「武器としての決断思考」を読む
ディベートとはなにか。
どういふものでどう活かしていけばいいのか。
「武器としての決断思考」で述べられてゐるのはさうしたことである。
ディベートで用ゐる手法を普段の生活に取り入れる。そしてそれを「武器」として生き抜いていけ。
さういふ本である。
読者は「武器」を得ることはできるかもしれない。
しかし、使ひ方や使ふにふさはしい時と場所については、当然のことながら自分で考へる必要がある。
そもそも「武器」とはなにか。
武器とは、敵に対して用ゐるものである。
味方には使はない。
著者はさういふ考へ方はしないのらしい。さうでなければ、
その人がどう思うかなんてことはまったく関係なく、その行動によるメリットとデメリットをちゃんと比較して結論を導き出してあげることが実は本当の親切なのですが、なかなか理解されずにいつも私自身こまっています……。(P 102)
などとは云はないはずだからだ。
この一文の前段には、女の人からの相談に対して論理的に答へるとドン引きされることがある、と述べられてゐる。かういふ場合は相手にはすでに結論が出てゐる、とも書いてある。
よく云はれることだが、かういふとき、相手はこちらのapprovalを求めてゐることが多い。すなはちこちらを味方だと思つて相談を持ちかけてくるのだ。そんな相手に「武器」を使つたら、ドン引きされて当然だし、「この人、今まで味方だと思つてたのに……」と思はれて、要らぬ敵を増やす結果になりかねない。
無論、そんな論理的思考を欠いたやうな味方は御免かうむる、といふのなら話は別だが。
「武器」の使用には細心の注意を要する。
本書になにかおぎなふことがあるとすれば、このことだらう。
著者もわかつてゐるらしく、
ぜひ、相手にナメられてください。(P 208)
とか、
バカをよそおって、知らないフリをして、話全体を自分の知りたい方向性に持っていくのが、優秀なディベーターの条件になります。(P 208)
とか、書いてはゐる。
おそらく、敵にこちらの武器をさとられるなよ、といふことだらう。
ことほど斯様に「武器」の扱ひはむづかしい。
それでもこの「武器」が魅力的なことは、世の中に数多ある武器とかはらない。
是が非にも手に入れたい。そして二度と手離したくない。
武器とはさうしたものだらう。
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