苦手の付箋を使つてみる
本を読むときに付箋を貼るやうになつてから、氣になる表現やなにかを書き留める時間をとれなくなつた。
付箋の数があまりに多くて、取捨選択と転記に時間がかかるやうになつたからだ。
付箋を使ふ前はどうしてゐたのか。
単純に氣になる箇処のページ数をおぼえて、あとで書きうつしてゐた。
当然おぼえられる量には限りがあるから、たいした数にはならない。
もともと付箋はあまり好きではない。それで使はずにゐた。使ひはじめたのは、おぼえる労力の軽減のためだ。せつかくいいことばに出会つても、どこに出てゐたのかわすれしまつては意味がない。
付箋を使ひはじめると、これまでならおぼえるに足らずと思つてゐた場所にも付箋を貼るやうになつた。
それこそ、読後に「どうしたものやら」と途方にくれるほど、付箋の貼られた本が目の前にある。
それだけでoverwhelmedといふ気分になつてしまつて、そのまま放置。
さういふ本も何冊かある。
付箋を使はない生活に戻らうか。
しかし、読後に付箋の貼られた箇所を振り返ることも、また大切な気がする。
問題その時間をどう捻出するか、だ。
愛用してゐるのはcocofusen(ココフセン)。
ココフセンはフィルム付箋で、ケースを本などに貼り付けて持ち歩くことができるやうになつてゐる。一枚一枚はがしやすいのもいい。あまり付箋に書き込むことはないので、6mmの細いものを使用してゐる。
それにしても、この付箋嫌いの自分が、こんなに付箋を使ふやうになるなんてなあ。
記憶力の減退といふこともあるけど、人間、変はれば変はるものである。
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