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Tuesday, 11 January 2011

「The Society of Mind」を読む その八

第八章には「記憶の理論」といふ題名がついてゐる。

まづ、知識ライン(Knowledge-line。略してK-line)といふ概念が出てくる。
英辞郎などには「知識ライン」と出てくるが、内容的には「知識の経路」といつた趣だらうか。
どのやうなものか、自転車修理にたとへた説明がある。
はじめて自転車を修理する時に、使用した工具にひとつひとつ赤い印をつけていく。次に自転車を修理する時は、赤い印のついてゐる工具を使へばいい、といふ具合。
さういふ具合に、過去に経験したことがら(agent)を結びつけるのがK-lineである。

はじめて問題Pを解いたときのK-lineは、普段は不活動状態にあるが、似たやうな問題Qに直面したとき、あるいは似たやうな問題Qに直面したと認識したときに、活性化する。ここで、問題Q用のK-lineが新たにできる。

過去に直面した問題と類似した問題に出くはした場合、過去の問題のK-line全体を現在の問題に紐づけるわけではない。類似の度合ひが強いものが紐づけられる。これをlevel-bands理論といふ。

たとへば、家を建てやうといふときに、こどものときの積み木で遊んだ経験が役に立つ。
役には立つが、すべての経験が役に立つわけではない。積み木を積み始めるとか積み木を追加するなんてなものはあまり役には立たない。必要なものを「見つける」とか必要なものを「入手する」とか必要なものを「置く」などといつた、中間レヴェルの作業(agent)は役に立つ。

K-lineの形状もまた、level-bands理論にしたがつてゐると仮定する。さうしないと、たいへん混乱した状態になるからである。

……ほかにもいろいろ書いてあるんだけど、まあ、おほよそこんなところだらうか。
K-lineといふのは、よく云はれるシナプスのやうなものだらうか。常にonの状態ではないが、なにか刺激があると電気が走つて記憶が蘇る、といつたやうな感じのことなんだらうと思つてゐる。

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Monday, 10 January 2011

「The Society of Mind」を読む その七

第七章は「Problems and Goals」といふ題名。「問題と答へ」かなあ。

「知性(intelligence)」とは何か。
植物や石、嵐や水の流れには人間には知り得ぬ「知性」のやうなものが宿つてゐたりはしないのか。
複雑な形を作り出す珊瑚には知性があるとは云へないか。
また、進化の結果「問題解決」した、それをさして「知性」とはいへないのか。
といふやうな反論に、「知性といふのは、むづかしい問題を解決する力である」と答へる。植物や水の流れは、人間が「知性」を必要とするやうな問題の解決は得意ではなささうだし、珊瑚は遺伝子に組み込まれた情報を利用してゐるだけ、進化には「知性」に必要な即時性が欠けてゐる、んださうな。

コンピュータのすることは、時にバカバカしく見える。請求する金額が0円なのに請求書を作成したり、いつまでもループを繰り返したり。
しかし、かつてコンピュータは複雑な問題を解くために作られてゐた。1956年にはむづかしい数学的論理の問題を解いてゐたし、1961年には大学レヴェルの微積分の問題を解くコンピュータが存在した。
でも、積み木を積むことのできるロボットは1970年代にならないと登場しない。
実は、論理的な問題や微積分は、百前後の「事実(fact)」を積み重ねたもので、しかもその「事実」は似通つたものが多い。えうはその「事実」を知つてゐれば、問題は解ける。
だが、積み木を積むのに必要な情報は百前後では全然足りないし、互ひの関係も複雑だ。
そんなわけで、この本では、一見単純な作業・問題を取り上げてゐるのである。

長いことものごとを習得するには、「報酬」が必要だと云はれてきた。でも、報酬を得るには、まづそれを得るためになにかできることがあるはずだ。
パヴロフの研究・実験によつて、動物は新たな刺激に対して以前から持つてゐる行動で答へることがわかつてゐた。新たな刺激を受けたからといつて、新たな行動が身につくわけではない。ベルの音を聞く以前から、唾液を出すくらゐのことは犬はとつくにやつてゐた、といふわけだらう。
スキナーがそのあたりのことをさらに追究してゐて、知能の高い動物は新たな行動、スキナーの云ふところの「オペラント行動」を身につけることがあることがわかつてゐるけれど、だからといつてスキナーの研究では脳がどのやうにしてさうした「オペラント行動」を生み出したのかまでは明らかにしてゐない。

ここに「difference-engines」といふものが出てくるのだが……どう訳したものだらう。
えうは、実際のできごとと理想的な状況双方を入力して、互ひの差異を埋めた形で答へを導くもの、なんだが。差異機関? でもさうするとバベッジとかのアレになつてしまふしなあ。ディファレンスエンジンだとウィリアム・ギブソンになつちやふし。むづかしい……。

ここで、「この本の大半は記憶(memory)に関することである」といふ話が出てくる。
次章はまさにその「記憶」の章らしい。

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Sunday, 09 January 2011

「The Society of Mind」を読む その六

第六章の題は「Insight and Introspection」。普通に訳すと「洞察力と内省」だらうか。しかしここでは接頭辞の「in」に注目したいところだ。「ものごとの本質を見ること」と「それを如何にして見るのか」といふことかと思ふ。

今回もよく理解できてゐない。
最初に、「車の仕組みはわかつてゐないけれど運転はできる」といふ話からはじまる。さらには、「身体の仕組みはよくわからないけれど歩くことはできる」とつづく。「考へるとはどういふことなのか知らなくても考へられる」し、「アイディアとはどういふものか知らなくてもアイディアを思ひつく」。
そこには「意識」が関与してゐる。意識といふものは表層に過ぎず、実際には意識に上がらない無数の処理が動いてゐる。

思考といふものをテストしやう、といふ話になつて、コンピュータプログラムのデバッギングの話が出てくる。デバッギングによつて、新たなプログラムが他に悪影響を及ぼさないことを確認する。しかし、テスト対象のプログラムがデバッギング用プログラムに影響を与へることがある。ゆゑに、大抵のデバッギング用プログラムには、割込を監視する機能がついてゐて、他のプログラムによるデバッギング用プログラムの変更を阻止するやうになつてゐる。
だが、脳に対して同じやうな機能をもたせることはむづかしい。

たとへば、脳をAとBのふたつにわけて考へてみやう。Aは外の世界を見聞きすることができる。BはAしか認識できない。Aが体験したことをBも知ることはできる。Aに問題が起こつたらBが制御する。

……うーん、ダメだな。ここから先はうまく説明できない。
思ひつくままに書いてあつたことを並べるとこんな感じだらうか。

人は新たなものに出会つたとき、既に知つてゐるものと比較する、と、筆者は考へてゐる。「自分の知つてゐる車と似てゐるからこれもまたある種の車だらう」とか「自分の知つてゐる家に似たものだからこれは住居の一種だらう」とか。仮に宇宙人が家を建てたとして、それが地球上の家とは似ても似つかぬものであつた場合、人はそれを見て「家である」とは認識できないだらう。

「現在」とはいつの時点のことをさすか。「今、何を考へてゐますか」ときかれて、正確な答へを出すことができるか。たとへば「針の落ちる音を聞いた」とは云ふが、「針の落ちる音を聞いてゐる」とは云はない。同様に「たつた今戀してゐた」とは云はないが「今戀してゐるんだ」とは云ふ。

人が完全に感情などを制御できるやうになつたら危険である。なにごとも達成することなしに達成感を得られるやうになつたらおしまひだ。

なんてなところかなあ。
この章はこれまでより節が多くてもつと内容もあるはずなんだけど。
明日以降、不足分があつたら足すやうだらうな。

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Saturday, 08 January 2011

「The Society of Mind」を読む その五

第五章は「Identity」といふ題名。辞書を引くと「自己同一性」などとなつてゐるが、どちらかといふと、「自分が自分であることの証明」といふやうな意味で使はれることばなのではないかと思ふ。

昨日第四章のところで思ひきり無視してしまつたが、第四章にはライヴァルの教授が出てくる話がある。
今自分は「働」いてゐるが、どうも疲れてきて「眠」たくなつてきた。ところがそこに、ライヴァルの教授が同じやうな研究をしてゐてどうやら成果があがつてゐるのらしいといふ噂がやつてくる。ライヴァルの教授に出し抜かれてはならじ、といふ「怒」りが、「眠」りたいといふ気持ちを押しのけて、「働く」気持ちをもりたてる。

そんなやうな話である。

これについての詳しい話は昨日のエントリに追加するとして、第五章では「働く」と「眠る」と、どちらかが先に存在するのか、といふところからはじまる。
「疲れた気がするから家に帰りたい」のか「家に帰りたいから疲れた気がする」のか。
鶏が先か玉子が先か。
この場合、どちらが先でもかまはないし、どちらが先でもたいした違ひはない。
かういふときは「ものごとを整理する」などと称してどちらが先かを決めたりする。

同じやうなことはむづかしい問題に対する答へを求めるときにも起こる。
たとへば「宇宙のはじまりはなにか」とか「生きる目的はなにか」、「なにをもつてどの信条が正しいかを見極めるのか」や「なにが正しいかどうやつて見分けるのか」といつたやうな問題に対しては、人は思考停止しがちである。
こどもがそんな質問をしてきたら「Just because」と答へる、といふやうなやり方のこと。

むづかしい質問への答へがわからない場合でも、なにかしら答へを見つけ出してはくる。
こちらもたとへば「脳を制御してゐるのはなに?→心(mind)」「ぢやあ心(mind)を制御してゐるのは?→自我(Self)」「その自我(Self)を制御してゐるのはなに?→自我自身」といふ具合に。
脳や心、自我を擬人化すると、たとへば心は巨大な画面を前にして脳のすることを監視してゐる、同様に自我は心のすることを監視してゐる。ぢやあ自我自体は? また別の自我が同様に監視してゐるのか。でもそれつて、無限に自我があることになるんぢやないか。
さうなるのは、心(mind)の大部分が言語化可能な意識の外にあるからだ、と、本にはある。

よく「ただ好きなんだよ」とか「(あるものを)好きなことに理由なんかないよ」といふやうなことを云ふことがある。
実際、どちらも同じやうに好きなもの同士からひとつだけ選ぶのは大変むづかしいことだけれども、さういふときほどどちらを選んでもさしてかはりはないのしらい。
そらさうだな、どちらも同じやうに好きなんだものな。

人にはそれぞれ個性・特性があるけれども、それは単に表面にでてきたものに過ぎない。
行動としてあらはれないはたらきややり方がたくさんあつて、それがわからないと自分自身のことだつてわかつたことにはならない。

最後は、生まれたときからあなたはずつとあなたか、といふ質問で終はる。字を読めるやうになつてからのあなたもそれ以前と変はらない存在か、といふこと。
これは精神面だけでなくてもさうだな。細胞は定期的に新たに作られてゐて古い細胞は死んでいく。だつたら生まれたときの自分と今の自分が同じだといふなら、それはどこが同じなのだらうか。

といふ問ひに次の章から答へていくのかなあ。一日一章だとそこらへんが謎である。
今回は、できるだけ各節の要約を書いてみた。これまでは章単位に「ここらへんを書いていけばいいだらう」と思つたところだけ書いてきたが、それだと次の章に入つてからの抜けが多いからだ。

……ま、できるところまで、といふことにしたいけど。

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Friday, 07 January 2011

「The Society of Mind」を読む その四

第四章はヴォネガットのことばからはじまる。

「We are what we pretned to be, so we must be careful about what we pretend to be.」

pretend には「〜のふりをする」とか「装ふ」といふ意味があるが、えうは、「自分は、自分でかうだと信じてゐる自分である」といふことではなからうかと思ふ。
ほんとのところはよくわかんないけど、自分で自分自身はかういふ存在だと考へてゐる、みたやうな。

といふわけで、「self」の話である。
本の中では「self」と「Self」をわけてゐて、「self」は一般的な意味、「Self」はまちつとちがふ意味で用ゐたい。とある。多分、「Self」は「mind」と同列といふか似たやうなものとして論じたいときに使ふんだらうな、と思ふ。

といふのは、「自分つて、いろいろあるよね」といふ話が出てくるからだ。
「自分はかう考へる」「自分はこれがほしい」「自分はかう感じる」といふ単体の自分と、「自分の中の天使はかういふんだけど、悪魔はちがふことをいふんだ」といふやうないろいろある自分。
このいろいろある「Self(自分)」つて、いろいろあるagentsからなるagent(あるいはagency)といつしよだよね、といふ風に話は進むんぢやないのかなあ、と、これは予想。さう書いてあるのかもしれないが、そこまで読み取れてゐない。

ほかには、ひとつひとつの作業は完了できても、長期目標やいくつもの作業をこなさないと完了しないやうな仕事つてなかなか達成できないよね、といふ話もでてくる。自分の中にいろいろある利害や欲望が対立するからだ、といふ。
これはちよつと個人的に考へてみたいところ。
日々の作業はできても、もつと全体的なことといふか大きなことはなかなか達成できないからだ。
日々の作業をこなすうち、「やりたいこと」が埋もれていつてゐるからだ。

追記(2011/01/09):
昨日は端折つてしまつたが、第四章にはこんな話も出てくる。

今自分は「働」いてゐるが、どうも疲れてきて「眠」たくなつてきた。ところがそこに、ライヴァルの教授が同じやうな研究をしてゐてどうやら成果があがつてゐるのらしいといふ噂がやつてくる。ライヴァルの教授に出し抜かれてはならじ、といふ「怒」りが、「眠」りたいといふ気持ちを押しのけて、「働く」気持ちをもりたてる。

なんでこんなに回りくどいのか。もつと単純に直接的にやりたいことをやればいいぢやあないか、と、本にはある。
でも、直接的になると、たとへば「怒」る気持ちと「働く」が直結したら即戦ひになつてしまふし、「働」きたいといふ思ひが「眠」りたいといふ気持ちを押しのけてばかりゐたら即過労状態に陥つてしまふ、のだとか。

自制のはたらきはほとんど無意識のうちに行はれる。このライヴァルの教授の話も自己の制御をする例のひとつ。ほかにも自制の方法がいくつかあげられて、それから昨日書いた長期目標の話にうつつていく。

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Thursday, 06 January 2011

「The Society of Mind」を読む その三

第三章は葛藤と妥協。conflictは葛藤といふよりは対立か。

もつと早くにつみきの話にうつつておくべきだつたんだな。
第一章にこどもがつみきを積む話がでてくる。「つみきを積む(Builder)」にはつみきを探したりつみきをつかんだりつみきをすでに積んであるつみきの上に乗せたりする動作が必要である。
第二章では、これを人工知能にさせやうとしたといふ話が出てくる。カメラやアームのやうなものといつたハードを用意したり、それぞれを動かすプログラムを組んだり、そしてプログラム同士を連携させるプログラムをさらに書いたり、といふ話。

第三章では、こどもはつみきを積むと同時に、積んだものを壊す(Wrecker)のも好きだよね、といふところからはじまる。壊すにはまづ積まないといけない。そこでつみきを積み始めるんだが、つみきを積む方はもつと高く積みたいといふ欲求があるのに対し、壊す方はもうこれくらゐの高さでいいと思ふ、そこに対立が生まれる。

つみきを積むのも壊すのも「つみきで遊ぶ」といふ行為にぶらさがるもので、「つみきで遊ぶ」は「遊ぶ」にぶらさがる。「つみきで遊ぶ」と同列には「人形で遊ぶ」や「動物と遊ぶ」がある。また「遊ぶ」と同列には「食べる」や「眠る」がある。

「遊ぶ」とは無関係に「食べ」たり「眠」つたりしたい、といふ欲求が生じる。
たとへば「遊ぶ」と「食べる」が対立した場合、対立状態が長引くと「遊」びたいとか「食べ」たいといふ欲求はしだいに弱まり、ほかの行為に対する欲求が強くなる。
……さうかなあ。
まあしかし、本にはさう書いてある。

で、すでに書いたとほり、なにかをしたいとかなにかをするつてのは階層構造になつてゐる。「遊ぶ」の下に「つみきで遊ぶ」「人形で遊ぶ」「動物と遊ぶ」などがぶらさがつてゐて、「つみきで遊ぶ」の下には「つみきを積む」「つんだ積み木を壊す」があつて、さらにその下には……といふ具合。

ただし、さうした階層構造はつねに上から下へといふ風にはなつてなくて、たとへば手前のつみきの向かふにあるつみきを確認するには、手前のつみきを「動か」して「見る」必要があるが、「動かす」には途中に障害物がないことを「見」て確認する必要がある。つまり「動かす」と「見る」は同時に互ひを必要としてゐる。

うーん、だんだんうまくまとめられなくなつてるなあ。書いてあることをぱらぱらと書くだけになつてゐる。
この先、理解できなくて戻つてくることになりさう。

ま、それもすでに折り込み済みではあるのだが。

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Wednesday, 05 January 2011

「The Society of Mind」を読む その二

第二章は全体と部分といふ題。

昨日は、「お茶を飲むといふ行為を形成するカップをつかむとかカップのバランスをとるとかカップを持つた手を動かすとかいふひとつひとつの動作はそれぞれ独立してゐる」とか書いた。
「つかむ」「バランスをとる」「動かす」といふ動作それぞれは確かに独立してゐる。「つかむ」ために「バランスをとる」わけではないし、その逆もまたしかり。「動かす」を入れても同じことだ。

しかし、「お茶を飲む」といふ行為をするためには、各動作間につながりが必要である。

といふやうな内容。

昨日は書かなかつたが、第一章では積み木を積むことを例にあげてゐる。著者は同僚らと積み木を積むロボットを作らうとした、と第二章にはある。
個々の動作をプログラミングして、しかし、その個々の動作を関連づけるのが骨だつたのらしい。

他には「「holistic」とか「gestalt」とかわかつたやうなことばを使つても理解の足しにはならないよ」といふところにうなづくことしきり。
それは、この本における「agent」と「agency」もさうなんだけどね。もつといふと「mind」も。ぴつたりくる日本語が思ひつかないから、わかつた気になつてもうまく説明できない。

第二章には「脳を作つてゐるのは無数の細胞で」といふやうな話が出てくる。ここでいふ「mind」はやはり「心」といふよりは「脳」なんだらう。
でもまだこのまま「心」でいくつもりだ。

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Tuesday, 04 January 2011

「The Society of Mind」を読む その一

心の社会を持つてゐるはずだつたのだが。
腐海に埋もれて出てこない。
或は「持つてゐる」といふのが記憶違ひなのかも。

といふわけで、原著「Society Of Mind (A Touchstone book)」を読むことにした。
全30章に付録がついてゐるので、一日一章読めば一ヶ月で読めるはず。

「心の社会」といふ邦題から、今でいふ「スピリチュアル系」の人が勘違ひして読むことも多かつたのらしい。内容としては、「mindの仕組みについて」といふ感じかなあ。「心」といふよりは「脳」かもしれない。はたまた「精神」か。しかし「精神の社会」ではやはり「スピリチュアル系」の人々が勘違ひしさうな感じもする。
とりあへず、ここでは「心」といふことにしたい。

この本は、人工知能に関わる人なら大抵は読んでゐる本なのらしい。
人工知能とスピリチュアル系。
……まあ、あんまし関係ないよな。

本には、「心はひとつひとつのちいさな行為(process)からできてゐる」とある。
例へば、お茶を飲む場合は以下のやうな行為が必要だ。
 1. ティーカップをつかむこと
 2. お茶をこぼさないやうバランスをとること
 3. お茶を飲みたいといふ渇き
 4. ティーカップを唇まで運ぶこと
そして、それぞれの行為は互ひに独立してゐる。つかむこととバランスをとること、それと運ぶことはなんとなく連携してゐるやうな気もするが、それは「お茶を飲む」といふ行為全体から見てゐるからさう感じるわけで、實は互ひに影響を及ぼさない、といふのだ。まあ確かに、渇きに関してはさうだなあと思ふ。

さらに「エージェント」と「エージェンシー」といふ概念が出てくるが……うーん、ここはよく理解できてゐないんだな。
上で云ふと、お茶を飲むための四つのちいさな行為は「エージェント」で、お茶を飲むことは「エージェント」でありまた「エージェンシー」でもありうる、といふ感じか。
あることを意識することなく行へる場合は「エージェンシー」、意識しだすと「エージェント」といふ理解なのだが、これだとよくわかんないよね。

とりあへず先に進んでみて、わからないやうなら戻ることにしやう。

こんな感じでゆるく読んでいくつもり。

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Monday, 03 January 2011

箱根駅伝が終はると正月休みも終はる

タイトルのまんまだが。
箱根駅伝の中継も演出過多でどうかと思ふが、その他の番組よりはそれでもまだましなことに、終はつてから気づく。
毎年のことだ。

年々、見たいと思ふTV番組が減つてゐる。
年を取つたから、といふ説もある。
つまり若い人は喜んで見てゐるといふことか。
うーん、さうなんだらうか。

お笑ひ番組とかは好きで結構見てゐる方だと思つてゐるんだが、あんまりさういふ番組ばかりだと、好きなはずの芸人の出番でも苛々してくることがある。

疲れてるのかな。
休みなのに?

年々、「正月気分」の番組を放映する期間が長くなつてゐる気がする。
見なけりやいい。
それだけの話なんだがね。

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Sunday, 02 January 2011

分相応に暮らす

2011年は実現可能な目標を立てやう。
年末にそんなことを考へてゐた。
できなかつた。

一応、「あんなことをしやう」「こんなことをしやう」と考へはした。
考へただけで、具体的な目標や行動にたどりつくことはなかつた。

年が明けてから、つらつら考へてみたが、とりあへず今年は「分相応に生きたい」といふところにたどりついた。

たとへば、芝居を見に「遠征」するなら、できるだけ日帰りする、とか、できるだけ安い席で見る、とか、ほかの楽しみはあきらめる、とか。
萬年筆だつてもうこれ以上は必要ないはずだし、手帳やメモ帳にしても同じことだ。
毛や毛糸もできるだけ買はないやうにして、手持ちのもので紡いだり編んだりする。
本もさう。「積読」状態のものから読んでいく。

あんまり我慢してばかりだとどこかで爆発するので、適度に発散しつつ、なるべく「ちいさくちいさく」暮らしてみたい。

ムリかな。ムリかも。

とりあへず、「遠征」予定を立て、編んだり紡いだりするものの考へて、それに従つていけば目標に近づけるんぢやないかなあとは思つてゐるんだがね。

甘いか。甘いね。

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Saturday, 01 January 2011

2010年の読書メーター


読んだ本の数:38冊
読んだページ数:11199ページ

おみごと手帖おみごと手帖
高校生のころから好きで読んでゐる中野翠。しかしここ数年、年末に出版される本の内容にはうなづけない部分が多い。おそらく中野翠も自分も変はりつつあるといふことだらう。でもやつぱり「うんうん」とうなづいてしまふ点も多い。今回一番「さうさう!」と思つたのは「私は万事に半信半疑だなあ。信じ切ることも疑い抜くこともできない。」といふくだり。
読了日:01月01日 著者:中野 翠
人に聞けない大人の言葉づかい (中経の文庫)人に聞けない大人の言葉づかい (中経の文庫)
書いてあることはもつともだし、云ひたいことはわかるけど、でも、それはもう今云つても手遅れなんでは、といふことも多い。「よろしかったですか」を否定的にとらへてゐないのにはちよつと驚いた。
読了日:01月12日 著者:外山 滋比古
The Fourth Bear: A Nursery CrimeThe Fourth Bear: A Nursery Crime
やつぱりおもしろいJasper Fforde。ジャックが「人間」ではないことが奥さんにばれてしまったり、メアリーと異星人アシュリーとのちよつと奇妙でちよつと切ない戀物語とかあつたり、本筋以外にも「どうなるの」とハラハラする場面多し。やー、本邦にもかういふ作家ゐないかな。探してみるかな。
読了日:01月24日 著者:Jasper Fforde
太陽の塔 (新潮文庫)太陽の塔 (新潮文庫)
ひ弱なるがゆゑに殊更「男汁」などと書き散らす、そんないつの世にもゐる男子学生の物語だなあ。でもかういふ人の方が「男汁」が濃いのかもしれない。かういふ紆余曲折があつた方が世の中後々楽しい。そんな気もする秋のゆふぐれ。
読了日:01月27日 著者:森見 登美彦
私の国語教室 (文春文庫)私の国語教室 (文春文庫)
少数派の意見は過激かつ過剰になりがちだ。崖つぷちにゐるからである。あとがないからである。たとへばローマ字入力をする人間はかんたんに「かな入力なんて近いうちになくなつて当然」といふやうなことを口にする。だがそれはかな入力者には死活問題だ。必死にかな入力の必要性を説くが、ローマ字入力者にはその必死さが伝はらない。福田恆存も、そんなかな入力者のやうな気持ちでこの本を書いたのにちがひない。
読了日:02月05日 著者:福田 恒存
後宮小説 (新潮文庫)後宮小説 (新潮文庫)
日本ファンタジーノベル大賞の敷居が高いのもむべなるかな。退屈だから叛乱、とか、今読んでも好きだなあ。物語の終はつた後もいろいろ想像(妄想)できるし。今回読んでゐて筒井康隆の影を見た気がした。そこらへんが読み手の限界。
読了日:02月12日 著者:酒見 賢一
ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを (ハヤカワ文庫 SF 464)ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを (ハヤカワ文庫 SF 464)
はじめて読んだヴォネガット。三原順の「はみだしっ子」で引用されてゐたのがきつかけ。といふわけで キルゴア・トラウトとは最初からお知り合ひな気分がしてゐた。浅倉久志を偲んで。 
読了日:02月18日 著者:カート・ヴォネガット・ジュニア
ノーストリリア (ハヤカワ文庫 SF ス 4-5) (ハヤカワ文庫SF)ノーストリリア (ハヤカワ文庫 SF ス 4-5) (ハヤカワ文庫SF)
失敗した。「鼠と竜のゲーム」あたりから手をつけるべきだつた。浅倉久志追悼読書としてつひ手にとつてしまつたが、大失態だ。はじめて読んだときは全然そのおもしろさがわからなかつた。数年後に読んだら「なんでこのおもしろさがわからなかつたんだらう」と思ふほどおもしろかつた。今回は読後にしんみりとした気分になつた。また読みなおしてみやう。さういふ気になる物語。
読了日:03月02日 著者:コードウェイナー・スミス
時事ネタ (文春文庫 と 23-1)時事ネタ (文春文庫 と 23-1)
人はなぜとり・みきを読んでしまふのか。「人は」ぢやないか。「自分は」か。
読了日:03月19日 著者:とり みき
九百人のお祖母さん (ハヤカワ文庫SF)九百人のお祖母さん (ハヤカワ文庫SF)
うそつき!
読了日:03月31日 著者:R.A. ラファティ,R・A・ラファティ,浅倉 久志
筒井漫画涜本ふたたび筒井漫画涜本ふたたび
「ふたたび」相見えることになるとは思はなかつたので、つい手にしてしまつた。誰がなにを選んだのかといふ点が一番おもしろいかな。「みたび」があるのかどうかといふのも気になる。
読了日:04月18日 著者:筒井 康隆
分解 (ちくま文庫)分解 (ちくま文庫)
小説のあり方を憂ふ人の書く小説。解説もあとがきもないのがまたいい。
読了日:04月27日 著者:酒見 賢一
敵は海賊・正義の眼 (ハヤカワ文庫JA)敵は海賊・正義の眼 (ハヤカワ文庫JA)
精神凍結。そんな技もあつた。解説もあとがきもない潔さやよし。
読了日:05月09日 著者:神林 長平
文房具を楽しく使う ノート・手帳篇 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)文房具を楽しく使う ノート・手帳篇 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
効果的に使へなくてもいい。文房具は楽しく使つてほしい。さういふ感じでひとつ。「…………と感じるやうになるものですよ」といふ書き方に押し付けがましさを感じないでもないが、細かいことは気にしない気にしない。
読了日:05月12日 著者:和田 哲哉
入門! システム思考 (講談社現代新書)入門! システム思考 (講談社現代新書)
最初の例が少しばかりくどすぎるか。ここに出てきた例をループ図にしてくれればいいのにと思つたが それだとちよつと「入門」にはむづかしすぎるのか。最初の一歩としてはふさはしい本なのだらうといふ気がする。ここに紹介されてゐる本を読んでみるつもり。 
読了日:05月18日 著者:枝廣 淳子,内藤 耕
システム・シンキング入門 (日経文庫)システム・シンキング入門 (日経文庫)
因果ループ図の例題・課題が豊富。これだけでもそれなりに描けるやうになると思ふ。ものごとを図に起こすことに不案内な人はまづ「入門! システム思考」を先に読むとよいかもしれない。考へやアイディア、ものごとの仕組みを図にすることに慣れてゐる人にはこの本から入るとよいかと思ふ。
読了日:05月24日 著者:西村 行功
ファシリテーション入門 (日経文庫)ファシリテーション入門 (日経文庫)
冒頭部分は、ファシリテーションに興味のある人なら云はずもがなのことのやうにも思ふ。傾聴や質問の技術は自分でも試してみたい。あと、題名がどうかなあ。「ファシリテーション」の悲劇は、「facilitation」をうまい日本語に訳すことができなかつたこと、その上うまい略語も生み出せなかつたことにある。せつかくよささうなのに、これでは広まることはないだらう。少なくとも、家に帰つて家族に「ファシリテーションがさー」と云つても話の通じる日はおそらく来ない。実にもつたいない。学級会でだつて使へさうなのに。
読了日:05月26日 著者:堀 公俊
語り手の事情 (文春文庫)語り手の事情 (文春文庫)
なんとなく「言葉遣い師」に似てるなぁ、と、初めて読んだ時も思つた。ここが読み手の限界。
読了日:06月07日 著者:酒見 賢一
死ねばいいのに死ねばいいのに
さうか。死ねばいいのか。
読了日:06月19日 著者:京極 夏彦
トヨタ式「改善」の進め方―最強の現場をつくり上げる! (PHPビジネス新書)トヨタ式「改善」の進め方―最強の現場をつくり上げる! (PHPビジネス新書)
愛知県出身のイチローはなぜトヨタ自動車のCMに出演しないのか。その答へはこの本の中にはない。だが、その問ひを常に念頭に置きつつ読みたい一冊である。
読了日:06月23日 著者:若松 義人
ロジカル・シンキング入門 (日経文庫)ロジカル・シンキング入門 (日経文庫)
自分には「ロジカル・シンキング」は無理だなあ。だつてめんどくさいもの。でも自分の好きなことやものへの批判を読みたがり知りたがるのは「論理的」であることへの憧れか知らんとも思ふ。そんな一冊。 
読了日:07月06日 著者:茂木 秀昭
最強組織の法則―新時代のチームワークとは何か最強組織の法則―新時代のチームワークとは何か
前半はよかつたが、途中から突然読みづらくなる。おそらく翻訳のせゐ。「防御慣例」つて……云ふの? 「慣例的な防御」とか「慣例と化してしまつた防御」とか、さういふ感じなんぢやなからうか。原書にあたるしかないか。あと、「経営者みづから」とか「リーダーが率先して」とかあると、「うーん、それは、無理」と思つてしまふ。自分がトップを動かすしかないのかー、でもどうやつて、と、途方にくれてしまふからである。まあ、「リーダー」を自認する人にはいいのかもしれないが。
読了日:07月14日 著者:ピーター・M. センゲ
英語文章読本英語文章読本
やつぱり文学つてよくわかんないや、といふのが素直なところ。「英語」と題名にはあるけれど、「英語」に限らない内容だと思ふ。まえがきに書かれてゐる文学に不信感をいだいてゐるヒゲ太の仲間としては、おもしろかつたけど、でも不信感は拭ひきれないつてな感じかな。
読了日:08月01日 著者:阿部 公彦
泣き虫弱虫諸葛孔明〈第1部〉 (文春文庫)泣き虫弱虫諸葛孔明〈第1部〉 (文春文庫)
蘊蓄好きにはたまらぬ一冊。かつて内藤陳が「いろんな作家のいろんな三国志を読んでみたい」と云つてゐたことがあつた。「それもおもしろいかもね」と思つたあの日、まさかこんな三国志に出会ふことにならうとは、お釈迦様でも気がつくめえ。個人的には、趙雲が普通の人に見えるのは、関羽・張飛のそばにゐたから、といふのに、ひざを打つことしきりだつた。
読了日:08月16日 著者:酒見 賢一
虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)
38Pでやつと主人公の人種がわかる。第二部に入らないと主人公の年齢がわからない。相当進んでからどういふ世界なのか判明する。読みながら頭に描いてゐた世界を壊しては構築し壊しては構築しながらでないと読めない。いろいろ頭に思ひ描きながら読む人には向かない小説かと思ふ。そして、この小説にとつてはそんなことはどうでもいいことなのである。頭文字Dとエヴァンゲリオンとハーラン・エリスンとモンティ・パイソン。これが読み手の限界である。
読了日:08月19日 著者:伊藤 計劃
ビールを楽しむドイツ語ビールを楽しむドイツ語
「ドイツ行きてー」心に火をつける一冊。観光地よりも現地の人が普通に立ち寄る場所に行きたい自分には目の毒……ではなく、背中を押してくれる一冊かも。細かい味の表現はほかのドイツ語本にはなかなかないのではなからうか。さういふ点もいい。
読了日:08月25日 著者:ヤン ヒレスハイム
老子 (岩波文庫)老子 (岩波文庫)
はじめて「小国寡民」を知つた時、それは自分が学んでゐることはすべて無駄といふことか、と思つた。学べば学ぶほど、「小国寡民」の方がいい気がしてくる。しかし、さうなのか。「小国寡民」であれば、コーランを燃やすなどといふ蛮挙に出ることはなくなるのか。さうは思ひたくないが、今は思はざるを得ない。
読了日:09月10日 著者:老子
モレスキン 「伝説のノート」活用術~記録・発想・個性を刺激する75の使い方モレスキン 「伝説のノート」活用術~記録・発想・個性を刺激する75の使い方
かういふ「指南書」を買つてノートなりなんなりを使ひこなせるやうになる人つてどれくらゐゐるんだらう。GTDをノートの使ひ方にもあてはめてみた部分はおもしろいが、肝心のGTDの説明のところで、「受信箱(INBOX)」と「アクション・リスト」の関係がわかりづらい。あと、「スケッチが下手」と「ラフなスケッチ」はちがふものだと思ふなあ。HowTo本好きにはおすすめ。
読了日:09月18日 著者:堀 正岳,中牟田 洋子
ほぼ日手帳 公式ガイドブック 2011 いっしょにいて、たのしい手帳と。ほぼ日手帳 公式ガイドブック 2011 いっしょにいて、たのしい手帳と。
やつぱり絵が描けるつて羨ましいなあ。自分のほぼ日手帳はみつしり字ばかりだ。それにしても、みんなほぼ日手帳で足りるんだらうか。全然足りないので別の手帳なりノートなりにあれこれ書き込んで、ほぼ日手帳には一日のまとめを書くやうな状態なんだが。それでも来年もまた使ふけどね。
読了日:09月24日 著者:
文藝別冊 萩尾望都 少女マンガ界の偉大なる母文藝別冊 萩尾望都 少女マンガ界の偉大なる母
萩尾望都を読むやうになつたのはマンガを読むやうになつてだいぶたつてからだつた。当時週刊少女コミックには「洗礼」といふそれはおそろしいマンガが連載されてゐて、怖くて読めなかつたためかと思はれる。森博嗣との対談では「一度かいてしまつたものをもう一度書く気にはならない」といふやうなことを云つてゐたが、この本では「若い頃はかけたものでも年を取るとかけなくなる」といふやうな云ひ方をしてゐた。どちらも真なのだらう。アシスタントの方の話が一番おもしろかつたな、自分は。
読了日:10月21日 著者:
昭和恋々―あのころ、こんな暮らしがあった (文春文庫)昭和恋々―あのころ、こんな暮らしがあった (文春文庫)
昭和の特に東京それも都心のこと、とことはつた方がいいやうな内容。写真は長野やその他の地域のものもあるにはあるが、文章は基本的には東京のことを書いてゐる。著者二人、特に山本夏彦の記憶にある東京は、今に比べたらずつと豊かだつたのかもしれない、といふ気になる。誰しも記憶の中のあの日の姿はうつくしいものではあるけれど。
読了日:10月23日 著者:山本 夏彦,久世 光彦
時の娘 ロマンティック時間SF傑作選 (創元SF文庫)時の娘 ロマンティック時間SF傑作選 (創元SF文庫)
本邦初公開とか、雑誌に一度発表されたきりとかつて、つまりは「そんなにおもしろくない作品」といふことなのかなあ。時を隔てた話とかは好きなはずなんだけど。切なさ不足なのかも。
読了日:10月27日 著者:R・F・ヤング他,ジャック・フィニイ
EVERNOTE「超」仕事術EVERNOTE「超」仕事術
かういふ使ひ方もありますよ、といふ感じか。後で読み返して、その時の自分にあつた使ひ方を模索しやうかと思ふ。GTDでプロジェクトの扱ひに困つてゐる人はそこの部分だけでも見ると参考になるかも。
読了日:10月31日 著者:倉下忠憲
一流の習慣術  イチローとマー君が実践する「自分力」の育て方 (ソフトバンク新書)一流の習慣術  イチローとマー君が実践する「自分力」の育て方 (ソフトバンク新書)
ずーっとイチローが二軍にゐたのは土井に「振り子打法」に対する理解がないからだと思つてゐたが、なんだ、生意気だつたからなのか、と、納得。野村克也のええ話には泣けるなあ。ときどき文章の意味が不明なことがあるが、全体的には読みやすいと思ふ。自分になにか実践できることがあるか、は、チト謎。それは「や・か・ぜ」にしないといけないのかな。
読了日:11月18日 著者:奥村 幸治
Death of a Gossip (Hamish Macbeth Murder Mystery)Death of a Gossip (Hamish Macbeth Murder Mystery)
冒頭、しよつ中視点が変はるが、読みづらくはない。よく小説をくさす時に「視点が一貫してゐない」といふが、それつてどうなのかなあ。一環してなくたつて、読めるんぢやない? TVドラマとはチトちがふ雰囲気を感じるが、一作目だからかも。
読了日:11月21日 著者:M.C. Beaton
思考のレッスン思考のレッスン
茂木健一郎の名前が大々的に出てゐるのはなぜ? と、読み終はつても思ふ。「ルネッサンス人」とか「マルチ」は、もともと理系の人にはたやすいかもしれないが、文系の人間にはむづかしい。そして、理系の人は「理系とか文系とかつて何?」といふが、文系の人にはその区別はあきらかだつたりする。むづかしいね。
読了日:12月08日 著者:竹内 薫
ポーに捧げる20の物語 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ1831)ポーに捧げる20の物語 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ1831)
のつけから「ポーを題材にした歌を歌ふバンド」とか、おもしろすぎ。どの短篇も楽しく読めた。
読了日:12月15日 著者:ピーター・ラヴゼイ,トマス・H・クック,ドン・ウィンズロウ,他
iPhone「女子」よくばり活用術 (デジタル仕事術選書)iPhone「女子」よくばり活用術 (デジタル仕事術選書)
かういふ本が出るといふことは、ひととほり行き渡つたといふことなのかな、iPhoneも。よくある「iPhoneを使ひこなさう」系の本には出てこないものを求めてゐたが、うーん、取り上げ方がちがふだけかも? ただ、さういふ本にありがちなガツガツした感じがないのはとてもいいと思ふ。
読了日:12月26日 著者:高橋 浩子

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12月の読書メーター


読んだ本の数:3冊
読んだページ数:872ページ

思考のレッスン思考のレッスン
茂木健一郎の名前が大々的に出てゐるのはなぜ? と、読み終はつても思ふ。「ルネッサンス人」とか「マルチ」は、もともと理系の人にはたやすいかもしれないが、文系の人間にはむづかしい。そして、理系の人は「理系とか文系とかつて何?」といふが、文系の人にはその区別はあきらかだつたりする。むづかしいね。
読了日:12月08日 著者:竹内 薫
ポーに捧げる20の物語 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ1831)ポーに捧げる20の物語 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ1831)
のつけから「ポーを題材にした歌を歌ふバンド」とか、おもしろすぎ。どの短篇も楽しく読めた。
読了日:12月15日 著者:ピーター・ラヴゼイ,トマス・H・クック,ドン・ウィンズロウ,他
iPhone「女子」よくばり活用術 (デジタル仕事術選書)iPhone「女子」よくばり活用術 (デジタル仕事術選書)
かういふ本が出るといふことは、ひととほり行き渡つたといふことなのかな、iPhoneも。よくある「iPhoneを使ひこなさう」系の本には出てこないものを求めてゐたが、うーん、取り上げ方がちがふだけかも? ただ、さういふ本にありがちなガツガツした感じがないのはとてもいいと思ふ。
読了日:12月26日 著者:高橋 浩子

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