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Wednesday, 30 August 2006

「の」

なぜ北条政子は「ホウジョウノマサコ」ではないのか。

こどものころから疑問だつた。
なぜ「源政子(ミナモトノマサコ)」ぢやないのか、とかね。

源政子でないのはおそらく当時は実家の名字を名乗るのが一般的だつたからだらうとかいろいろと考へられる。
しかし「の」は?

思へば、北条政子と同時代の人には「の」がつかない人が多い。
畠山重忠。梶原景時。齋藤実盛。樋口兼光。佐々木高綱。河津祐泰。工藤祐経。

しかしその主君には「の」がつく。
平清盛。平重盛。源義仲。源義経。源頼朝。
あれ、でも河津祐泰の息子には「の」がつくか。曽我十郎に曽我五郎。それともこれは曾我廼家十郎五郎の影響でさう思ふからか。

さらにその前の人には「の」がつくやうな気がする。
頼光の四天王にはみな「の」がつく。
渡辺綱。碓井貞光。卜部季武。坂田金時。
このうち、渡辺綱以外は「の」がなくてもをかしかないかな、といふ気がする。「うすゐさだみつ」「うらべすゑたけ」「さかたきんとき」。あ、金太郎さんは「の」がないとダメかな。

蘇我馬子、小野妹子にも「の」がつく。中臣鎌足。やはり「の」がはづせない。

「の」はともかく、北条政子の特筆すべきは「紫式部」とか「清少納言」とか「菅原孝標女」とかではなく、「北条政子」として名前を知られてゐるところかなあ。
以前、めりけんで女性運動(かつては「Women's Liberation」と云はれてゐたやうな運動)をしてゐる人に「日本の女性は昔から虐げられてきたのでせう」と云はれてちよつとむかつときて、「いえいえ、我が国には千年近くも前に北条政子みたやうに個人名で知られてゐる女性もゐたんですよ」と答へてしまつた。

しかし北条政子が有名なのはほかにさうした人がゐないからだ。
あの女性には申し訳ないことをしてしまつた。

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