「夢の中 悪夢の中」を読む
「相手の幸せが自分の幸せ」つてことが、お前はわかつてない。
主人公の母はさう云ふ。さう云ふて主人公の結婚に難色を示す。
主人公から見ると、それがわかつてゐないのは母親の方だ。母親は自分の価値観を押し付けてくる。常に明るく賑やかにかつアクティブで食欲旺盛であれ、と。さうあらねば、お前はどこかをかしいのではないか、と。
三原順の「夢の中 悪夢の中」は恐ろしいまんがだ。ホラーといふわけでも、怪奇小説といふわけでもない。「悪意の人」も存在しない。
なのにこの恐ろしさはどうだらう。
「ほんとに恐ろしいのは人間なんだよ」とはこのことか。
「夢の中 悪夢の中」は三原順最後の短編集を文庫化したものだといふ。四篇あつて、うち最初の二篇ははじめて読むまんがだつた。
三原順のまんがでまだ読んでゐないものがあつたなんて、と、感慨深い。
まるで小説を読んだかのやうな読後感。今だつたらどんなまんがを描いてゐただらう。あひかはらず小説のやうな読後感をもたらすまんがを描いてゐたらうか。ますます「イヤな終り方」をする方向にむかつてゐたらうか。それとも、と、読んでゐて妄想は尽きない。
表題作に、エリ・ヴィーゼルの小説が出てくる。セリフにさうあるわけではないが、登場人物の手にしてゐる本に「L'AUBE Eli Wiesel」と書いてある。
確かはみだしつ子ではフランケルを引用した箇所があつたやうに覚えてゐる。
かつて、三原順を読んで、「この本を読みたい」「この曲を聞きたい」と思つたものだつた。
さうして「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」を読み、クリーデンスクリアウォーターリヴァイヴァルの「Someday Never Comes」を聞き、エマーソン、レイク&パーマーを知つた。
サイモンとガーファンクルが使はれてゐれば、ニヤリとし、競馬もちよつとばかり覚えた。
三原順やかつて自分が読んでゐたころの少女まんが家にはさういふ力があつて、そして、今もそれは変はらないのらしい。
作中で、登場人物は云ふ。
「この本(「夜」)は第二部と第三部を読まなきやダメなんだよ」
「夜」を読み終へた時点で感想を述べやうとする主人公は、さう云はれて、第二部、第三部を読む。
そして、「夜」と「夜明け」だけ読んでわかつたつもりになつてゐたことにショックを受ける。
このエピソード自体は本筋ではない。けれども忘れられない。そして、自分も読んでみたいと思ふ。
「夜」は最近復刊されたやうだが、つづきの入手はむづかしさうだ。米Amazonには三部作のペーパーバックが売られてゐる。
買ふしか?
死してなほ、三原順は自分を本屋に走らせる。
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