おだやかな人
昨日、初対面の人に云はれた。
「おだやかさうな人に見えるから」と。
おだやかさうに見える人とはすなはちやつがれのことである。
この初対面の人との出逢ひはあみものがかかはつてくるので手芸関連weblogに書くつもりである。
♯かなり思ひがけない出逢ひだつたのでうまく書けずにゐるが。
♯ちなみにとある喫茶店に立ち寄つたのがきつかけ。
♯これも喫茶店でよい時間を過してらつしやる方のおかげである。
おそらくここを読んでくだすつてゐる方々ややつがれをよく知る人々は思ふだらう。
「Gがおだやかだつて? Gがおだやかならジョーズだつておだやかだよ」と。
その時、くつ下を編んでゐたのでおだやかさうに見えたのかもしれないが。
よくよく考へてみて、おだやかさうに見える理由がわかつた気がした。
職場でも目標設定の時などに下位者に対する姿勢について「Gさんはやさしいから」と云はれたりする。
あのー、わかつてゐる。「おだやかさう」とか「やさしい」とかいふのは、社交辞令である。
だが、正反対の意味をもつ社交辞令だつてあるだらう。「てきぱきしてさう」とか「自分にきびしい」とか。
さう、やつがれの「おだやかさ」は「のろま」であることを、「やさしい」は「みづからにあまい」ことを表現する「社交辞令」である。
だが、それだけではないことに思ひいたつた。
「おだやかさう」だつたり「やさしさう」だつたりするのは、やつがれがあきらめやすい性格だからである。幼少のころからつちかつた「諦念」が、一見「おだやかさう」だつたり「やさしさう」だつたりする人に見えるのにちがひない。
あきらめやすいから熱することがない。
他人に期待しないから厳しくない。
さういふことなのではないかと思ふのである。
昨日出逢つた人は、熱い人だつた。
もともと情熱的な人間は苦手なやつがれだが、ここ数年つくづく思ふことがある。
やはり人間、なにか熱い思ひを抱くやうな対象をもつてゐる方がよいのではないか、と。
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