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Sunday, 04 April 2010

この世で一番肝心なのはステキなシンクロ率

自慢ぢやないが見る目や聞く耳がない。
ないのに、芝居に通つたり演奏会に行つたりする。
正直、「ヲレがこの芝居を見なかつたら、もつと見るべき人が見られたりしたのだらうか」と思ふことも一度ならず、といつた体たらくだ。

批評家とか評論家ぢやないんだし、「好きだから行く」でいいんぢやないか、とも思つてゐるが、まあね、そこはね、裏返しなんだよね。「なんでこんな芝居(音楽)のわからない輩がここにゐるんだ」つて怒りのね。

それはさておき。

もののよしあしがわからないので、あとは好き嫌いしかないわけだが、でもそれだけぢやあつまらない。
せつかく大枚払つて時間を割いて行くんだもの、楽しむに越したことはない。

そこで重要になつてくるのが「シンクロ率」である。

とにかく、演者とシンクロする。
どうやつて、と問はれても、うまく答へられない。
でも多分、「ああ、いい芝居だなあ」とか「最高の演奏だなあ」と思ふそのとき、ちよつと高いところにゐる人々と、同期してゐる、おこがましいが、そんな気がするときがある。

とはいへ、云ふほどかんたんに行かないことも事実。
体調を万全にととのへて、いざ、と客席に向かふと、なんだかかう、全然同期できないときもある。
反対に寝不足でへろへろして行つたらなんだか異様にすばらしい体験をしてしまつた、といふこともある。

結局、一番いいのは「かんたんに考へること」なのかもしれない。
先日、自社の配給する映画に対して辛辣なことを云ふ批評家に対して、「そんなにむづかしく考へなくても」と云つてゐる人がゐたが、批評家なり評論家なりといふのは、おほかれすくなかれむづかしく考へて発言するのが仕事だつたりするし、批評・評論する対象を山のやうに見たり聞いたりしてきてゐるのだから、ものの見方がきびしくなつてくるのは、仕方のないことだと思ふ。

しかし、すでに書いたとほり、やつがれは別に批評家でも評論家でもないわけだ。
だから、わー、きれいだなあ、とか、いい音色だなあ、とかで、いいはずだ。さう感じるところに、高いシンクロ率への入り口はあるやうな気がする。
人によつては「いいこと探し」といふかもしれない。

問題は、「かんたんに考へる」と、「あ、これ嫌い」とか「さうぢやないだらう」といふ感情もふつとわいてきて、高まつたシンクロ率が見る間に落ちていき、二度ともとには戻らないこともある、といふことか。

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