基本
さつきから近所の家でジャズやシャンソンのスタンダードナンバをピアノで弾いてゐる。
「弾いてゐる」といふのはかなり好意的な書き方で、これがまるで形になつてゐない。
形になつてゐないだけならまだしも、コードの弾き方からしてわからないらしく、同じ和音を何度もくりかへしたり(ジャズだからかその和音がまたちよつと複雑である)、旋律と和音がまつたくあつてゐなかつたり、とにかく聞いてゐてとにかく苛々する。
しかもものが「スタンダード」だから始末に悪い。こちらもよく知りかつては弾いてゐた曲ばかりだからだ。「枯葉」つてそんなに難易度の高い曲だつたか知らん。今は「酒とバラの日々」の和音部分ばかりを弾いてゐるが、ひとつの和音を弾くのすら何度もやりなほしてゐる体たらくである。
かつて「ピアノ殺人」といふものが世間を騒がせたことがあつた。
犯人の死刑判決に日本各地の同じやうな騒音に悩む人々から助命歎願があつたといふ。
今ならやつがれも助命嘆願書に名を連ねるかもしれない。
しかし。
上にも書いたやうに、やつがれもかつては「騒音の元」だつたわけだ。
これでもご近所のピアノその他楽器の練習にはかなり寛大な方、といふか、「ああ、お隣のお孫さん、今はこんな曲弾いてゐるんだ」とか「どこかでヴァイオリンをならつてゐる子がゐる」とか、どちらかといへば楽しんでゐる方だと思ふ。
だが今漏れ聞こえてくるこのピアノの音が許しがたい。
多分、かんたんなことだと思ふのだ。
弾く前に譜読みをすればいいのである。
その際、コードがむづかしいと思つたらちよつと左手で弾く真似をしてみるとか、そんなていどの準備練習をすれば、格段にましになるはずである。
弾いてゐるやうすから、どんな曲かはよく知つてゐるやうだからだ。ただコード進行が弾き手にはちよつと難易度が高過ぎるらしく、そちらにつられて知つてゐるはずの旋律もまちがへるといつた状態のやうに聞こえる。
また、曲を弾く前にまづ運指練習をするのも肝要だ。
これだけで実際に曲を弾くときの指の動きが断然かはつてくる。エンジンのかかりがかはる、といつた感じだらうか。
ジャズに基本は関係ない?
確かに世の中にはさういふ「天才」もゐる。
音楽ではないが、かのフレッド・アステアはクラシック・バレエの素養がないことにずつと劣等感を抱いてゐたといふ。アステアに基本の素養がない? 銀幕からはそんなことは窺ひ知ることはできない。
だが、世の多くの凡人には絶対に基本が必要なのである。
なぜ外国語を習得する際文法をうるさく学ぶのか。
それが基本だからだ。
文法を身につけてゐれば如何様にも応用がきくやうになるからである。
♯つまり多くの日本人はその文法すらきちんと身についてゐないといふことだ。
♯あるいは文法を修得するその所以を知らず、応用する術を身につけてゐないのだ。
話が脱線していくが、かつて職場で隣に座つてゐた同僚がやつがれとは反対側に座つてゐる相手とこんなことを話してゐたことがある。
「英語を喋れるやうになりたいけど、学校で学ぶことつて自分が云ひたいこととちがふんだよね」
相手はそれに和し、「わかるわかる」と云つてゐた。
文法を学ぶだけでは互ひに意思疎通ができるやうにはならないかもしれないが、文法を知らなければ先は長くない。
ピアノだつてさうである。
「ハノン」に代表される運指練習、初見の曲を弾く際の遅い速度からメトロノームを鳴らしての練習、その前にまづは譜読み、あるいは他の人間の演奏を聞くこと、さうした基礎や準備練習なしにはピアノの演奏はできない。
外国語の習得だつてさうだ。
上つ面の挨拶ができるやうになつて、それで「外国語ができる」と満足できるのならそれでいいんぢやない? 十億人と話せるやうになればいい。
さうして中身のない会話だけしてゐればいいのだ。
« ほんとうは(BlogPet) | Main | ちゃっくんがblogするつもりだった(BlogPet) »
Comments