「The Society of Mind」を読む その一
心の社会を持つてゐるはずだつたのだが。
腐海に埋もれて出てこない。
或は「持つてゐる」といふのが記憶違ひなのかも。
といふわけで、原著「Society Of Mind (A Touchstone book)」を読むことにした。
全30章に付録がついてゐるので、一日一章読めば一ヶ月で読めるはず。
「心の社会」といふ邦題から、今でいふ「スピリチュアル系」の人が勘違ひして読むことも多かつたのらしい。内容としては、「mindの仕組みについて」といふ感じかなあ。「心」といふよりは「脳」かもしれない。はたまた「精神」か。しかし「精神の社会」ではやはり「スピリチュアル系」の人々が勘違ひしさうな感じもする。
とりあへず、ここでは「心」といふことにしたい。
この本は、人工知能に関わる人なら大抵は読んでゐる本なのらしい。
人工知能とスピリチュアル系。
……まあ、あんまし関係ないよな。
本には、「心はひとつひとつのちいさな行為(process)からできてゐる」とある。
例へば、お茶を飲む場合は以下のやうな行為が必要だ。
1. ティーカップをつかむこと
2. お茶をこぼさないやうバランスをとること
3. お茶を飲みたいといふ渇き
4. ティーカップを唇まで運ぶこと
そして、それぞれの行為は互ひに独立してゐる。つかむこととバランスをとること、それと運ぶことはなんとなく連携してゐるやうな気もするが、それは「お茶を飲む」といふ行為全体から見てゐるからさう感じるわけで、實は互ひに影響を及ぼさない、といふのだ。まあ確かに、渇きに関してはさうだなあと思ふ。
さらに「エージェント」と「エージェンシー」といふ概念が出てくるが……うーん、ここはよく理解できてゐないんだな。
上で云ふと、お茶を飲むための四つのちいさな行為は「エージェント」で、お茶を飲むことは「エージェント」でありまた「エージェンシー」でもありうる、といふ感じか。
あることを意識することなく行へる場合は「エージェンシー」、意識しだすと「エージェント」といふ理解なのだが、これだとよくわかんないよね。
とりあへず先に進んでみて、わからないやうなら戻ることにしやう。
こんな感じでゆるく読んでいくつもり。
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