とりしまればいいのか
ゴミの分別がきびしくなつてゐる。
つて今更なのだが。
これが自治体によつていろいろちがふといふのがまた混乱の元で。
たとへば千葉や埼玉に住んでゐるが職場は東京。しかも自分の会社はA区にあるが客先がB区とかになると、三カ所の分別方法を覚える必要がある。
そのせゐだらうか、昨日から通ふことになつた新たな職場の御手水場には「分別するのが面倒だつたんだらうなあ」といふやうなゴミが捨てられてゐたりする。外部の人間や客が多く来るのである。
「規制しやう」「きびしくとりしまらう」といふ手法は、小学生だつて考へつく。学級会を見てみればわかる。「誰某くんは廊下の左側を走つてゐました」「今度から廊下の右側を歩かない人にはペナルティをつけて、その人の所属する班全員に廊下を掃除してもらひませう」つてなことは、容易に思ひつくのである。
さて、世の中の県知事だの都知事だの市長だの区長だのといふ人々はそれなりの給与をもらつてゐる。給与の出元は税金だ。あるいは役人である。よく「民間並みの給与体系に」なんぞと云はれることから彼らへの手当は厚いことがわかる。その出元も税金だ。
他人にまさる稼ぎを税金から得てゐる人々の考えることが「ゴミはこまかく分別するやうにすればいい」だ。
あのねえ、そんなの小学生だつて考へつくの。
なんで税金から給与を受け取つてゐるのか、その意味を考へたことがあるのかね。
ないんだらうなあ。あつたら「ゴミはこまかく分別するやうにすればいい」なんて安直な解決方法にたどりつくわけがない。
ゴミの分別方法がむづかしくなつたせゐで、捨てられない人が出てくる。
たとへばやつがれの職場でトイレのゴミ箱に本来分別するべきゴミが捨ててあるやうな状態だ。
あるいは分別方法がむづかしくなり、またゴミ袋に記名して捨てるやうなことになつて、よそのゴミ捨て場にゴミを捨てに行く輩も出てくる。
さういふことへの対処はなにも考へずに、ただ「ゴミはこまかく分別するやうにすればいい」だ。問題が起これば「分別できない人が悪い」「悪いことをする人がいかん」と云ふだけだらう。
頭が悪過ぎる。
それで仕事をしてる気になつてゐるんだらうなあ。
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