中村屋の復帰に寄せて
復帰後の中村勘三郎を見る前に書いておく。
勘九郎(当時)の限界を感じたのは、「かさね」を見たときのことだ。勘九郎のかさねに、富十郎の与右衛門だつた。
面相がかはり、足をひきずつて歩くかさねに、客席から笑ひがおこつた。
もちろん、笑ふ場面ではない。かういふ場合、悪落ちしても、すぐおさまるものである。
このときはちがつた。
かさねが歩くたびに笑ひ聲がする。
大きくなることこそあれ、やむ氣配はない。
客は、かさねを踊る勘九郎を見に来てゐるわけではない。
愛嬌者の勘九郎が何かおもしろいことをやつてゐる、それを見に来てゐるのだ。
勘九郎自身も当然そのことに氣がついてゐたらう。
二十代のころだろうか、TVドラマで福沢諭吉を演じて人氣をとつたことがある。自分のまはりにも、「勘九郎の諭吉、いいね」といふ人がゐた。歌舞伎などとくに見ない人である。
勘九郎は、TVで諭吉を見て興味を持つた人にも歌舞伎を見に来てもらひたい、諭吉は初めての外国で見るもの聞くものなんでも新しくてどきどきわくわくしてゐるやうな役だつたけど、さうではない自分も見てほしい、といふやうなことを語つたことがある。
TVでの自分と舞台上の自分とのちがひを、客が受けとめられるのかどうか、そこはかとない不安を感じてゐたのだと思ふ。
近年の勘三郎は、さうしたちがひを受けとめてもらふことをあきらめてしまつたやうに見える。
演じる役の幅も、先代と比べてしまふからかもしれないが、こちらの期待するほどには広がつてゐない。コクーン歌舞伎や平成中村座の座組ではできる役にもかぎりがある。
勘三郎は、もうこのままなんだらうな。
失礼は重々承知の上だが、さう思つてゐた。
その勘三郎が病を得て降番したのが今年のはじめのこと。
その後復帰した姿を見てはゐないが、しかし、webなどで見てきた人の感想を読んでゐると、「もしか
したら、かはつてゐるかもしれない」といふ期待が、わきあがつてくるのを感じる。
客席への迎合が控へめになつてゐるんぢやないか。
つい、そんな夢を見てしまふ。
とりあへず、今月は楽近くに平成中村座に行く予定である。
いつになく楽しみで仕方がない。
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