新たな歌舞伎座
外見については、なんとなくあきらめてゐる。
都知事の意見が云々ととりあげられてゐるが、なに、松竹側が今の歌舞伎座を踏襲したやうな外見を欲してゐないといふだけなのぢやああるまいか。
新橋演舞場の亜流のやうな、あれをもつとガラス張りにしたやうな外見にしたいだけなのだらう。
これをやつがれは「南セントレア市感覚」と呼んでゐる。
合併してあたらしくできる市の名前を「南セントレア」と決めて、なんの疑問も抱かないやうな美的感覚のことを指す。
この感覚については理解できる人と理解できない人がゐる。
「南セントレア市でなにが悪い」と思ふ向きには絶対に理解できない。
それはもう仕方のないことなのだ。
そりやあもちろんやつがれだつて、今の歌舞伎座のやうすをできるだけ残してほしいと思つてゐる。
だが、それは単なる「ノスタルジー」に堕する可能性も高い。
外見は、あきらめやう、ゆづつてもいい。
だが、ゆづれない点がふたつだけある。
それは、幕見席と二階桟敷だ。
幕見席については、ほしいと望む聲も大きからう。
存続はしないやうな気もするが、しかし、「残してくれ」といふ客はきつとたくさんゐるだらう。
だが、二階桟敷はどうだらうか。
ひよつとして、歌舞伎座の二階に桟敷のあることを知らない向きもあるのではなからうか。
個人的に、今の歌舞伎座で一番見やすいのは、一階席の二等最前列だと思つてゐる。た列、今の16列だ。
ここからだと、舞台全体が見渡せる上、花道の出も入りもばつちり見える。
いはゆる「とちり(現在の7、8、9列)」はたしかにいい席だと思ふが、花道の出入りを見るにはかなり振り返らないと見ることができない。
しかし、一番楽ちんな席はどこかと問はれたら、それは二階桟敷なのではないかと答へる。
一階桟敷ほど周囲の目を気にすることもないし、上から見下ろした感じは案外いろいろなものが見えるものだからだ。
桟敷といふのはそれほど見やすい席ではない割に高価なので、ほとんど座つたことはない。二階桟敷に関しては、たつた一度座つたことがあるだけだ。
だから、それほど語れるわけでもないのだけれど、是非是非、二階桟敷は残してほしい。
今の歌舞伎座がなくなる前に、あと一度は座りたいと思つてもゐる。
さらにもうひとつだけ、望みがあるとすれば、上記の書きつぷりを見てもわかると思ふけれど、「いろは」列を復活してほしい。
おそらく、システムの関係かなにかで数字におきかはつたのだらうと思ふが、数値で持つてゐるものをいろはにおきかへるのは、システム的にさうむづかしいこととも思はれない。そのていどのことに拘泥するやうなシステム屋に開発をまかせるのもどうかと思ふ。
絶対ないことと知りつつも、「いろは」列の復活を望む。
だつて、やつぱり、芝居小屋なんてのは、雰囲気を楽しむものだらうからだ。
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