ムダでもいいぢやない
「日本人の9割に英語はいらない」を読んだ。
えうは、「哲学・主義・主張もないものが英語を学んでも意味がない」といふことだ。
山本夏彦の本に、幕末明治に欧米に赴いた人々の中にはあちらでgentlemenと目された人もゐたとある。幼いころから四書五経に親しみ骨の髄まで浸透してゐたからだらう。
この本の中にも出てくるが、スタンフォード白熱教室で課される予習の読み物の中にはギリシャ・ローマの古典も多く見られる。つまりはさういふことだ。
今の日本人には望むべくもないことである。あるていどの年齢になつてから、突然その必要性に迫られて苦労する人も多からう。もちろんまつたく必要性を感じない人も大勢ゐるだらうけど。
また、「必要に迫られれば英語などイヤでも覚える」といふのもそのとほりかと思ふ。必要もないのに勉強したつて英語なんか身につくわけがない。さういふことだらう。
こどもをバイリンガルに育てることによる弊害は、テキサス州エルパソでいくらも見てきた。確かに英語もスペイン語も堪能で、日常のコミュニケーションは問題ない、だが、英米やスペイン、中南米の文学を楽しむことができるレヴェルにゐるかといふとどうかな、といふ高校生が多かつた。
その一方で、「Wer fremde Sprache nicht kennt weiß nichts von seiner eigenen.」といふことばもある。ゲーテが云つたのだといふ。これも「母国語のろくろくできない輩にはあてはまらない」と云はれたらそれまでだが、外国語を学べば誰でも母国語になにがしかの思ひを馳せるものではあるまいか。
また、趣味のある人は英語を覚えることで世界が広がることもあるかと思ふ。すこしたしなみがあるだけで、未知の世界がひらける、さういふこともあらう。
やつがれも、九割側の人間だ。日々の暮らしに英語なんてほんとに必要ない。
でも、必要だから学ぶの? ムダでもいいんぢやない? そんなになにもかも功利的に考へなくたつていいんぢやないかなあ。
そんな気もするのだつた。
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