ドミノ編みの可能性
はじめて「ヴィヴィアンの楽しいドミノ編み」を本屋で見たとき、「これだ!」と思つた。
今となつてはなにが「これ」だつたのかよくわからない。
おそらく、あみものを再開してしばらくたつてゐて、あまり毛糸の始末にこまつてゐたのだらう。
そんな気がする。
ところが、実際に編んでみるとドミノ編みは全然「これ」ではなかつた。
といふ話は以前も書いた。
まづ、ドミノ編みは時間がかかる。
手の速いニッタでないと、「ひねもすのたりのたりかな」、なのである。
すなはち、大物を編みはじめたりなんぞしたら、途中で挫折すること請け合ひなのだつた。
また、色を沢山使つたりすると、糸端の始末が異様に面倒である。
これはモチーフ編みの宿命かとは思ふが、「Domino Knitting」を見たらちやんと編み進みながら糸始末をする方法が書いてあつた。
ちなみに、「ドミノ編みは時間がかかる」といふことも、洋書の方には書いてある。
そんなわけで、第一印象はまちがつてゐたんだな、と思つたわけだが。
でも、ときどき無性に編みたくなることがあるんだよねえ。
不思議である。
これまた洋書に書いてある、「ドミノ編みはaddictive」とはこのことなのかもしれない。
ドミノ編みつて単純なだけに、編みやうでいろいろ展開できさうだからつい手を出したくなつちやふつてのもあるんだよね。
「もっともっとドミノ編み」なんてな本もあるくらゐだしさ。
といふわけで、現在ドミノ編みのポンチョを編んでゐるところ。
完成できるかどうかは定かではない。
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