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Wednesday, 31 January 2007

こどもに英語を教へる法

教育改革とか云ふて、世の中なにかとかまびすしい。
「ゆとり教育」とか見てゐると、どうも本邦の政府・官僚は国民に利口になつてほしくないんぢやないかと邪推したくなる。阿呆のままでゐてほしい。賢くなられたら困る。こちらの云ふことに唯々諾々と従つてくれるやうぢやないといかん。さう思つてゐるやうな気がしてならない。

まあそれはともかく、小学生のうちから英語を教へるやうにしやうといふ動きがあるといふ。
さうなつても教へられる教師がゐないぜ、と現場では云つてゐるらしい。

なに、英語を喋れるこどもを育てたいのなら、なにも英語の教師なんか必要ない。ABCすら教へることはない。
主張したいこと・これだけはたれにも負けないくらゐ好きだといふことを持つやうなこどもを育てればいい。

なにを隠さうやつがれも一時は英会話教室みたやうなものに通つた経験がある。
自分で云ふのもなんだが、やつがれは「自分から喋ることのほとんどないおとなしい生徒」だつた。
つまり、英会話教室に通つてゐる意味があまりなかつた。
もつたいないことこのうへない。

ところがある日の教室で、ひよんなことから「東海道四谷怪談」の話になつた。
これまたなにを隠さう怪談話は苦手なやつがれである。
だが、「東海道四谷怪談」だけは当時から異様に好きだつた。
なんといつてもおもしろい。
気がつくと遮二無二喋つてゐた。
元々は「仮名手本忠臣蔵」といふ有名なお浄瑠璃に続けて上演されたお芝居で、と説明しやうとして説明できず、イヤになるほどもどかしかつた。

不本意乍らよく知られてゐるあらすじだけをなんとかかんとか話し終へると、先生の云ふことには、「あなたがそんなに喋るとは思はなかつた」。

またある時、ちよつとした同窓会に行くとロシア出身の友人をつれてきた人があつた。その人とロシアの友とはつい昨日、歌舞伎座で「源平布引滝」を見てきたばかりとのことだつた。
このロシアの人をつれてきた人物は、「国際関係」なんぞをもつぱらにしながら本邦の伝統文化を低く見るといふ大変に困つた人物で、当然乍ら芝居を見てもちんぷんかんぷんだつたらしい。ほんたうは芝居をよく知る人と三人で見に行く予定だつたらしいのだが、残念乍ら解説役は都合がつかなかつたといふ。

ロシアの人は英語を解した。日本語はわからなかつた。必然的に英語で話すやうになつた。

「歌舞伎、おもしろさうだつたんだけどよくわからなかつたのよね」と云ふロシアの人に、やつがれが俄然はりきつてしまつたことはもはや書くまでもあるまい。
この時は「義賢最期」と「実盛物語」との両方がかかつてゐた。さう、澤瀉屋の芝居だつた。
♯さうだよねえ、右近は義賢までやつてゐるんだよねえ。
♯それが今では……
♯ま、多くは語るまい。

「義賢最期」と「実盛物語」がどうつながつてゐるかにはじまつて、主に「実盛物語」について一生懸命喋つた。なぜ悪人に見える瀬尾が自害するのかとか(あれはね、自害なんだよ、と当然説明した)、腕がくつつくと小万息を吹き返したんだよとか、実盛とは何者で、手塚太郎とその後どうなるのか、とか。

幸ひなことに、ロシアの人はたいへん興味をもつて話を聞いてくれた。だからよけいに一生懸命話してしまつた。
齋藤別当実盛とはこどものころからの馴染みだもの、やつがれが紹介しないでたれがする。

えうするに。
語りたいこと・伝へたいことがあれば、英語は喋れるやうになる。
知りたいこと・学びたいことがあれば、英語は読めるやうになる。聞けるやうにもなる。
さういふことなのだと思ふ。

世界に向けて主張したいこと・発信したいことがあれば、それでいい。
まあ場合によつては相手の方がこちらの云ふことを知りたくて日本語を学んでくれるかもしれないし、英語ぢやなくてほかの言語の方が自分の用途にあつてゐる場合もあるかもしれないが、それならそれでいいではないか。

小学生のうちから、あるいは家庭での教育でもつと早いうちから、主張したいこと・たれにも負けないくらゐ好きなことのあるこどもを育てる。
本邦の英語教育に足りないのはそのあたりだと思ふがあなたどう思ひますか。

Tuesday, 30 January 2007

歴史と伝説

「伝説が終わり、歴史が始まる」といふのは「銀河英雄伝説」の最終行だが。

昨日エントリを書いて後、ちよつと考へることがあつた。
それは「歴史と伝説について」である。

NHK大河ドラマ「新選組!」を放映してゐたころは、やれあそこが史実とちがふのここがちがふのとやたらと「史実とちがふ」ことをあげつらふ輩が多かつた。
それが翌年になつて「義経」になると「史実史実」とたくさんさうに云ふ輩がふつつりと消へた。

をかしいんちやふの。
たとへば弁慶だよ。武蔵坊弁慶は義経の一の家来みたやうな扱ひだが、いはゆる信頼のおける史書には弁慶の存在はない。有名な話といつて五條大橋でLong長刀ふりかざした話と安宅の関の話、それと最期の話くらゐぢやあるまいか。
だからといつて、義経の話に弁慶が出て来たらをかしいんちやふか、と突つ込む輩はゐない。どちらかといへば出て来なかつたら文句を云はれるんぢやあるまいか。

さうさう、幕末あたりのドラマについてだつてめうな点がある。西郷隆盛と坂本龍馬は常にお国言葉で話すが(西郷隆盛については一度だけ、標準語だつたのを見たことがあるが)、長州藩士や水戸藩士、会津藩士がお国言葉で話すことはまづない。だが、そのことを突つ込む人はゐない。史実よりこつちの方が大きな問題だと思ふがなあ。

話がずれてしまつた。

つまり、世の中には「歴史」と「伝説」がある。
そして、多くの場合、「伝説」の方が広まりやすい。
この場合の「伝説」といふのは、まあ上で云ふところの「史実とちがふ」こと、とかだね。
たとへば荒木又右衛門が鍵屋の辻で三十六人斬りをした、とか。
小説や映画、ドラマならその方がおもしろいと思ふが、まあムリでせう、三十六人も斬るのは。
♯やるんだつたら「髑髏城の七人」みたやうにやらないとね。笑。

荒木又右衛門の三十六人斬りがムリなんてのは、普通に考へればわかる話だ。
だが、先の大戦中などは、「荒木又右衛門はほんたうに三十六人斬つたんだ」と主張する教師がゐたのだといふ。
教師に云はれたら、児童・生徒はそれを「是」とするしかない。
そして、さういふ無理強いは、児童・生徒の心に影を落とすことになる。
♯だから奉仕活動を「強要する」のは反対。
♯奉仕活動とはみづから進んでするものである。
♯いはれてやるのはまちがつてゐる。
♯といふのはまた別の話。

「伝説」だつて悪いばかりぢやない。
「日本三大敵討ちのひとつ、鍵屋の辻の敵討ちでは荒木又右衛門といふ人が三十六人もの相手を斬つたといふ話もあるんですよ」と、話のネタにしてもいい。あるいは講談の一節を語つてみせてもいい。
でも、それと「史実」はちがふんですよ、とちやんと教へる必要があるんぢやあるまいか。

…………まあでも昨今は「伝説」でさへ知られてなかつたりするからなあ。
ただ、昨日のエントリで書いたやうな「先の大戦」や日清・日露の話などには「伝説」も多くそれを「愛国心」をあふる材料として使はれたらイヤだなあ、と、近頃の風潮を見乍ら思ふのである。

話が通じない

先日喫茶店に立ち寄つた話を書いた。

この時、隣の卓子に三人の老人が座つてゐた。
老人といつてもまだまだ現役らしく、三人とも背広姿だつた。
多少きこしめしてゐたのだらう、話はこれまでの海外旅行体験だつた。
「エジプトはよかつた」とか「上海は行く度にかはつてゐる」とか「イタリア旅行中に連れが乳液をかけられて」とか。エジプトがよかつたのは、滞在したホテルもよかつたが、スークで値切るのが楽しかつたといふから兵である。
まあ、それでもボラれてゐなかつたとはいへないがね。

そのうち話はタイに行つた時の話になつて、「モームの滞在したホテルでね」とか云つてゐるうちに話題は先の大戦の話になつた。
ちなみに「先の大戦」といつてもよく話題になる京都の人とはちがふので、「鳥羽伏見の戦ひ」の話をしてゐるわけではない、と、念のためことはつておく。

「ジョホール水道が云々」とか「イギリス軍は日本は絶対海から攻めてくると思ひ込んでゐたから負けた」とか「現地のツアーコンダクタは必ず山下の名前を出す」とか。
我ながらよく覚えてゐるな、と思ふが、三人ともその話でもりあがるもりあがる。

だが、やつがれにはまつたくちんぷんかんぷんだつた。
実は三人のうちの一人の部下に「山本」といふ人がゐるらしかつたのも混乱のもとだつた。
「山下」が「マレーの虎」こと山下奉文であることに思ひいたつたのは帰宅してからである。

大河ドラマで「坂の上の雲」を取り上げるさうだが、司馬遼太郎は生前「軍国主義であると誤解されたくないから」とドラマ化・映画化をことはつてきたのだといふ。
やつがれも軍国主義者ではないし、戦争はいやだ。
でも、それと過去のことを教へないこと・伝へないことはちがふやうな気がする。
知らなければそれで済むのか? そんなことはない。

まあ今回は楽しさうに話をする人の輪に入れないことをチトばかり嘆いたのに過ぎないがね。

Monday, 29 January 2007

泣きのツボ

「全米が泣い」ても泣かないやつがれだが。

やはり涙のツボといふのはある。
ひとつは「自分を理解してくれてゐる人のためにみづから(あるいはみづからの大切なもの)を犠牲にする」話。
たとへば「菅原伝授手習鑑」は「寺子屋」とか、あるいは海音寺潮五郎のオムニバス小説に出てくる不破数右衛門の話。
「寺子屋」にはいろいろな見方があると思ふ。橋本治は、松王丸とか政岡とかあるいは九代目以前の「熊谷陣屋」の熊谷(衣装に関しては今後も「芝翫型」とか云ふて成駒屋がやると思ふ)といつたお主のために我が子を犠牲にするやうな役は概してみな衣装が派手で、以てみな阿呆といふことだと云つてゐたと思ふ。
なるほど、政岡はともかく松王丸なんて舎人のくせにあんな派手派手な格好で出てくるのはおかしいし(鬘については病み上がりといふことでああなつてしまふのはまあ仕方ないにしても)、芝翫型の熊谷の衣装は敵役の中でもチト劣る役の着るものにさも似たりである。

けれども、松王丸はただ一人自分のことを理解してくれてゐる菅丞相のためその家族のためにみづからの一子を犠牲にする。

……ってーのはまあまた別の話で。

今回、たまたまamazonの特売洋書を見てゐて、思はず「ぽちつとな」してしまつた本がある。
_To Kill A MockingBird_、邦題は「アラバマ物語」である。

これ、ねえ……弱いんだねぇ。これとか、あと映画だけど_Mr. Smith Goes to Washington (邦題は「スミス氏都に行く」)_。心の一番弱い部分をぐさりとさされた気持ちになる。

ま、「スミス氏都に行く」はともかく(だつてこの話、いくらなんだつてできすぎでせう)、_だ。

映画といへば「アラバマ物語」も映画になつてゐて、グレゴリー・ペックは弁護士アティカス・フィンチ役でアカデミー主演男優賞をとつてゐる(原作と比べるとちよつと立派過ぎる感じがするがね)。また、謎の男として登場するロバート・デュバルはこれが初出演作ださう。主人公でアティカスの娘・スカウト役も達者で、ほかにどこかに出て来ないかと思つてゐたら、ある日たまたま見てゐた「トワイライト・ゾーン」に出てゐた。もうだいぶ成長して女の子らしくなつてゐた。

つて書くまでもなかつたか。

映画ではまあやつぱり泣かないけど(でも最後のあたりとかいいよね)、原作にはぐつとくる。
はじめて読んだときは「みんな正義がなにかわかつてゐるのにそれがなされない」ことに泣けるのだと思つてゐたが。
最近どうもちがふやうな気がしてゐる。

今回、特売といふ好機を得てペーパーバックを入手したので、あらためて確かめてみるつもり。

しかしなー、電車の中で読んでて、泣いちやつたりしたらどうしたもんだらうね。

Sunday, 28 January 2007

おだやかな人(BlogPet)

昨日、初対面の人に見えるから

おだやかさう.
と、ちゃっくんが思ってるの。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ちゃっくん」が書きました。

Saturday, 27 January 2007

おだやかな人

昨日、初対面の人に云はれた。
「おだやかさうな人に見えるから」と。
おだやかさうに見える人とはすなはちやつがれのことである。

この初対面の人との出逢ひはあみものがかかはつてくるので手芸関連weblogに書くつもりである。
♯かなり思ひがけない出逢ひだつたのでうまく書けずにゐるが。
♯ちなみにとある喫茶店に立ち寄つたのがきつかけ。
♯これも喫茶店でよい時間を過してらつしやる方のおかげである。

おそらくここを読んでくだすつてゐる方々ややつがれをよく知る人々は思ふだらう。
「Gがおだやかだつて? Gがおだやかならジョーズだつておだやかだよ」と。

その時、くつ下を編んでゐたのでおだやかさうに見えたのかもしれないが。
よくよく考へてみて、おだやかさうに見える理由がわかつた気がした。

職場でも目標設定の時などに下位者に対する姿勢について「Gさんはやさしいから」と云はれたりする。

あのー、わかつてゐる。「おだやかさう」とか「やさしい」とかいふのは、社交辞令である。
だが、正反対の意味をもつ社交辞令だつてあるだらう。「てきぱきしてさう」とか「自分にきびしい」とか。

さう、やつがれの「おだやかさ」は「のろま」であることを、「やさしい」は「みづからにあまい」ことを表現する「社交辞令」である。

だが、それだけではないことに思ひいたつた。
「おだやかさう」だつたり「やさしさう」だつたりするのは、やつがれがあきらめやすい性格だからである。幼少のころからつちかつた「諦念」が、一見「おだやかさう」だつたり「やさしさう」だつたりする人に見えるのにちがひない。

あきらめやすいから熱することがない。
他人に期待しないから厳しくない。

さういふことなのではないかと思ふのである。

昨日出逢つた人は、熱い人だつた。
もともと情熱的な人間は苦手なやつがれだが、ここ数年つくづく思ふことがある。
やはり人間、なにか熱い思ひを抱くやうな対象をもつてゐる方がよいのではないか、と。

Sunday, 21 January 2007

配役を見ると(BlogPet)

今日、雅亮が
ここのところ、きょう・配役を見ると「なんだか物足りないなあ」と思ふことが多くなつた.
って言ってたけど…

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ちゃっくん」が書きました。

Sunday, 14 January 2007

きょうはここに雅亮はblogしたいなぁ(BlogPet)

きょうはここに雅亮はblogしたいなぁ。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ちゃっくん」が書きました。

Sunday, 07 January 2007

とか思った(BlogPet)

多くなつた.
とか思った?


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ちゃっくん」が書きました。

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