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Tuesday, 20 April 2010

ペン先の軟らかい萬年筆

先日、中屋万年筆の萬年筆を購入した。
十角軸シガーモデルはピッコロサイズの碧溜。ペン先は人気のあるといふ細軟。

中屋万年筆 ピッコロモデル十角軸碧溜細軟

十角軸シガーモデルをピッコロサイズの碧溜で、といふのは、最初から決めてゐた。
ペン先は、その場で書かせてもらつて決めた。
超極細は、あまりにも細すぎた。自分の感覚からすると、萬年筆で書いてゐるといふ満足感はあまり得られさうになかつた。
極細は、それに比べるとだいぶ書いてゐて楽しい感じがした。
細は、極細とどちらにしやうか悩むやうな書き心地だつた。
中以上は自分の用途にはチト太すぎた。
しかし、中軟の書き心地にはちよつとふらつときた。

結局、細軟と中軟と、どちらかにしやうと思ふやうになつた。

細軟を選んだのは、書きやうによつては、さりさりと、細と同じやうに書けさうな気がしたからだ。
おそらく、やつがれの書いてゐるやうすを見て、ペン先の調整をしてくだすつた人がさういふやうに誂へてくれたのではあるまいか。
購入から二ヶ月たつたが、さりさりした書き味と、すこし力を加へた時の軟らかな書き味とを、両方楽しんでゐる。
最近では主にこればかり使つてゐて、ほぼ日手帳に書き込む時などにも使用してゐる。あまり筆圧が強い方ではないらしいので、通常は細とそれほどかはりない感じで書いてゐるものと思はれる。名前を書くなどちよつとあらたまつた感じの時は、軟らかさを活かした書き方。そんな感じ。

軟らかいペン先といふことで、パイロットのフォルカンも持つてゐる。
フォルカンは、新装なつた丸善日本橋店で、743と742とさんざん試し書きをして、742を選んだ。
だが、購入直後、うまく書きこなせない羽目に陥つた。
ペンクリニックで相談したこともあつた。
自分には早過ぎた。否、自分には向かないペンだつたのだ。
さう思ふやうになつた。

だが、懲りずに日々使ひつづけてゐたらこはいかに。
最近、とてもよく書けるやうな気がする。
823の時もさうだつた。
ずつと使ひつづけて、ある日気がついてみると、なんだかとてもいい書き味になつてゐた。

フォルカンには色彩雫の月夜を入れてゐる。
思ひたつて手に取つて、縦書きに思ひつくまま書き散らしてゆく。
いい感じなんだなあ……。

書き心地としては、お習字の時に小筆で学年組と氏名とを書く、あの感じに酷似してゐる。
矢立てなど手にしてさらさらと書きとめるのつて、こんな感じなのかも。
手紙を書くなんてな用途にも向いてゐるかもしれない。
そんなわけで、フォルカンはすこし大きめな字を書く時に愛用してゐる。無地の紙のうへに書くのが楽しい。

ELABOも店頭で試し書きをしてみた。
こちらは少し太いペン先の方が楽しさう。
ま、多分買はないとは思ふけど。
これ以上ペンを増やしても、ねえ。

Monday, 19 April 2010

お名残歌舞伎座の二階桟敷席

三月大歌舞伎の第一部は、二階桟敷席から見た。
すでに書いたとほり、改築後の歌舞伎座にも二階桟敷を残してほしいと思つてゐる。だが、おそらく残らないだらうとも思つてゐる。
幕見席は残してほしいといふ聲も多からうと思はれるが、二階桟敷はそれほどでもないだらうと思ふからである。
そんなわけで、最後にもう一度といふ思ひから、東の袖の一番舞台寄りの席を取つた。

実は、歌舞伎座の東西の袖といふのは、それほど見やすい位置ではない。
南座のやうに客席が縦長の場合は、袖の方が後方の座席よりも見やすいことがある。
歌舞伎座は横長なので、袖に座ると舞台や花道が遠くなつてしまふ。また東側に座つてゐると、花道との間に広大な客席と多数の客がゐて、拍手でもおこらうものなら時にセリフがかききへてしまふこともある。

それでも、東の袖の若い番号なら、驚くほど舞台が近くなる。花道七三もほぼ真つ正面だ。「女暫」の巴御前が真つ正面に座つてゐるといふのは、なかなか悪くない。
こんな感じ。
Kabuki-za

また、花道での芝居は拍手に邪魔されることもあるが、たとへば「楼門五三桐」の大薩摩などはすぐ真下(でも二人ともちやんと見える位置)にゐるので、拍手があつても三味線の音がきちんと聞こえてくる。これはとてもうれしかつた。

二階桟敷が一階よりもよいのは、目の前をとほる人がゐない、といふことにある。
一階桟敷だと、幕間に食事などしてゐるときでも目の前を人が往来するが、二階席だと当然さういうことはない。のんびりゆつたりした気分で過ごせる。

その席にも、もう座ることはない。
それだけが惜しまれる。

Sunday, 04 April 2010

この世で一番肝心なのはステキなシンクロ率

自慢ぢやないが見る目や聞く耳がない。
ないのに、芝居に通つたり演奏会に行つたりする。
正直、「ヲレがこの芝居を見なかつたら、もつと見るべき人が見られたりしたのだらうか」と思ふことも一度ならず、といつた体たらくだ。

批評家とか評論家ぢやないんだし、「好きだから行く」でいいんぢやないか、とも思つてゐるが、まあね、そこはね、裏返しなんだよね。「なんでこんな芝居(音楽)のわからない輩がここにゐるんだ」つて怒りのね。

それはさておき。

もののよしあしがわからないので、あとは好き嫌いしかないわけだが、でもそれだけぢやあつまらない。
せつかく大枚払つて時間を割いて行くんだもの、楽しむに越したことはない。

そこで重要になつてくるのが「シンクロ率」である。

とにかく、演者とシンクロする。
どうやつて、と問はれても、うまく答へられない。
でも多分、「ああ、いい芝居だなあ」とか「最高の演奏だなあ」と思ふそのとき、ちよつと高いところにゐる人々と、同期してゐる、おこがましいが、そんな気がするときがある。

とはいへ、云ふほどかんたんに行かないことも事実。
体調を万全にととのへて、いざ、と客席に向かふと、なんだかかう、全然同期できないときもある。
反対に寝不足でへろへろして行つたらなんだか異様にすばらしい体験をしてしまつた、といふこともある。

結局、一番いいのは「かんたんに考へること」なのかもしれない。
先日、自社の配給する映画に対して辛辣なことを云ふ批評家に対して、「そんなにむづかしく考へなくても」と云つてゐる人がゐたが、批評家なり評論家なりといふのは、おほかれすくなかれむづかしく考へて発言するのが仕事だつたりするし、批評・評論する対象を山のやうに見たり聞いたりしてきてゐるのだから、ものの見方がきびしくなつてくるのは、仕方のないことだと思ふ。

しかし、すでに書いたとほり、やつがれは別に批評家でも評論家でもないわけだ。
だから、わー、きれいだなあ、とか、いい音色だなあ、とかで、いいはずだ。さう感じるところに、高いシンクロ率への入り口はあるやうな気がする。
人によつては「いいこと探し」といふかもしれない。

問題は、「かんたんに考へる」と、「あ、これ嫌い」とか「さうぢやないだらう」といふ感情もふつとわいてきて、高まつたシンクロ率が見る間に落ちていき、二度ともとには戻らないこともある、といふことか。

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