七月の芝居 新橋演舞場 昼の部
7月16日(土)に新橋演舞場の昼の部を見に行つた。
正直、今月は行かないかも、と思つてゐたが、梅玉の義経だし、久しぶりに勧進帳を見たいかな、といふので行つてきた。
当日、行きのバスや電車の中で突然の差し込みがあり、体調のよくなかつたことが、感想に影響を与へてゐることと思ふ。あらかじめことはつておく。
また、席は三階の上手袖で、上手側半分はほとんど見えなかつたことも書き添へておく。
「鳥居前」を見乍ら、しみじみと「笑也は猿之助に起用されてゐてよかつたなあ」と思つた。ここで静御前ができるのもそのおかげだろう。その証拠に春猿や笑三郎は他の役者が芯となる芝居にも出してもらへてゐるが、笑也は人数合はせのときくらるしか見ることがない。いい役はこの静御前もはじめ、猿之助に引き上げてもらつた役ばかりだ。今回の静御前はだいぶ情の薄いかんじではあつたけれど、イヤなことはしてゐなかつたと思ふ。
義経は門之助。猿之助に父親のあたり役をよくつけてもらつてゐたけれど、これもさうした役のひとつか。先代は「川連法眼館」の義経がよかつた。当代も演じてゐる。今回は、一瞬セリフが昔に戻つてしまつたかと思つたことがあつたが、「堅固で暮らせよ」は風情があつてよかつた。
右近の忠信はきびきび元氣なかんじ。セリフの端々に師匠うつしの影が見えかくれして、ちよつと泣き笑ひ。
「勧進帳」、海老蔵の富樫は、出からして颯爽としてゐてよかつたやうに思ふ。セリフも思つてゐたほど悪くはない……と思つたのは、「新関をたて」あたりまでだつたらうか。しかし、あの節まはしがなくなつたら海老蔵ではないのかもしれない。
梅玉は富樫をやることもあるが、義経の人だと思ふ。「勧進帳」の義経は、女方めいたじめじめ系が多いやうに思ふが、梅玉の義経は憂ひをおびてさはやかである。今回、「最悪富樫は見えなくてもいいや」と思つて席をとつたが、当然「判官御手をとりたまひ」も見えないといふのは大誤算だつた。
四天王に友右衛門、権十郎、松江、市蔵。四天王の配役を案じてゐたが、杞憂だつた。
團十郎の弁慶は、復帰後何度か見てゐるが、病を得る以前と比べると、次第に戻りつつはあるものの、元氣ないなあと思つてゐた。
今回はさういふ心配は全くしなかつた。氣にすることもなかつた。今後もかうだといいなあ。
「勧進帳」は、音楽劇なんだなぁ。富樫の出のセリフから長唄、義経の「如何に弁慶」に弁慶の「はあ」といふ応へ、すべて一緒に唱和したくなる。また、それができるのが「勧進帳」だ。
ただ巳紗鳳にいまひとつ元氣が欠けてゐるやうに見えたのが氣がかりだ。
「楊貴妃」は、宦官なら海老蔵のあの聲セリフ回しでもをかしかないだらうといふので選ばれた演目なんではあるまいか。
そんな邪推をしたくなるほど、何故この芝居をといつた印象しか残らなかつた。
梅玉の玄宗皇帝は、優柔不断な感じがよく出てゐたが、若いころは優秀だつた風があればもつとよかつたんぢやあるまいか。或は大仏次郎の原作にはさういふ設定はないのかなあ。
楊貴妃の三人の姉は……うーん、あれでいいのだらうか。結構好評だつたやうだけど、春猿は手本となる人がゐないとやつぱり昔に戻つてしまふのかなあと、ちよつとがつかり。セリフといふか聲がうはつくんだよね。自分のものになつてゐない感じがする。
どうやら夜の部の方が評判がよかつたやうだ。昼の部にして失敗だつたかな。
でもまあ「勧進帳」を見られたからいいか。
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