記録は悲しからずや
記録を見返すのは悲しい。
幼稚園にあがるころのことだ。
自分の写真を見るのがイヤだつた。
さらに幼い自分がそこにゐる。
引つ越す前の家で、すでに我が家には存在しない椅子に腰かけ、隣には一緒に過ごした記憶のない大きなぬひぐるみが座つてゐる。
或は、これも引つ越す前の家の庭で、もともとそこにそなへつけられてゐたのだろう小さな箱型のブランコで遊んでゐる自分が写つてゐる。そばにはおそらくもう二度と会ふことのない当時の友だちがゐる。
写真には失はれたものしか写つてゐない。
父と車を洗つてゐる写真があつて、父はまだ車に乗つてゐるが、写真の車は我が家にはない。
昔のアルバムを見るたび、幼いころは泣いてばかりゐた。
自然と写真を見返すことはなくなり、現在に至る。
昔の記録を見返すのはさみしい。
そこにあるのはもう手の届かないものばかりだ。
その一方で、日誌はそれなりに書いてゐる。
毎日書いてゐたわけでもないころもあるし、まつたく書いてゐない年もあつたりするが、細々となんとなくつづいてゐる。
とくに昔はその日あつたことよりも、なにをどう思つたかどう感じたかばかりがつづられてゐる。
それを読み返して、「あのころはかうだつたなあ」と思ふことはほとんどない。「あのころの方が詳細に書いてゐるなあ」といふことはあつても、今と異なる感想を抱いてゐる自分はゐない。また、たとへ今と異なる自分がゐても、日誌をたどれば、なんとなくその変遷がわかる。多分、わかるのは自分だけだらうけど。
日誌には、変化がない。昔から変はらない自分がゐる。
おそらく自分は、変はることがイヤなのだ。
いや、「おそらく」、ではない。
変はるのがイヤなのだ。変心が許せないのである。
たとへそれが「成長の証」であつたとしても。
そんな自分が、シゴタノ!のセミナー「W出版記念イベントEvernote×モレスキンで始めるライフログ入門(以下、ライフログ入門)」に参加したのは、間違ひだつたのかもしれない。
あの場にゐたのは、前向きな人ばかりだつたらう。
自分もそれなりにしつこく日々の記録をつけてゐて、でも活用方法がわからない、だいたいそんなものがあるのかどうかもわからない。
もしかしたらなにかヒントを得ることができるかも。
そんな浅ましいきもちもいけなかつたのかもしれない。
多分、活用しなくてもいい。役に立たなくてもいい。
記録したいんだからすればいいぢやない。
自分にとつては、さういふことなんだらうと思ふ。
プレゼンテーションとパネルディスカッションについては、とてもおもしろかつたし、特にプレゼンテーションはプレゼンテーション自体の参考になるところも多かつた。
ただ、今回のプレゼンタに限らず、「ライフログ」とか「クラウドサービスの利用」を勧める人には、欠けてゐる視点がある。
昨今、職場内にデジタル機器を持ち込ませない企業が増えてゐる、といふ点だ。
すくなくとも、自分のまはりでは増えてゐる。
現在の職場では、iPadやタブレットPCの持ち込みは禁じられてゐる。
以前常駐してゐた客先では、たうとう携帯電話の持ち込みも禁じられるやうになつたといふ。
他にもカメラ機能のついた携帯電話は持ち込み禁止とか、極端なところでは個人の持ち物は建物の入り口付近にまうけられたロッカーにしまつて、しかる後職場に入るやうになつてゐるところもあるといふ。
さういふ決まりのない職場に勤めてゐるとして、では顧客からもらつた名刺の写真を撮つてクラウドにまかせるのはどうよ、といふ話もある。
セキュリティ上、それはかなり不安なことなのではあるまいか。万が一、クラックされてその顧客の個人情報が流出したら……さう思ふと、Web上に名刺の情報を保存するのは気が退ける。
無論、名刺自体を落とすとか、名刺の情報を転記したアドレス帳を落とすとか、さういふミスによつて個人情報が流出することもあるだらう。
だが、さうしたミスよりも、PCやwebを使用した結果生じたミスへの風当たりが強いやうに思はれる。
実際、最近手帳を落として顧客への謝罪行脚を行つたといふ人の話を聞いたが、PCやUSBメモリを不注意でなくしてしまつた人に比べると断然風当たりが弱いのである。
どう考へても、情報を保存したものをなくし、結果個人情報流出の危機をまねいたといふことでは、手帳だらうがPCだらうが同じことだと思ふのだが、ちがふのである。世間はさう見ない。或は見ないこともあるのだ。
世の中のEvernoteやiPhone等の活用術の本に、さういふ視点はない。
つねに至るところでiPhoneは使へるし、ゆゑにEvernoteにもアクセス可能といふことになつてゐる。
さういふ人つて限られてるんぢやないかなあ。
まあでも、四六時中自分のiPhoneなり携帯電話なりモバイル機器なりを使用することのできる人も多いといふことなのだらう、多分。
ライフログ入門の参加者は60名。
写真のEvernoteのステッカは全員に配布されたもの。
Moleskineのローラーボールペンは全部で25本あつた。ポケットサイズの罫線ありも25冊。このふたつは太つ腹にも希望者に配られた。よくあるジャンケンとかくじ引きとか一切なし。
Moleskineのローラーボールペンは、自分では絶対買ふことはないだらうと思つてゐたので、是非使つてみたいと思つてゐるし、最近無理矢理Moleskineユーザにさせてしまつた家族に使つてもらつてもいいかな、と思つてゐる。いつも筆記用具を探すのに苦労してゐるやうなので。
そして、Cover Art Collection のウィークリーダイアリーはジャンケンに勝つた結果いただいたもの。ビンゴでは何度かいいものをいただいたこともあるが、ジャンケンで勝つたことはかつてなかつたので、なんだか嬉しい。
今のところ、スケジュール帳としてではなく、普通のノートのやうな使ひ方をしやうと思つてゐるが、外国語で日記をつける練習に使ふなんてのもいいかもしれないなあ。
そんなわけで、まあ、これからも傍から見たら無駄としか思へず、自分から見ても「なんのためにそんなことしてるの?」つてな記録を連綿と取つていくのにちがひない。
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