件の母
くどいやうだが、泣ける歌といへば「岸壁の母」。
別に「母一人子一人の一家に赤紙がきて」とか「そのひとりつ子が戦死して」とか「母の愛」みたやうなところに泣けるわけではなくて。
「帰つてこないとわかつてゐるのに「もしやもしやにひかされて」毎日岸壁にやつてきてしまふ」といふその思ひに泣けるのである。
わかつてるんだつてば。息子は戦争に行つて死んでしまつた。もう今生で会ふことはない。母と子だもの、一世の仲だ。生まれかはつたつて会へるわけぢやない。
でもひよつとしたらもしかしたら奇蹟でも起きて、ひよいと待ち人が帰つてきたりはしないだらうか。戦争の大混乱の中でのことだもの死んだといふのはなにかのまちがひで、実は生きてゐたりはしないか。
そんなことはないとわかつてゐても、それでも気がつくと今日も岸壁に来てしまつたよ。
なんか、切ない。
それにくらべて「九段の母」は、と以前も書いた。
泣けないのである。母が立派過ぎて。
戦後六十年。本邦の人の考へ方はこんなにかはつてしまつたのかと愕然とするほど、この「母」の云ふことはわからない。「栄誉の戦死。おつかさんはうれしいよ」とか「こんな汚い婆が勲章を頂戴して、おまへはなんと孝行息子」とか、さういふmentalityは理解の外になつてゐる。
おそらくやつがれの祖父母の代はギリギリでかういふ考へ方をしてゐたのだと思ふ。記憶にある限り、やつがれの祖母はさうだつた。この歌に出てくる「日本の母」のひとりだつたらう。だが、孫のやつがれにはその考へ方が伝はらなかつた。
泣けない「九段の母」だが、それには息子からの最後の手紙を理解できなかつたから、といふ話もある。
明日は最前線に出るといふ日、息子は母に手紙を書く。そして「最後のお願ひ」といつて、故郷の(馴染みの)お地蔵さまにあたらしい前掛けをかけてあげてはくれまいか、と頼むのである。
学徒出陣とはいへ、徴兵されるほどの年齢の男子が、だ。お地蔵さまである。なんかかう、もつとほかに「知り合いによろしく」とかなんとか、ないのか。
と、幼いころのやつがれは思つたわけだ。
だが、長じてよくよく考へてみれば、この息子には故郷に同い年の友人などゐるわけがないのである。みな兵隊にとられてしまつてゐるぢやあないか。そして、多少の前後はあるだらうけれども、この息子と同じやうにみな最前線にやられてしまつてゐるにちがひない。中にはもうこの世の人ではないものもあらう。
女の子はといつて「男女七歳にして席を同じうせず」のころだ。また手紙は検閲を受けるだらう。迂闊なことは書けない。
結局、こどもの守り神といはれるお地蔵様、親より先に死んだ子の賽の河原で石積むを救ふといふお地蔵様によろしくといふのがやつとなのだ。自分や自分と同じやうに親をおいて先立つもののために、といふのはうがちすぎだらうか。
さう思ふと泣けないこともない……のだが。
うーん、やつぱり母も息子も立派過ぎるね。浪曲とはさうしたものかもしれないが。
それにしても、たつた一曲にこれだけいろいろ裏に意味がある歌が今の本邦にあるだらうか。
ちよつと思ひつかないな。
ま、あつたところで今の人間に理解できるとは思はれないがな。
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