期待はづれ
「浪曲だから赤垣源蔵とかやるのかな。南部坂雪の別れの方がもりあがるか知らん。あるいはぐつとしぶく天野屋利兵衛とかもいいかも」
国本武春 大忠臣蔵に行く前はそんなことを考へてゐた。
愚かだつた。
「大忠臣蔵」などと云ひながら、忠臣蔵は殿中松の廊下と切腹の場面、それから討ち入りの場面だけ。
あとは忠臣蔵とはまつつたくこれつつつぽつちも関係のない歌ばかりであつた。
どうも冒頭客いぢりが長いと思つたよ。
これぢや大して語れまいと思つてゐたら案の定だ。
忠臣蔵を期待せずにいけばもつと楽しめたのかもしれないが。
だつてさ、「大忠臣蔵」だよ、「大忠臣蔵」。
ほかになにを期待しろと云ふのか。
そんなわけで。
勝手にひとりで南部坂雪の別れを脳内に描きながら帰宅。
たとへば、十二月の国立劇場で見た黙阿弥の「四十七刻忠箭計」。大成駒の葉泉院に播磨屋の由良助。あるいは四月の歌舞伎座で見た青果の「元禄忠臣蔵」は成駒屋時代の山城屋の瑤泉院に播磨屋の内蔵助。十二月はともかく、四月の時は「四月に南部坂雪の別れかぁぁ?」とちよつと引き気味だつたのだが、これが案に相違の良さだつたんだよなあ……。
まあないものねだりをしても仕方がないがね。
浪曲についていふと、ここのところ若い人が挑戦してゐるのらしい。来年あたりは新人が登場するかもとのこと。
虎造みたやうに渋い聲の浪曲家が出てくるといいなあ。
芥川隆之世代だもんだから、渋い聲に弱いんである。
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