浅草歌舞伎のおもしろいわけ
浅草歌舞伎がおもしろい。
正直云つて、今月一番おもしろいかもしれない。
個々の演目なら他の劇場にもつとおもしろいものがいくつもあるが、全体的に見て一番はやはり浅草だらう。
理由はかんたんだ。
歌舞伎らしい演目ばかりだからである。
贅沢承知で云ふならば、これで中幕があればほんたうに文句ない。それも人気演目ならなほのこと。中幕があればきれいに一幕目に丸本、中幕として所作事、二幕目に世話物とならぶではないか。
しかしまあ、それはないものねだりといふものだらう。
二日は初日に歌舞伎座で昼の部を見てきた。
見た直後の感想はこちらにゆづるとして。
♯ちなみにそちらでは芝居を見た直後の感想を毎回あげてゐる。
今月歌舞伎座の昼の部の問題は、やはり五幕もあるといふことであらう。
初春だから松羽目もののめでたいものははづせない(猩々)。
次は丸本物。まあこれはいい(一条大蔵譚)。
春だし、御大のためにちいさいとはいへ一幕まうけやう(女五右衛門)。
それから世話物。これもまあいい(魚屋宗五郎)。
最後に「お祭り」で明るく締めやうや。
はつきり云はう。
これは欲張りすぎである。
猩々、一条大蔵譚、魚屋宗五郎はいい。
女五右衛門とお祭りはどちらかだけでいい。
いや、歌舞伎座の話はとりあへずおくか。
公演の筋書(浅草公会堂では「パンフレット」と云つてゐたやうな気がする。確かに「筋書」といふよりは「パンフレット」といつた趣の冊子だ)には、「(切られ與三は)これといつた事件が発生するわけでもないし、何年も前から演目として候補にはあがつても最終的には見送つてきた」といふやうなことが書かれてゐる。
さうなんだよなあ。「與話情浮名横櫛」こと「切られ与三」で普通上演される木更津の場と源氏店の場つて、別にこれといつた事件も起こらないし、ただ「いい男」と「いい女」が出会つて戀に落ちてひどい目にあつて別れ別れになつてさて再会してみたらこはいかに……つてまあ筋だけたどればそれなりに劇的ではあるけれど、さて、それでは舞台はどうかといふと、とくにもりあがるところはない。かの有名な與三の科白は格別にいいんだが、でも、それだけつて感じではある。
しかし。
それでもこの演目、なぜだか好きなんだよなあ。
どこがいいのかと訊かれてもわからない。多分最初は馬のしつぽな感じのお富さんが好きだつたんだと思ふが、今となつてはそれだけでもないやうな気がする。
それが証拠に浅草の夜の部でもなんだかすつかり堪能してしまつた。
鴻上尚史の本に「名セリフ!」がある。古今東西の名せりふを集めた一冊だ。以前ここでも紹介した。鴻上尚史は「俳優がオーディションで使へるやうなもの」を選んだ、といふやうなことを書いてゐる。
「古今東西」と書いたが、この本にはすつぽり抜け落ちてゐるものがある。
それは、浄瑠璃や歌舞伎の名せりふだ。
「名セリフ!」の中には
「知らざあ云つてきかせやせう」も
「今頃は半七つつあん」も
「十六年は一昔」も
「そりや聞こえませぬ伝兵衛さん」も
「赤城の山も今宵を限り」さへない。
「別れろ切れろは藝者の時に云ふことば」もない。
つまり、現代のオーディションを受けやうといふやうな俳優は、そんなせりふは口にしない。
さらに云へば、結局上にあげたやうな名せりふといふのは古典(新国劇や新派は古典か? さう訊かれたらやつがれは「うむ」と答へる)、もつと云ふと特別な役者しか口にしないせりふだといふことだ。
そして、「名セリフ!」には入れられなかつた「しがない戀の情が仇」といふ天下御免の名せりふ、切られた與三郎のこのセリフは、ある特別な役者にだけ許されたせりふだと云へる。
歌舞伎的な、あまりにも歌舞伎なせりふ。
そして、これがあるからこそ、「切られ與三」といふ芝居は残つてゐるやうな気がしてならない(もちろんそんなことはないがね)。
そして、さういふ歌舞伎のよさとわるさを兼ね備へたやうないかにも歌舞伎な演目を、先輩役者に教はつて、教はつたとほりにしやうと丁寧に演じる若手の姿が、浅草歌舞伎をおもしろくしてゐる。
そんな気がしてならない。
「金閣寺」もよかつた。
雪姫は澤瀉屋市川亀治郎で、これが滅法かはゆらしい。なんだらうね、あのかはゆさは。それでも迸るものがごくまれに出てしまふところがまたよかつたり。
昼の部は席をおさへそこねたのだが。
んー、これはやはり見に行くべきか。
吃又は好かないから取らなかつたんだよね。
うーん、今からぢや間に合はないかな。
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