「いい仕事」がしたい
今日職場の人と愚痴りあひをしてゐて、「今回の仕事はなんだかやつつけ仕事みたやうだつたよね」といふ話に落ちついた。もつと「いい仕事」したいよね、と語りあつてしまつた。
自分としては、「いい仕事」にしやうと手を尽くしてきたつもりである。
どちらかといふと物作りの仕事なので、「いいものを作りたい」と思つてゐる。そのために想定される危険はあらかじめ考へできうるかぎり対処しておきたいし、製品を提供する前に必要なテストはすべてこなしておきたい。
週一回の客との進捗会議ではそのあたりを訴へてきた。その記録は議事録にある。
だが、他の部署と調整するべきその客がまつたく動いてくれないのだ。まるでうちのグループでなくて他部署の管理者みたやうな口ぶりで「それはあの部署はできないつて云ふでせう」とか「それはとほらないと思ふ」といつて全然なにもしてくれないのである。
えうは調整能力がないのだ。ふたりもゐるくせに。
調整能力のない人間にいくら働きかけても、「やつぱりダメでした」と手ぶらで帰つてくるのが関の山である。また、そのことで客を責めるつもりはない。無理な仕事を押し付けられてゐるのだから仕方がない。
そのくせ、ギリギリになつて「これこれかういふテストができてゐないのは困る」とか云ひ出す。だからそれはやつがれが何ヶ月も前に「他部署と調整してできるやうにしてください」つて云つただらうが。
一方自社は自社で妙な方向にむかつてゐる。
全社員が営業マインドをもつ。
それは必要なことだと思ふ。
だが、それを押し進めるあまり、妙な「営業マインド」が育つたりしないだらうか。
たとへば昨今起きてゐる事故。これはその奇妙な「営業マインド」の結果ではないか。
必要なところに必要なだけ経費をかけるのを避ける。その結果の事故があまりにも多すぎないか。
人は、さうしたことを対岸の火事としか見ない。「うちの社も気をつけなければ」と思はない。いや、一瞬は思ふのだが、すぐ忘れてしまふ。
だから、ここは敢て「営業マインド」を捨てて仕事に臨みたい。
全社員が持つことになつてゐるのだから、やつがれが持つてゐなくてもほかの人は持つてくれてゐるはずだ。
その脇で、「営業マインド」を持たないものだからこその意見を述べていきたい。
どうも全員が同じ方向を向くことに恐怖感があるなあ。いかんいかん。
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