失はれた時を求めて
思ひたつて、幼稚園に上がる年の四月から翌年の八月まで住まひしてゐたあたりに行つてきた。
もうやつがれ一家の住んでゐた集合住宅は取り壊されて、新しいマンションが建つてゐると聞いてゐた。
また、幼稚園のときに一年四ヶ月ばかりしかゐなかつたところだから、それほど周囲の記憶があるわけではない。
果たして最寄り駅に降り立つと、あたりの記憶はまつたくなかつた。
父は車を持つてゐたし、平日は幼稚園に通つてゐたせゐか、電車でどこかへ行くといふこともなかつたやうに思ふ。それで覚えがないのだらう。
駅付近には病院通ひで行つたくらゐだ。
病のせゐだらう、歩道橋をあがるのがひどくつらかつた記憶があるが、今はどこにも見当たらない。
駅で地図を見て、こちらの方向だらうとあたりをつけて歩き始めても、当時はなかつただらう店舗ばかりが目につく。
ところが、ちよつとした細い道に入つて、角を曲がると、そこはなんとなく見覚えがある気がした。
目医者に通ふときに通つた道だつた。
結膜炎にかかつて何度か目医者に行つた。さういへば、耳鼻科にも通つてゐたな。ネフライザをやつてゐた。
このとき、帰りに焼き鳥屋に寄つて焼き鳥を買つたことが何度かあつたはずだ。
多分、最初は病院帰りに買つてゐたのだらう。そのうちその焼き鳥屋目当てに行くやうになつたんぢやないかと思ふ。
人生初の焼き鳥が、そこの店の焼き鳥だつたらう。
当時、鶏のレバーが好きだつた。
肝臓だなんて知る由もないし、ものによつては食べられたものではないといふことも知らなかつた。
そこの店のレバーの焼き鳥はとてもおいしかつた。
生まれてはじめて目医者に行つて、血のついてゐる脱脂綿に怯へた記憶と、レバーの焼き鳥がおいしかつた記憶はわかち難く結びついてゐる。
ふと見ると、焼き鳥屋があつた。
店頭売りの焼き鳥屋だ。
店のやうすを見ても店名を見ても、まるで思ひ出せない。
だが、なんとなくここなのではないか。
そんな気がした。
ためしに鶏のレバーと皮、つくねを二本づつ買つてみることにした。
そのとき、思ひきつて、「こちらはもう長いんですか」と訊いてみた。
そんなに長いわけではない、四十年くらゐだ、といふ答へが返つてきた。
こどものころこのあたりに住んでゐて、おいしい焼き鳥屋さんがあつたと思ふのだけれど、といふやうな話をしたところ、そのころからやつてゐる焼き鳥屋はうちくらゐだ、といふ返事だつた。
ここだ。
全然思ひ出せないけれど、おそらくここだ。
その場で炭火でかるくあぶつてくれて、たれをたつぷりかけてくれた。
持ち帰つて、あたためなほして食べてみた。
うまい。
くさみのない、食べやすいレバー。
たれはさらつとしてゐて、甘さ控へめ。
正直云つて、記憶にはない。
でも、これだ。
多分、これなのだ。
もう確認できる相手もゐない。
勝手に認定する。
これが、あのときのあの焼き鳥だ。
そんなに遠くないし、そのうちまた買ひに行きたい。
« バッグ・イン・バッグにもなるウェストパッグ | Main | この週末の手藝模様 »
Comments