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Monday, 31 October 2011

三銃士の配役は歌舞伎で考へるとうまくいく

座頭はリシュリュー。

としたいところだが、白浪五人男で考へてみやう。一人足りないけど。
日本駄右衛門がアトス。
弁天小僧菊之助がダルタニャン。
赤星十三郎がアラミスで、南郷力丸/忠信利平がポルトスだらう。

ぴつたりぢやん。

敵役にロシュフォール伯爵。
立女形がミレディーで、娘役がボナシュー夫人、お姫様がアンヌ王妃。
きれいだけどおつむの弱い色男にバッキンガム公爵。

ぴつたりぢやん。
これでお芝居できちやふぢやん。

でも、映画だとかううまくはいかないんだよなあ。
二時間前後の枠では、この人数はさばききれないのだ。

と、「三銃士 王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」を見てきてしみじみ思つた。

映画自体はおもしろかつた。
映画がはじまると、地図の上にミニチュアの人形を配した戦争ボードゲームのやうなものが映し出される。これがあとで利いてくる仕掛け。
「銃士」が「忍者」のやうな扱ひなのは、最初はどうよと思つたけど、まあ、ありつちやあありだ。
冒頭部分で三人の銃士の描き分けもできてゐる。
ダルタニャンに如何にも少年らしい可愛らしさがあるのもいい感じだ。
パリに行く前のガスコーニュの田園風景はどうやらバイエルンで撮影したらしいのだが、これがまたすてきでね。空の感じ雲の感じ草原の感じ、どれをとつてものびのびした田舎の雰囲気で見てゐてきもちがいい。
それになにより剣劇部分はやつぱり見てゐて血湧き肉踊るんだよなあ。どんだけ立ち回り好きなんだ、ヲレ。

でもこれ、「三銃士」である必要はまつたくないよね。
完全にオリジナルの登場人物で作つた方がよかつたんぢやないの?

さう思つてしまふのだ。

結局最後まで「なんでこれは「三銃士」なんだらう」と考へながら見ることになつてしまつた。
結論は出なかつた。

ところで、ジョージ・ヴィリアーズといへば、美脚の持ち主だと思つてゐたんだが、オーランド・ブルームは一度もその脚を見せることはなかつた。自信がないんだらうか。ルイ十三世はばつちり見せてくれたのに。
それともやつがれの記憶がまちがつてゐるのか。
はて。

Sunday, 30 October 2011

端の気にならないマフラー

やつと棒針編みをする気力が出てきただらうか。

この秋冬初マフラーである。
#前回のはcowlといふことで、ひとつ。

Triangular Scarf

Triangular Scarf

「スウェーデンから届いたニット 2」に掲載されてゐた、三角マフラーである。
本では白黒だつたが、手持ちのダイヤシルクオンブレで編んだ。色はKO550。針は5号針。

いはゆる「Quick Knit」だと思ふ。三角部分を増やしていくのもあつといふ間だし、細い部分も最初は気が遠くなつたりするけど、二段に一目ずつ減つていく寸法だから、減り出すと早い。
本では最終目の手前で横にわたつた糸をねぢつて増やし目をする、とあるが、ひとつ手前の目に二目編み入れた。あと縁編みの段数をそろへるために一度糸を切つて途中から編むやうにと書いてあるが、これはやらなかつた。

これでダイヤシルクオンブレを一玉半くらゐ使つた。そのていどで編めてしまふ。
三玉あつたので、使ひきりだとうれしかつたんだがなあ。おそらく、マフラーを編むつもりで買つた毛糸だと思ふのだ。

三角部分を前に持つてきて両端をうしろからぐるりと回して前で結んで使ふのだが、三角部分を背中にして超ミニショールのやうに使つてもいい感じ。

「スウェーデンから届いたニット」もさうだつたけれど、色遣ひが見てゐるだけで楽しい。
でもそのままでは自分で使ふのはちよつとなあ、と躊躇してしまふ。
一冊目のときは、それでそのままになつてしまつたが、二冊目の作品は単色(でも段染めだけど)で編んでみた。

でもなあ、やつぱり、あの色遣ひを、自分でもやつてみたいんだよなあ。
うーん、白黒ならいけたかも?

問題は手持ちにそんなに都合のいい色の毛糸がない、といふことなんだが。

Saturday, 29 October 2011

「夢の中 悪夢の中」を読む

「相手の幸せが自分の幸せ」つてことが、お前はわかつてない。

主人公の母はさう云ふ。さう云ふて主人公の結婚に難色を示す。

主人公から見ると、それがわかつてゐないのは母親の方だ。母親は自分の価値観を押し付けてくる。常に明るく賑やかにかつアクティブで食欲旺盛であれ、と。さうあらねば、お前はどこかをかしいのではないか、と。

三原順の「夢の中 悪夢の中」は恐ろしいまんがだ。ホラーといふわけでも、怪奇小説といふわけでもない。「悪意の人」も存在しない。
なのにこの恐ろしさはどうだらう。
「ほんとに恐ろしいのは人間なんだよ」とはこのことか。

「夢の中 悪夢の中」は三原順最後の短編集を文庫化したものだといふ。四篇あつて、うち最初の二篇ははじめて読むまんがだつた。
三原順のまんがでまだ読んでゐないものがあつたなんて、と、感慨深い。

まるで小説を読んだかのやうな読後感。今だつたらどんなまんがを描いてゐただらう。あひかはらず小説のやうな読後感をもたらすまんがを描いてゐたらうか。ますます「イヤな終り方」をする方向にむかつてゐたらうか。それとも、と、読んでゐて妄想は尽きない。

表題作に、エリ・ヴィーゼルの小説が出てくる。セリフにさうあるわけではないが、登場人物の手にしてゐる本に「L'AUBE Eli Wiesel」と書いてある。
確かはみだしつ子ではフランケルを引用した箇所があつたやうに覚えてゐる。
かつて、三原順を読んで、「この本を読みたい」「この曲を聞きたい」と思つたものだつた。
さうして「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」を読み、クリーデンスクリアウォーターリヴァイヴァルの「Someday Never Comes」を聞き、エマーソン、レイク&パーマーを知つた。
サイモンとガーファンクルが使はれてゐれば、ニヤリとし、競馬もちよつとばかり覚えた。
三原順やかつて自分が読んでゐたころの少女まんが家にはさういふ力があつて、そして、今もそれは変はらないのらしい。

作中で、登場人物は云ふ。
「この本(「夜」)は第二部と第三部を読まなきやダメなんだよ」
「夜」を読み終へた時点で感想を述べやうとする主人公は、さう云はれて、第二部、第三部を読む。
そして、「夜」と「夜明け」だけ読んでわかつたつもりになつてゐたことにショックを受ける。

このエピソード自体は本筋ではない。けれども忘れられない。そして、自分も読んでみたいと思ふ。

「夜」は最近復刊されたやうだが、つづきの入手はむづかしさうだ。米Amazonには三部作のペーパーバックが売られてゐる。
買ふしか?

死してなほ、三原順は自分を本屋に走らせる。

Thursday, 27 October 2011

「ビジネスマンのための「行動観察」入門」を読む

家に帰りつくと床に座り込んでしまひ、「家事をしなきや」とつぶやきつづける。
昼食から一時間もたつてゐないのにファーストフードを食べたいと云ひ出すこどものことばのままにつれて行く。
新聞の折込チラシは見ずに捨て、各店舗できまつた安売りの日に買物をする。
家事をこなし乍らビールを飲む。
疲れ果てて転寝してゐると、遅く帰宅した夫から「なに居眠りなんかしてるんだ」と怒られる。
ワーキングマザーの現状には涙を禁じ得ない。

顧客の家でごく親しい友人のやうに迎へ入れられる営業マンもゐれば、「あんたはまだまだだな」と云はれてしまふ営業マンもゐる。

無駄な作業の多いことを指摘された一流シェフが、数週間のあひだに指摘事項をもとに自分の仕事を見事に改善する。

五千人のお客の会社、名前、車、そのナンバーを覚えてゐるホテルマンの記憶術の謎。

普段目にする事象もある。
しかし、普通はそれに気づかない。
ワーキングマザーの例で云へば、一緒に暮らしてゐてもまつたく気づいてゐない夫も多いことだらう。

「ビジネスマンのための「行動観察」入門」は、「行動観察」とは、といふ点については書名のとほり、「入門」の域を出ない。
正直云つて、期待はづれだといふ人もゐるだらう。

しかし、著者が行動観察をとほして見てとつたことは、いづれもまことに興味深い。日々の生活の役に立つことも多からう。

上記一流シェフのやうに、自分もまたこの本から得たことを取り入れていけたらいいなあ。
しかし、著者も書いてゐるとほり、「人間は楽をしたがる」からむづかしいかなあ。

苦手の付箋を使つてみる

本を読むときに付箋を貼るやうになつてから、氣になる表現やなにかを書き留める時間をとれなくなつた。
付箋の数があまりに多くて、取捨選択と転記に時間がかかるやうになつたからだ。

付箋を使ふ前はどうしてゐたのか。
単純に氣になる箇処のページ数をおぼえて、あとで書きうつしてゐた。
当然おぼえられる量には限りがあるから、たいした数にはならない。

もともと付箋はあまり好きではない。それで使はずにゐた。使ひはじめたのは、おぼえる労力の軽減のためだ。せつかくいいことばに出会つても、どこに出てゐたのかわすれしまつては意味がない。

付箋を使ひはじめると、これまでならおぼえるに足らずと思つてゐた場所にも付箋を貼るやうになつた。
それこそ、読後に「どうしたものやら」と途方にくれるほど、付箋の貼られた本が目の前にある。

それだけでoverwhelmedといふ気分になつてしまつて、そのまま放置。
さういふ本も何冊かある。

付箋を使はない生活に戻らうか。
しかし、読後に付箋の貼られた箇所を振り返ることも、また大切な気がする。
問題その時間をどう捻出するか、だ。

愛用してゐるのはcocofusen(ココフセン)
ココフセンはフィルム付箋で、ケースを本などに貼り付けて持ち歩くことができるやうになつてゐる。一枚一枚はがしやすいのもいい。あまり付箋に書き込むことはないので、6mmの細いものを使用してゐる。

それにしても、この付箋嫌いの自分が、こんなに付箋を使ふやうになるなんてなあ。
記憶力の減退といふこともあるけど、人間、変はれば変はるものである。

Saturday, 22 October 2011

日経SYSTEMS 十月号を読む

最初にことはつておくが、自分はシステム開発とは関はりないし、要件定義なんてものもしない。
しないが、今回日経BP社から提供された「日経SYSTEMS」十月号は参考になることが多かつた。
特に「要件定義の極意」は興味深く読んだ。

要件定義をするしないに関はらず、ミーティングで必要なこと、ヒアリングのとき気をつけることは同じだと思ふからだ。
ミーティングとか書くと大げさかもしれないが、なに、普段家族と話すときなんかにでも応用できることはいくらでもある。

ただ。
問題は、記事にあるやうにはなかなかいかないといふことだ。

「ファシリテーション」といふことばがmouthfulなせゐか今ひとつ普及してゐないやうだが、残念なことである。できれば小学校の学級会あたりから導入してもらひたい技能だ。
ファシリテータにも向き不向きがあつて、自分は圧倒的に不向きな人間である。
そして、さういふ人間には、社会人になつてからいきなり「ファシリテーション」に取り組んでももう手遅れなのである。

十月号の特集「要件定義の極意」を読んでゐると、この「ファシリテーション能力」を問はれることが多いやうに感じた。「要件定義の実践力を磨かう」とあるが、磨くことのできる社会人はごく一部なのではないか。そんな気がする。

そのほか、「事例 ケーススタディ 問題解決の現場」が個人的にはおもしろかつた。
日本ケンタッキー・フライド・チキンの事例で、とりあげられてゐるのはピザハットのwebサイトだ。ピザハットのwebサイトはときどき見るので、「こんな風に作られてゐるんだなあ」と思つた。実際は大変なことばかりだつたらうなあと思ふと、あらためて見慣れたwebサイトをしみじみ見てしまつた。


Sunday, 16 October 2011

棒針編みでもくるくる

ものすごくひさしぶりに棒針編みをした。
どれくらゐひさしぶりかといふと……最後に編んだのは七月三日のことらしい。リカちやんのワンピースを編んだ。エミーグランデだつたし、かぎ針編みにするつもりだつたけど、伸縮性があつてぴつたりフィットするものを、と思つたら棒針編みになつた。

Knitted Onepiece & Crochet Hat in Progress

いつもだつたらこれくらゐのサイズのものをくるくる輪に編むのはとても楽しいはずなのに、このときはとにかくつらくて仕方がなかつた。帽子がかぎ針編みなのはさういふ理由もある。
つらかつた原因はいろいろ考へられるが、ひとつは糸の色がおリカにうつらなかつたせゐだらう。

そんなわけでその後はタティングしたりかぎ針編みをしたりしながらすごしてゐたわけだが。

先日、三ツ葉屋に行つて、ROWANはCOLOURSCAPE CHUNKYを四分の一くらゐの価格で販売してゐるところに出会つてしまつた。
最初はヂヤンテイ織にするつもりだつた。
ロングピッチの段染め糸なので、いろんな色の四角形ができるだらう。つなぎあはせるのもおもしろさう。
さう思つたのだ。
だが、実際にヂヤンテイ織をしてみたらこはいかに。
糸が太すぎるではないか……。

これまで糸が細すぎて「二本取りにするかなあ」と悩むことはあつても、太すぎてどうにもならないことはなかつた。
嗚呼……。

といふわけで、急遽別のものを編まねば、といふので、ravelryで検索して見つけたのが、Mistakes - I've made a few!であつた。
ご存知の向きも多いかとは思ふが、"Mistakes - I've made a few"といふのは"My Way"の歌詞の一部である。
もともとヂヤンテイ織にするつもりだつたのができなくなつた。まあ、それ自体もmistakeといふわけで、ぴつたりだと思つたんだよね。

Mistakes - I've made a few!

それにしても、この色合ひ、すごいな。さすがケイフ・ファセットとしか云い様がない。
7mmの四本針で編んだのだが、これがなかなか大変だつた。だいたい我が家には15号以上の針といつて8mmのAddiの輪針しかなかつた。四本針で一番太いのは11号だつたかな。それがいきなり7mmである。しかも長い。糸も太いし、最初のうちはかなり「格闘」といふ感じで編んでゐた。
でも慣れてくるとこれが案外楽しくてね。やつぱり輪つかにくるくる編むのは楽しい。

「似たやうなもの、いくつも編んでるぢやーん」と思はれるだらうなあと思ひつつ、結び目とか端のないネックウォーマ(cowl)が好きだから仕方がないなー、こればつかりは。
今回、mistake ribといふことで、一段目が普通の二目ゴム編み、二段目は表目一目のあと裏目二目、表目二目の二段のくりかへしだつた。ふつーに二目ゴム編み編んでる方が楽。だつて下の目と同じに編めばいいんだもん。でもまあ、mistake ribの方が編地はおもしろいか。

Colourscape Chunky は、ちよつとフェルト化したやうなやはらかい糸で首回りに向いてゐるな、と思つたが、結構藁くずのやうなものがまぢつてゐるので、取りながら編まないとちくちくするかも。やつがれは途中であきらめてしまつた。ちくちくしたらちくちくしたときだよ。うん。

今日は記録的に暑い日だつた。
こんな日にこんなもの編んでるつてどうよ、と思つたが、まあ、アリは暑い夏の日にせつせと働いて寒い冬に備へるんだよな。
さう考へることにしたい。

ちよこちよここものも編んでゐる

最後に編んだものをここに書いたのは先月の十一日だつたか。
その後も、ちよこちよこ編んではゐる。

たとへばこれ。

アフガン編みの手提げ

かぎ針編みとアフガン編みの手提げ。
これは「アフガン編みいろいろ」「着こなし上手のニットのふだん着」を見て編んだもの。
手提げ自体は「着こなし上手のニットのふだん着」に出てゐる。糸も同じハマナカのトルネード。本ではこれをこま編みで編んでゐて、写真を見るかぎりはかなりしつかりした感じの手提げができあがつてゐる。

くるくる輪に編むアフガン編みにはまりまくつてゐた自分は、底はこま編みでしつかり編んでまはりはアフガン編みのかのこ編みで編んでみた。8mm針はちよつと大き過ぎたかもしれない。まちつとしつかり編むべきだつたな。内袋をつける予定もないし。
本に出てゐたとほり、全体をこま編みでしつかり編むのもやつてみたい。でもまあ、やらないだらう。うむ。

こちらも「着こなし上手のニットのふだん着」からかぎ針編みのくつ下を編んだもの。

Crochet Socks

ハマナカのソノモノツイードを5/0号針で編んだ。
ルームシューズの類は編んだことがあつたが、くつ下をかぎ針編みで編むのははじめてだつた。
編んでみて、「くつ下は棒針編みにかぎるのかもなあ」としみじみ思つた。
といふのは、あまり伸縮性がないからである。

このくつ下自体は、引き上げ編みをいれるなどして伸縮性に気を配つてゐるのだが……。

しかし、しつかり編めてゐるだけあつて、地厚であたたかい感じはする。
きつとこの冬履くであらう。

「くつ下は棒針編みにかぎる」といふ思ひを強くしたのは、その次にこれを編んでゐたときのことだ。

Tunisian Crochet Socks

「アフガン編みいろいろ」から二目ゴム編みのくつ下である。
だまされてはいけない。
アフガン編みの場合「ゴム編み」といふからといつて、編地に伸縮性があるとはかぎらないのである。
といふか、はつきりいつて、ない。まつたくないわけではないけれど、棒針編みの「ゴム編み」のつもりでゐると悲しい思ひをすること請け合ひだ。

使用した糸はパピーのシェットランド。色は07と22。針は6/0号で編んだ。
アフガン針の6/0号くらゐでシェットランドていどの毛糸をくるくる編むのは實に楽しかつた。
結局、自分はくつ下くらゐのサイズのものをくるくる編むのが好きなのだ。棒針編みとかかぎ針編みとかアフガン編みに限らず、だ。

本では踵とつま先を半分は濃い色もう半分は薄い色で編んでゐたが、先に編んだベージュが主色の方は糸を一段ごとに入れ替へて編んだ。糸端の始末を厭ふたためだ。
考へてみたら、踵もつま先も脇はかがらないといけないので、糸端はあつてもよかつた。バカバカ。

しかし、編み終はつたあとかがるのがイヤだつたので、臙脂色が主色の方はつま先からアフガン編みの輪編みで編みはじめた。踵は増やし目の段に入つたときに減らし目の段の端の目を拾ひながら編んだ。
きれいにはできなかつたが、まあ、編み終はつたあととじ針の使用が減つたからよしとしたい。
つま先はかぎ針編みで編むことにして、そこから編み始めるといいかもしれない。
でもまあ、それを試してみることはないだらう。もうアフガン編みでくつ下は編まないと思ふからだ。

上でも書いたけど、伸縮性がなさすぎる。これも脱ぎ履きが實に大変。
でもかぎ針編みのくつ下以上に地厚で履くとふかふかする。当然暖かい。

まあ、おそらく、この冬、履くことだらう。

シェットランドつて昔ペレットつていふ糸だつたつけか……
今回はじめて使つたが、クイーンアニーのちよつと細くなつた感じが編みやすくてよかつた。気に入つたなあ。

この後、「着こなし上手のニットのふだん着」から大物を編み始めるのだが、それはまた別の話である。

Monday, 10 October 2011

A Dancer of All Time

初めて「好きだなあ」と思つたのは、初めて見た伊勢音頭の万野。女のいぢわるくて怖い様が見事なのに、どこかかはいいんだ、不思議なことに。團十郎の貢に歌右衛門のお紺。

初めてTVで見る歌舞伎が面白いなあと思つたのは、芝翫の京鹿子娘道成寺。確かNHK古典藝能鑑賞会のだつたと思ふ。それまでTVで見る芝居はつまらんましてや所作事と思ひ込んでゐた。その偏見を完膚なきまでに打ち砕かれた。

船弁慶の義経の凛々しさも忘れがたい。

濡衣の人といふ印象が強いが、八重垣姫もかはいかつた。御簾が上がつての後ろ姿のよさといつたらもう。

一本刀土俵入のお蔦のその暮らしの見えるやうな感じは随一だつたらう。いいお蔦はいくらもゐるけれど、その背景まで見えるやうなお蔦はほぼゐない。

鴈治郎(当時)と道行戀苧環のお三輪と橘姫をそれぞれやつたことがあつて、鴈治郎のお三輪は引つ込みの花道七三で糸の切れた苧環を「あぁん、もう」といつた感じでかはゆらしくやさしく叩くのに対し、芝翫のお三輪は「ちっ!」つて感じだつたのがおもしろかつたなあ。かはいいのは鴈治郎だけど、自分がお三輪ちやんだつたら芝翫だな、とか。
野崎村のお光にもそんな「ぞんざい」なところがあつてよかつた。

手持の舞台写真で一等すばらしいのは、芝翫の茶波女お梶。たくさんの写真の並ぶ中、一際輝いてゐた一枚。深く膝を折つてきれいにきまつたところを撮つた一枚で、こんなのは他に見たことがない。神谷町ならではの一枚だらう。

自分の中で最高の盛綱陣屋は吉右衛門の盛綱、先代又五郎の微妙、勘太郎の小四郎に富十郎の和田兵衛。篝火は芝翫だつた。

芝翫の芝居の引き継がれてゐるやうすは見てとることもできるけど、芝翫の踊りはどれくらゐ受け継がれてゐるのだらう。願はくは孫に受け継がれんことを。

Hereby I give my deepest condolences on the death of a fabulous actor as well as a dancer of all time.

http://www.actors.or.jp/news/26.html

Sunday, 09 October 2011

スクラップブックとしてのEvernote

Evernoteは、ほぼwebclipで埋め尽くされてゐる。
中を見ると、あちこちのサイトを見て気に入つたあみものやタティングレースをはじめとする手藝作品の写真がずらりと並ぶ。
PCだと見やすいのだが、iPhoneやiPadだと読み込むのにちよつと時間がかかるのが難か。

なんか作りたいんだけどなにを作つたものやら、といふ時に見返すやうにしてゐる。
でも実は、特になんといふこともなく見返すことが多いかも。
「いい!」と思つた作品の写真ばかりなので、見て楽しいしね。
元々webで見つけたものだから、万が一消へてしまつても、まあ、さういふものかなつて思へるだらうし。
webclipなので掲載元のURLも記録されるしね。必要なところだけ保存できるし。とても便利だ。

残りはデジタルで取つた日々の記録。
手藝関係でいくと、自分の作つたものの写真とかそれについて書いたblogとかも残してゐる。

今のところ、無料で使つてゐる。
容量を超えさうになつたことはまだない。警告が出たことはあるけどね。

記録は悲しからずや

記録を見返すのは悲しい。

幼稚園にあがるころのことだ。
自分の写真を見るのがイヤだつた。
さらに幼い自分がそこにゐる。
引つ越す前の家で、すでに我が家には存在しない椅子に腰かけ、隣には一緒に過ごした記憶のない大きなぬひぐるみが座つてゐる。
或は、これも引つ越す前の家の庭で、もともとそこにそなへつけられてゐたのだろう小さな箱型のブランコで遊んでゐる自分が写つてゐる。そばにはおそらくもう二度と会ふことのない当時の友だちがゐる。

写真には失はれたものしか写つてゐない。
父と車を洗つてゐる写真があつて、父はまだ車に乗つてゐるが、写真の車は我が家にはない。
昔のアルバムを見るたび、幼いころは泣いてばかりゐた。
自然と写真を見返すことはなくなり、現在に至る。

昔の記録を見返すのはさみしい。
そこにあるのはもう手の届かないものばかりだ。

その一方で、日誌はそれなりに書いてゐる。
毎日書いてゐたわけでもないころもあるし、まつたく書いてゐない年もあつたりするが、細々となんとなくつづいてゐる。
とくに昔はその日あつたことよりも、なにをどう思つたかどう感じたかばかりがつづられてゐる。
それを読み返して、「あのころはかうだつたなあ」と思ふことはほとんどない。「あのころの方が詳細に書いてゐるなあ」といふことはあつても、今と異なる感想を抱いてゐる自分はゐない。また、たとへ今と異なる自分がゐても、日誌をたどれば、なんとなくその変遷がわかる。多分、わかるのは自分だけだらうけど。

日誌には、変化がない。昔から変はらない自分がゐる。

おそらく自分は、変はることがイヤなのだ。
いや、「おそらく」、ではない。
変はるのがイヤなのだ。変心が許せないのである。
たとへそれが「成長の証」であつたとしても。

そんな自分が、シゴタノ!のセミナー「W出版記念イベントEvernote×モレスキンで始めるライフログ入門(以下、ライフログ入門)」に参加したのは、間違ひだつたのかもしれない。
あの場にゐたのは、前向きな人ばかりだつたらう。
自分もそれなりにしつこく日々の記録をつけてゐて、でも活用方法がわからない、だいたいそんなものがあるのかどうかもわからない。
もしかしたらなにかヒントを得ることができるかも。

そんな浅ましいきもちもいけなかつたのかもしれない。

多分、活用しなくてもいい。役に立たなくてもいい。
記録したいんだからすればいいぢやない。

自分にとつては、さういふことなんだらうと思ふ。

プレゼンテーションとパネルディスカッションについては、とてもおもしろかつたし、特にプレゼンテーションはプレゼンテーション自体の参考になるところも多かつた。
ただ、今回のプレゼンタに限らず、「ライフログ」とか「クラウドサービスの利用」を勧める人には、欠けてゐる視点がある。
昨今、職場内にデジタル機器を持ち込ませない企業が増えてゐる、といふ点だ。
すくなくとも、自分のまはりでは増えてゐる。
現在の職場では、iPadやタブレットPCの持ち込みは禁じられてゐる。
以前常駐してゐた客先では、たうとう携帯電話の持ち込みも禁じられるやうになつたといふ。
他にもカメラ機能のついた携帯電話は持ち込み禁止とか、極端なところでは個人の持ち物は建物の入り口付近にまうけられたロッカーにしまつて、しかる後職場に入るやうになつてゐるところもあるといふ。
さういふ決まりのない職場に勤めてゐるとして、では顧客からもらつた名刺の写真を撮つてクラウドにまかせるのはどうよ、といふ話もある。
セキュリティ上、それはかなり不安なことなのではあるまいか。万が一、クラックされてその顧客の個人情報が流出したら……さう思ふと、Web上に名刺の情報を保存するのは気が退ける。

無論、名刺自体を落とすとか、名刺の情報を転記したアドレス帳を落とすとか、さういふミスによつて個人情報が流出することもあるだらう。
だが、さうしたミスよりも、PCやwebを使用した結果生じたミスへの風当たりが強いやうに思はれる。
実際、最近手帳を落として顧客への謝罪行脚を行つたといふ人の話を聞いたが、PCやUSBメモリを不注意でなくしてしまつた人に比べると断然風当たりが弱いのである。
どう考へても、情報を保存したものをなくし、結果個人情報流出の危機をまねいたといふことでは、手帳だらうがPCだらうが同じことだと思ふのだが、ちがふのである。世間はさう見ない。或は見ないこともあるのだ。

世の中のEvernoteやiPhone等の活用術の本に、さういふ視点はない。
つねに至るところでiPhoneは使へるし、ゆゑにEvernoteにもアクセス可能といふことになつてゐる。

さういふ人つて限られてるんぢやないかなあ。
まあでも、四六時中自分のiPhoneなり携帯電話なりモバイル機器なりを使用することのできる人も多いといふことなのだらう、多分。

ライフログ入門の参加者は60名。
写真のEvernoteのステッカは全員に配布されたもの。

What I Got from 101 Lifelog

Moleskineのローラーボールペンは全部で25本あつた。ポケットサイズの罫線ありも25冊。このふたつは太つ腹にも希望者に配られた。よくあるジャンケンとかくじ引きとか一切なし。
Moleskineのローラーボールペンは、自分では絶対買ふことはないだらうと思つてゐたので、是非使つてみたいと思つてゐるし、最近無理矢理Moleskineユーザにさせてしまつた家族に使つてもらつてもいいかな、と思つてゐる。いつも筆記用具を探すのに苦労してゐるやうなので。
そして、Cover Art Collection のウィークリーダイアリーはジャンケンに勝つた結果いただいたもの。ビンゴでは何度かいいものをいただいたこともあるが、ジャンケンで勝つたことはかつてなかつたので、なんだか嬉しい。
今のところ、スケジュール帳としてではなく、普通のノートのやうな使ひ方をしやうと思つてゐるが、外国語で日記をつける練習に使ふなんてのもいいかもしれないなあ。

そんなわけで、まあ、これからも傍から見たら無駄としか思へず、自分から見ても「なんのためにそんなことしてるの?」つてな記録を連綿と取つていくのにちがひない。

Saturday, 01 October 2011

9月の読書メーター

読んだ本の数:5冊
読んだページ数:1693ページ
ナイス数:6ナイス

三銃士 中 (角川文庫)三銃士 中 (角川文庫)
ミラディーが登場すると俄然おもしろくなつてくる。今の感覚でいふと戀といふよりは駆け引き、なのだらうか、これもなかなかおもしろい。ゴロンの「アンジェリク」を読んだ時も「宮廷の戀愛つてわからんわー」と思つたので、近代フランスの貴族の戀愛つてのはさういふもんだつたのかも、と思はないでもない。上巻でも思つたしさう書いてあるけど、リシュリューが存外颯爽とした印象なのがおもしろい。
読了日:09月08日 著者:アレクサンドル・デュマ
モレスキン 人生を入れる61の使い方モレスキン 人生を入れる61の使い方
他人の鞄の中身と手帳の中身を見るのはおもしろい。さういふ意味では読んでゐて楽しい本。イタリア語の勉強をしてゐる人のが参考になるなーと思つた。しかし、基本的に「時間をかける」ことが前提になつてゐるのがMoleskine初心者にはあひかはらず敷居が高いのではないか。あと、P123にある「編み物は、作ったものの大半が贈り物になるというのが素敵な趣味です。」といふのはどうだらう。精々「贈り物になりうる」ではないかな。自分で編んだものはほとんど贈り物になつたことはないよ。
読了日:09月09日 著者:堀 正岳,中牟田 洋子,高谷 宏記
全身翻訳家 (ちくま文庫)全身翻訳家 (ちくま文庫)
フラヌーズ(フラヌールの女性型。逍遙する人とでもいふべきか)の才能はないと書く一方で、旅先でのエピソードのおもしろいこと。なるほど、作家の書くことは信じてはいけないのらしい。普段「他人のことば」で喋つてゐる(書いてゐる)翻訳家ならなほのこと。どこからどこまでがほんとなのー、と思ひつつ、一気に読み終はつた。
読了日:09月10日 著者:鴻巣 友季子
三銃士〈下〉 (岩波文庫)三銃士〈下〉 (岩波文庫)
ミレディー、おそろしい子。ミレディーの魅力に引かされて読み切つた感じ。あらためてリシュリューつて別になんにも悪いことしてないぢやん、と思つた。国王よりもダルタニャンの味方な気がする。最後、ボナシューさんは書いてあるとほりの余生を送つたんだらうとずつと思つてゐたが、今回読んで「……もしかしてそのまま闇に葬られた?」といふ気もしてきた。なぜだらう。いづれにしても、ミレディー、おそろしい子。
読了日:09月22日 著者:アレクサンドル・デュマ
睡眠の科学 (ブルーバックス)睡眠の科学 (ブルーバックス)
Long Sleeperなのに毎日四時間、長くても五時間くらゐしか眠れない。もつと寝なければ、と思つてこの本を読んでみた。「ヒトは動物はなぜ眠るのか」といふ謎についてはまだわからないのだといふ。寝ないわけにはいかないし、寝ずにはゐられない。ほんたうにもつとちやんと寝なければ。睡眠は人生の無駄ではないのだから。
読了日:09月29日 著者:櫻井 武

2011年9月の読書メーターまとめ詳細
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