「The Society of Mind」を読む その二
第二章は全体と部分といふ題。
昨日は、「お茶を飲むといふ行為を形成するカップをつかむとかカップのバランスをとるとかカップを持つた手を動かすとかいふひとつひとつの動作はそれぞれ独立してゐる」とか書いた。
「つかむ」「バランスをとる」「動かす」といふ動作それぞれは確かに独立してゐる。「つかむ」ために「バランスをとる」わけではないし、その逆もまたしかり。「動かす」を入れても同じことだ。
しかし、「お茶を飲む」といふ行為をするためには、各動作間につながりが必要である。
といふやうな内容。
昨日は書かなかつたが、第一章では積み木を積むことを例にあげてゐる。著者は同僚らと積み木を積むロボットを作らうとした、と第二章にはある。
個々の動作をプログラミングして、しかし、その個々の動作を関連づけるのが骨だつたのらしい。
他には「「holistic」とか「gestalt」とかわかつたやうなことばを使つても理解の足しにはならないよ」といふところにうなづくことしきり。
それは、この本における「agent」と「agency」もさうなんだけどね。もつといふと「mind」も。ぴつたりくる日本語が思ひつかないから、わかつた気になつてもうまく説明できない。
第二章には「脳を作つてゐるのは無数の細胞で」といふやうな話が出てくる。ここでいふ「mind」はやはり「心」といふよりは「脳」なんだらう。
でもまだこのまま「心」でいくつもりだ。
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