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Thursday, 24 August 2006

まちつと名せりふ

「名せりふ」といふのとチトちがふかもしれないが、対話のよさといふものがある。
対話。dialogueの訳かと思はれるが、たとへば「梅雨小袖昔八丈」通称「髪結新三」の新三と大家のやりとりにはいつも胸のすくものがある。
ま、それはやつがれがいつも大家の味方だからかもしれないが、しかし、これまでいろんな新三を見てきたけれど、「かつこいい」とか「やうすがいい」新三といふのを見たことがないから仕方がない。新三はいつでもイヤな奴だ。きつと世の中には「かつこいい」新三や「やうすのいい」新三といふものもあるのだらうが……ま、そのうち見られることを期待してゐる。

もとい。

しかし芝居でふたりのやりとりに惹かれてしまふといへば、これはもう「勧進帳」だらう。弁慶と冨樫のいはゆる「山伏問答」である。
冨樫の「勧進帳聴聞の上はもはや疑ひあるべからずさりながらことのついでに問ひ申さん世に仏徒の姿さまざまあり中にも山伏ないかめしき姿にて仏門修行な訝しし。これにも謂れあるや如何に」からはじまる問答は、まさに息をのんで見守るべき名場面である。
と、やつがれは思つてゐる。
さいご、「そもそも九字の真言とは如何なる義にやことのついでに問ひ申さん。ささなんと。なーんーとー」と、ついでに訊くやうな内容ぢやないことを冨樫が訊かせろと迫ると、弁慶は「九ー字ーのー」とちよつと勿体をつけ、「神秘は大事にて語り難きことなれど」でうんとうなづき、滔々と語る。
いやー、もーたまらん。

……つて知らない人にはわからないだらうか。でも中学校の音楽でやるよね、勧進帳。

とにかくでつかい男と男が(いや、でかくない時もあるかもしれないが、心持ちでつかい男同士と思つて見てゐるな、やつがれは)、ことばをかはしながら肉弾戦なのだよ、これ。力と力のぶつかり合ひ。智慧と智慧のぶつかり合ひ。いやはや、もうスペクタクルだよ。

名せりふといふことでいへばこのあと義経を折檻する弁慶に対し、冨樫の云ふせりふがまたいいわけだが(「早まり賜ふな 番卒どもがよしなき僻目より判官殿にもなき人を疑へばこそ斯ぁくぅも折檻し賜ふなれ 今や疑ひ晴れ申した。とくとく誘ひ通られよ」)、やはり「山伏問答」にはかなはない。

対話のよい映画やTVドラマとなるとますますむづかしからうな。こればかりコマーシャルでもムリかもしれない。

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