「The Society of Mind」を読む その七
第七章は「Problems and Goals」といふ題名。「問題と答へ」かなあ。
「知性(intelligence)」とは何か。
植物や石、嵐や水の流れには人間には知り得ぬ「知性」のやうなものが宿つてゐたりはしないのか。
複雑な形を作り出す珊瑚には知性があるとは云へないか。
また、進化の結果「問題解決」した、それをさして「知性」とはいへないのか。
といふやうな反論に、「知性といふのは、むづかしい問題を解決する力である」と答へる。植物や水の流れは、人間が「知性」を必要とするやうな問題の解決は得意ではなささうだし、珊瑚は遺伝子に組み込まれた情報を利用してゐるだけ、進化には「知性」に必要な即時性が欠けてゐる、んださうな。
コンピュータのすることは、時にバカバカしく見える。請求する金額が0円なのに請求書を作成したり、いつまでもループを繰り返したり。
しかし、かつてコンピュータは複雑な問題を解くために作られてゐた。1956年にはむづかしい数学的論理の問題を解いてゐたし、1961年には大学レヴェルの微積分の問題を解くコンピュータが存在した。
でも、積み木を積むことのできるロボットは1970年代にならないと登場しない。
実は、論理的な問題や微積分は、百前後の「事実(fact)」を積み重ねたもので、しかもその「事実」は似通つたものが多い。えうはその「事実」を知つてゐれば、問題は解ける。
だが、積み木を積むのに必要な情報は百前後では全然足りないし、互ひの関係も複雑だ。
そんなわけで、この本では、一見単純な作業・問題を取り上げてゐるのである。
長いことものごとを習得するには、「報酬」が必要だと云はれてきた。でも、報酬を得るには、まづそれを得るためになにかできることがあるはずだ。
パヴロフの研究・実験によつて、動物は新たな刺激に対して以前から持つてゐる行動で答へることがわかつてゐた。新たな刺激を受けたからといつて、新たな行動が身につくわけではない。ベルの音を聞く以前から、唾液を出すくらゐのことは犬はとつくにやつてゐた、といふわけだらう。
スキナーがそのあたりのことをさらに追究してゐて、知能の高い動物は新たな行動、スキナーの云ふところの「オペラント行動」を身につけることがあることがわかつてゐるけれど、だからといつてスキナーの研究では脳がどのやうにしてさうした「オペラント行動」を生み出したのかまでは明らかにしてゐない。
ここに「difference-engines」といふものが出てくるのだが……どう訳したものだらう。
えうは、実際のできごとと理想的な状況双方を入力して、互ひの差異を埋めた形で答へを導くもの、なんだが。差異機関? でもさうするとバベッジとかのアレになつてしまふしなあ。ディファレンスエンジンだとウィリアム・ギブソンになつちやふし。むづかしい……。
ここで、「この本の大半は記憶(memory)に関することである」といふ話が出てくる。
次章はまさにその「記憶」の章らしい。
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