済を語る
行動経済学に関する本を読んだあとだつたので、比較的容易に理解することができたかと思ふ。逆に云ふと、読まなくてもよかつたのかも? いやいや、それはないと思ひたい。題名は「心理学と経済学」なのではないかといふ気がするがどうか。「心理」と「心理学」はともかく、「経済」と「経済学」はちがふものだと思ふがなあ。
読了日:05月14日 著者:ダニエル カーネマン
Justice: What's the Right Thing to Do?
図書館でたまたま目が合つて借りてきたが、思ひのほかおもしろかつた。TV番組はあまり見てゐなかつたけれども、見ておけばよかつたかなあ。ボビー・ケネディの演説ははじめて知つた。確かにどうなつたのか、見てみたかつたかもね。
読了日:05月21日 著者:Michael J. Sandel
桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活
図書館で借りやうとしたら予約が必要でかなり待たされた。TVドラマ化されてたんだねえ。確かに登場人物ひとりひとりの「キャラが立つてる」し、TVドラマに向いてるかもとは思ふたけど、実際のところはどうだつたのだらう。ちよつと気になる。クワコーのダメさ加減が身につまされてつらかつたが、まあ、フィクションだよ、フィクション。と思ふことにする。
読了日:05月23日 著者:奥泉 光
言葉と鋏―漢字読み書きばなし
辞書に書かれてゐることは必ずしも正しくはない。でも「正しくない」とわかるには、やはりそれなりに知識が必要で、結局、人は辞書に書かれてゐることを信じてしまふんだらうなあ。「進捗」が「しんしょう」と読まれてゐたことがあるとは知らなかつた。いつのまにかちやんと「しんちょく」に戻つたんだな。さういふこともある。似たやうな例が「徒然草」にもあつたつけか。
読了日:05月28日 著者:駒田 信二
2012年5月の読書メーターまとめ詳細
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