苦手なチェルニー
チェルニーは苦手だつた。
ピアノをやめてずいぶんたつ。先生のところへ行かなくなつたのは、中学に入るのとほぼ同時だつた。その後も家にピアノがあつたのでたまに弾いてゐたが、ひとり暮らしをはじめてほとんど弾かなくなつた。弾き手のゐなくなつたピアノは、ほどなく処分された。
はじめてのチェルニーは「チェルニー リトルピアニスト」。それまでは一冊全曲仕上げてから次の本にうつつてゐたが、「リトルピアニスト」は途中でやめて、30番にうつつた。
練習をやめてからも弾いてゐたし、ハノンなどはやめてからの方が熱心にさらつたものだつた。
だが、チェルニーの曲を弾くことはなかつた。
他の作曲家のものなら記憶をたよりに弾ける曲もある。
だが、チェルニーの曲は、あれだけ弾いたはずなのに、一曲も覚えてゐない。
つまんないんだよなー、有体に云つて。
練習するのもつらかつた。正直、一度もさらはずに先生のところへ行つたこともあつたほどだ。あ、だから覚えてないのか。
そんなチェルニーに興味を持つやうになつたのは、御多分にもれず森雅裕の『モーツァルトは子守唄を歌わない』と、それにつづく『ベートーヴェンな憂鬱症』を読んでからだつた。
なに、この、楽しい人。
それがあのチェルニーだとは!
残念乍ら、森雅裕の著作はなかなか手に入らない。江戸川乱歩賞受賞作の復刊とかがあつても、『モーツァルトは子守唄を歌わない』がその仲間に入ることはまづない。
そんなことを考へ乍ら、ツェルニー30番のメモ帳を買つてみた。
なにに使ふか、まだ未定だが、持つてゐるだけでにつこりしてしまふノートだと思ふ。
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