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Thursday, 31 August 2006

遠山の金さん

最近ニュースを見てゐると、「こんなの、遠山の金さんだつたら市中引き廻しの上打ち首獄門なのにっっ」と思ふやうな事件がよくある。

たとへば抵抗もできないやうな幼いこどもを虐待する親の話だとか。
あるいは老人ばかりを狙つて金銭をだましとる輩の話だとか。
はたまた耐震偽造をしてゐた輩の話だとか。

かうした犯罪は現行法ではたいした罪にならない。本来刑法では殺人罪にはそれと同等の罰を与へるやうになつてゐたと思ふが、判例からみると今はせいぜい十数年くらゐの実刑で場合によつては執行猶予がつく場合もある。
まあ、人殺しだつて事情がある場合もある。正当防衛といふこともあらう。

しかし、こどもを虐待するとか、力の弱いもの・知識の乏しいものをだますつてーのはどうよ、と思ふのである。
特に詐欺罪のかるさにはほとほとあきれるばかりだ。

かういふ時、「金さんなら」と思つてしまふ。
わかつてゐる。あれは物語だ。お涙頂戴のTVドラマである。
でもなあ……なんかこー、納得いかないんだよなあ。
まあ納得できるできないの問題ではないんだらうけどさ。

今日は「聾唖者を狙つた詐欺」なんてな話をきいてつい書いてしまつた。

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Wednesday, 30 August 2006

「の」

なぜ北条政子は「ホウジョウノマサコ」ではないのか。

こどものころから疑問だつた。
なぜ「源政子(ミナモトノマサコ)」ぢやないのか、とかね。

源政子でないのはおそらく当時は実家の名字を名乗るのが一般的だつたからだらうとかいろいろと考へられる。
しかし「の」は?

思へば、北条政子と同時代の人には「の」がつかない人が多い。
畠山重忠。梶原景時。齋藤実盛。樋口兼光。佐々木高綱。河津祐泰。工藤祐経。

しかしその主君には「の」がつく。
平清盛。平重盛。源義仲。源義経。源頼朝。
あれ、でも河津祐泰の息子には「の」がつくか。曽我十郎に曽我五郎。それともこれは曾我廼家十郎五郎の影響でさう思ふからか。

さらにその前の人には「の」がつくやうな気がする。
頼光の四天王にはみな「の」がつく。
渡辺綱。碓井貞光。卜部季武。坂田金時。
このうち、渡辺綱以外は「の」がなくてもをかしかないかな、といふ気がする。「うすゐさだみつ」「うらべすゑたけ」「さかたきんとき」。あ、金太郎さんは「の」がないとダメかな。

蘇我馬子、小野妹子にも「の」がつく。中臣鎌足。やはり「の」がはづせない。

「の」はともかく、北条政子の特筆すべきは「紫式部」とか「清少納言」とか「菅原孝標女」とかではなく、「北条政子」として名前を知られてゐるところかなあ。
以前、めりけんで女性運動(かつては「Women's Liberation」と云はれてゐたやうな運動)をしてゐる人に「日本の女性は昔から虐げられてきたのでせう」と云はれてちよつとむかつときて、「いえいえ、我が国には千年近くも前に北条政子みたやうに個人名で知られてゐる女性もゐたんですよ」と答へてしまつた。

しかし北条政子が有名なのはほかにさうした人がゐないからだ。
あの女性には申し訳ないことをしてしまつた。

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Tuesday, 29 August 2006

もはや秋

久しぶりに文房具屋に行つた。
なんだ、世の中はもう秋ぢやあないか。
紅葉や秋の花々・くだものをあしらつたびんせんやはがきがきれいにならべられてゐる。
いやー、やつがれ、紅葉とか秋の花々に弱いんだよね。秋色に弱いといふ話もある。
手紙なんか書きもしないくせに、ついふらふらとびんせんとお揃ひの封筒を手にしてたりして「はっ」と我に返つたり。

ふらふらと興の趣くままにノートのあたりを歩いてみて、愕然とする。
なんと、作文用紙がほとんどない。原稿用紙といふべきか。
夏休みの宿題で作文を書くなんてなことはないのだらうか。まああらかじめ数枚は学校から持つて帰つてきてゐるだらうけれども、それだけで足りるのか?
♯やつがれは足りませんでした(^_^;)。

思はず、「このままではいけないっっ」とその場にある原稿用紙を買はうとせしが、「……どうせなにも書かないだらう?」と思ひなほした。ちよつとさみしかつた。

この店は地元では老舗の支店で、本屋もくつついてゐる。本屋へはこの秋冬のあみもの本を見に行つたのだが……かなりの数出版されてゐるにもかかはらず、「これっっ」といつたものがない。がつくりと家路についた。

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Monday, 28 August 2006

よくわからない

わかりたくもない。
そんな時もある。

といふか、そんな時しかないかもしれない。

なにも考へたくない。
ただただぼんやりしてゐたい。

かういふ時は、電車を乗り換へる時に次の電車に乗らず、歩いてみるといいのかもしれない。
ぼんやり歩く。

家の中にひきこもるよりはその方が建設的だらう。

「寝ればいいと思ふよ」

そんな内なる聲が聞こえてくる。

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Sunday, 27 August 2006

不器用ですから

「自分は不器用ですから」といへば高倉健かもしれないが。
しかし高倉健は器用だらう。器用でなければ俳優なんてやつてられないだらう。

「自分は不器用ですから」。
それはやつがれのためにあることばである。

今でこそ手芸を嗜むやうになつてゐるが、だからといつて器用だとは限らないといふことをまさに体現してゐるのがやつがれである。
たとへば学校の成績だつて図画工作・美術・家庭科・技術系はすべて「努力点」だつた。
……つてこれはどこかで書いたな。
図工では版画の時に「身の程に応じた図案を考へろ」と教師に云はれたほどである。

たまにはじめての手芸なんぞをやつてみると一目瞭然。まはりの人々は(大抵は指先の器用な人々ばかりだから)はじめてとは思へぬくらゐすばらしいものを作つてゐるのに、やつがれのはどうだらう。今時小学生だつてもつとまともなものを作るよつてな出来である。

不器用であるといふことは悲しい。
家庭科の授業など、運針は針目がそろつてゐてまつすぐであることが要求される。要求されるといふよりはそれが「あたりまへである」と思はれてゐる。
それができないと、「なぜできないのか」と責められる。できないんだからできないんぢやつつ、と開き直れる人はいいが、さうでないと「なんで自分はダメなんだらう……ほかの人はみんなできてるのに」と落ち込むことになる。
国語・数学等の教科とちがひ、技術系の教科は出来不出来が一目瞭然だし、絵なんぞは教室にはり出されたりする。授業参観なんぞあらうものなら親にまで知られてしまふのである。体育も同様で、逆上がりなどは鉄棒の前に順番に並ばされ、ほかのこどもが見てゐる前で「ヲレはできない」といふことをさらさなければならないし、足の遅い子は運動会の時にその事実が衆目にさらされる。
できないこどもの心に負ふ傷は如何ばかりか。

結局、やつがれは授業でやるやうな手芸はなにひとつとしてできない。やらうといふ気にもならない。

「自分は不器用ですから」。

このことばを云ひ訳に使へるやうにしてくれた高倉健には感謝してゐる。

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Saturday, 26 August 2006

気がつくと

もう夏休みも終はりである。

比較的宿題のすくない小学校・中学校に通つてゐたせゐか、夏休みに勉強をしたといふ記憶があまりない。
うちはもともと「勉強するよりともだちと遊べ」といふ家庭だつたのでよけいにさうなのかも知れない。
♯成績下がつても部活動は辞めるな、といふ親だつた。
♯他の部員にはうらやましがられたが、やつがれとしては辞めたかつた。

もとい。

「勉強したなあ」と思つたのは受験を控へた年だけかなあ。それもきつとおそらくはふつうに勉強してゐる人が「ちよつと今日はがんばつてみた」といふ時の量と同じくらゐなんぢやないかといふ気がする。

勉強をしないと勉強ができなくなる。あるいは勉強の仕方がわからなくなる。
そんな気がする。
だから今やつがれはなにかを学ぶ時にやたらと遠回りをするやうな気がする。そして、自分が「わかつた」と思つた時点でその先の追究をやめてしまふ。

まあ昨今の夏は暑過ぎて勉強に向かないといふ話もあるよな。
やはり本邦でも「シェスタ制」を取り入れるべきだらう。

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Friday, 25 August 2006

Timely?

現在_What Do You Care What Other People Think?_を読んでゐる。
_Surely You're Joking, Mr. Feynman_はあとちよつとで読み終はるので、家で読むことにして、次を持ち歩いて読んでゐるのだが、なんだかとつてもtimelyな気がする。

またぞろスペースシャトルを打ち上げるの上げないのとかまびすしくなつてゐるしな。前回だつてあれこれ反対があつたのに、結局あげた。結果オーライになつてゐるが、それでいいのか。

一方で冥王星の問題もある。
これ、冥王星ばかりがcloseupされてゐるけれど、本質的には「惑星の定義」の問題のはずだ。
ニュースでは「今まで信じてゐたことが変はるなんて困る」とか「それぢやあこどもになにも教へられなくなつちやふ」とか云つてゐる一般人がゐるけれど、そもそも「Science is an evolving subject and always will be.」だ。歴史とか科学とかあるいはその他の教科にしたつてさうだけれど、なにか新しい発見があれば容易にこれまで教科書に載つてゐたことが書き変はる。当然のことだ。

なんか、さういふ「教育」つてされてないのかなあ。

と、本を読み乍ら思つてゐる。

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Thursday, 24 August 2006

まちつと名せりふ

「名せりふ」といふのとチトちがふかもしれないが、対話のよさといふものがある。
対話。dialogueの訳かと思はれるが、たとへば「梅雨小袖昔八丈」通称「髪結新三」の新三と大家のやりとりにはいつも胸のすくものがある。
ま、それはやつがれがいつも大家の味方だからかもしれないが、しかし、これまでいろんな新三を見てきたけれど、「かつこいい」とか「やうすがいい」新三といふのを見たことがないから仕方がない。新三はいつでもイヤな奴だ。きつと世の中には「かつこいい」新三や「やうすのいい」新三といふものもあるのだらうが……ま、そのうち見られることを期待してゐる。

もとい。

しかし芝居でふたりのやりとりに惹かれてしまふといへば、これはもう「勧進帳」だらう。弁慶と冨樫のいはゆる「山伏問答」である。
冨樫の「勧進帳聴聞の上はもはや疑ひあるべからずさりながらことのついでに問ひ申さん世に仏徒の姿さまざまあり中にも山伏ないかめしき姿にて仏門修行な訝しし。これにも謂れあるや如何に」からはじまる問答は、まさに息をのんで見守るべき名場面である。
と、やつがれは思つてゐる。
さいご、「そもそも九字の真言とは如何なる義にやことのついでに問ひ申さん。ささなんと。なーんーとー」と、ついでに訊くやうな内容ぢやないことを冨樫が訊かせろと迫ると、弁慶は「九ー字ーのー」とちよつと勿体をつけ、「神秘は大事にて語り難きことなれど」でうんとうなづき、滔々と語る。
いやー、もーたまらん。

……つて知らない人にはわからないだらうか。でも中学校の音楽でやるよね、勧進帳。

とにかくでつかい男と男が(いや、でかくない時もあるかもしれないが、心持ちでつかい男同士と思つて見てゐるな、やつがれは)、ことばをかはしながら肉弾戦なのだよ、これ。力と力のぶつかり合ひ。智慧と智慧のぶつかり合ひ。いやはや、もうスペクタクルだよ。

名せりふといふことでいへばこのあと義経を折檻する弁慶に対し、冨樫の云ふせりふがまたいいわけだが(「早まり賜ふな 番卒どもがよしなき僻目より判官殿にもなき人を疑へばこそ斯ぁくぅも折檻し賜ふなれ 今や疑ひ晴れ申した。とくとく誘ひ通られよ」)、やはり「山伏問答」にはかなはない。

対話のよい映画やTVドラマとなるとますますむづかしからうな。こればかりコマーシャルでもムリかもしれない。

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Wednesday, 23 August 2006

たまには名せりふ

自分にとつて一番の名せりふとはなんだらうと、時々考へてみる。

一番はじめに覚えた名せりふは「しがない戀の情けが仇」だつた。云はずと知れた「死んだと思つたお富とはお釈迦様でも気がつくまい」である。最初に覚えたせゐだらうか、今でも一番覚えてゐるせりふである。

あとは黙阿弥の名せりふ。「月も朧に白魚の」とか「知らざあ云つて聞かせやせう」とか「問はれて名乗るもおこがましいが」とか。「だが待てよ」にはじまる「お月様と俺ばかり。こいつは滅多に死なれぬわえ」なんてのは云ひ訳がましく云ふこともある。

また浄瑠璃にもよいものが多い。「浅きたくみの塩冶殿」なんてたいしたせりふぢやないけれど、時々ふつと浮かんだりする。「寺子屋」には好きなものが多くて「せまじきものは宮仕へ」はもちろんだけれども、「女房喜べ せがれがお役にたつたわやい」「机の数が一脚多い」「松はつれないつれないと」とか、芝居の中身を知らないとなにがいいのかわからないやうなものもある。せりふぢやなけねどいろは送りなんて最高だと思ふ。

昨今の映画やTVドラマに足りないのは名せりふ、とは以前も書いた。
別段名句・名言でなくてもかまはない。調子のよい、ふと口をつくやうな名せりふが生まれないものだらうか。

……生まれるとしたらコマーシャルから、といふことになるのかなあ。

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Tuesday, 22 August 2006

ラジオドラマ

「時のない国その他の国」といふラジオドラマがあつた。
腕時計から針をはづしてしまひ、年をとらなくなつた夫婦がふしぎな世界を旅する話だつた。

当時はよくラジオドラマを聞いてゐた。
神林長平や新井素子のSFドラマをNHKで放送してゐたやうに思ふし、NHKFMでもあつた。松橋登がえらいいい男の泥棒役で出てたドラマがあつたつけ。確かに松橋登の聲は超絶二枚目にぴつたりである。

「時のない国その他の国」もそんなドラマの中のひとつだつた。
妻役は日航機事故で亡くなつた宝塚出身の女優・北原遥子、夫役は森本レオだつた。

……てなことを以前の日誌でも書いてゐたんだな。進歩しないな、ヲレ。

もとい。
その森本レオが二十年ぶりにラジオドラマに出るといふ。TalkMaster IIで録音しやうかな。

さういへば、その昔はさだまさしがセイ! ヤングで三国志や太閤記をやつてゐたし、ナッチャコこと野沢那智と白石冬美が金瓶梅なんてのもあつたよなあ。
先日の人形劇ぢやなけれども、かういふ「講談調」の「それは次回の講釈で」みたやうなドラマをね、ラジオで聞くといふのはとてもいいやうな気がする。

後ろ向きすぎる?
まあ仕方ないやね。なんといつても「後ろ向き上等」だからね、やつがれは。

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Monday, 21 August 2006

夜中に叫ぶ人(BlogPet)

そういえば、雅亮が
ここのところ「GRDIGITALが」とかいつて写真機についていろいろ調べま触.
とか書いてた?

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ちゃっくん」が書きました。

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触つてしまつた

NikonFに。

NikonF

しかし。
いやはや、ひどい状態だつた。
たまの休みといふことで、親戚宅に押しかけて念願のNikonFを見せてもらつたはいいが。
まづなかなか出て来ない。どこにしまつたか忘れたといふ。待つてゐるとやがてたんすの奥からあらはれた。
世の中にはこんな仕打ちを受けてゐるNikonFもあるのだらうか。

フィルムが入つてゐない状態でまづ持つてみる。
重たい。
手にずしりとくる。
これはブレが心配だなあ。
それにあちこち汚れてゐる。メカニカルな部分は問題なささうだが、レンズも、汚い。
さう指摘するも老眼の人にはよく見えないらしい。むう、これはもし使はせてもらふことになつたらなんとかするか。

フィルムを入れて撮影。
まづ、シャッターを切つた時の音がいい。
うーん、さういへばカメラつてこんな音がしたかも。最近はデジタルカメラや携帯電話のカメラばかりであの音を再現した音しか聞いたことがなかつたけれど、実際に聞くといいね。
問題は、重たさでシャッターを切つた時にブレてるんぢやないかといふこと。これは現像してみないとわからないな。
かまへてみて思ふが、ほかにはなにも持てない状況だ。必ず両手のあいてゐる時に写真機をしつかりかまへてシャッターを切る。さうしなければ絶対にブレる。さうしてもブレるかも。

シャッタースピードや絞り値の具合はわからなかつたので、フィルムのパッケージに書いてあるとほりに設定。フォーカスも最初はファインダを覗いていぢつてみたが、だいたいの距離をみてあはせて撮ることにした。

うーん、どう撮れてゐるのかさつぱりわからない。

とりあへずヴェランダから外を写してみた。同じものをGR DIGITALでも撮つてみたのであとで比べてみたい。

さうさう、NikonFの写真を撮つたのもGR DIGITAL。

やつぱり買ふかな。

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Sunday, 20 August 2006

人形劇よふたたび

おどろいたことだつた。
いきなりTV画面に玉梓が大写しになるぢやあないか。
「え、え、え?」と思つて見つめてゐたら、丶大法師が切腹して果て、そのまはりには八犬士がっっ。
そしてこのナレーションの聲、これ、坂本九だっっ。
♯いや、こどものころはそれが「坂本九」であるとは認識してゐなかつたがね。

なんと時代劇チャンネルで「新・八犬伝」はじめかつてNHKで放映された人形劇のうち放映するに足るだけ残存してゐるものを再放送してゐるといふのだ。
うわー、見たい。真田十勇士(脚本は柴錬こと柴田錬三郎だ)とか紅孔雀とか時代劇ぢやないけど「プリンプリン物語」とか。

見てゐると「笛吹童子」がはじまつたが、なんと全220話あるうち、放映できるのは最初の1話と最後の1話の2話だけだといふではないか。
むー……そんなものなのかー。
「人形劇・三国志」はLDになつたりDVDになつたりしてゐるのでそれなりに残つてゐるんだらうけど、さういへば「プリンプリン物語」だつてたいして残つてないらしいよな。もつたいない……。

それにしても。
ジュサブローの人形はいいねえ。
なんといふか、アヤシい。あのアヤシさはなんだらうね、いつたい。
基本的に面長で受け口、そして目が寄つてゐる。なんだけれども、里見の殿とか浜路とか、なんだかとつても「美形」な感じのつくりだし、品のない役はそれなりに品なく見える。大写しになつた時顔の表面にほのかに見えるちりめん(おそらく)の凹凸もまた味はひ深い。
圧巻はやはり玉梓なのかもしれない。正月に里見八犬伝のダイジェスト版を放映してゐたが、菅野美穂、悪くなかつたんだけどやつぱりジュサブローの玉梓と比べちやふんだよね。こどものころに焼きついた記憶だからよけいに凄みがましてるのかもしれないけれど、夕べ見た感じだとやはりやつがれの記憶は正しかつた、と思つた。妖気ただよふこの世ならぬものといつたおそろしさがねー。たまらん。

また、まつたく覚えてゐなかつたが、ナレーションに三味線の音がかぶつたりするあたり、なんとなく文楽の影響つぽい感じがする。この三味線がまたきまつてゐるわけだが、今これを再現するのはむづかしからうなあ。

NHKで人形劇が放映されなくなつて久しい。定期的に、といふ意味だけれど。
里見八犬伝とか真田十勇士とか、はたまた三国志などは毎日あるいは毎週一度放映して、「それは次回の講釈で」でつづく形がとつてもあふんぢやないかと思ふ。上にも書いたけれど、里見八犬伝を二時間枠で全二回で放映するなんて、所詮ムリな話だし、ダイジェスト感が出てしまふ。
♯それでいいつてーんなら仕方ないけどね。
♯スポンサもゐる話だしね。

リメイクでもいい。真田十勇士とか是非見たいものなんだがなあ。
猿飛佐助とか三好晴海入道とか、キリー・ギャグレー……ぢやなくて霧隠才蔵とか、見たい見たい。

と思つてゐたらアニメ作品があるのか……。知らなかつたな。
♯キリー・ギャグレーは才蔵ぢやなくて海野六郎らしい…………

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Saturday, 19 August 2006

夜中に叫ぶ人

夏休みともなると現実世界にもネットにも若人が跳梁跋扈(?)するやうだが。

我が家の近所にゐるのは若人ではない。聲の感じからするとおじさん。昼夜かまはず突然怒鳴り出す。集合住宅だから聲が響く。しかしどこにゐるのか判然としない。
どうやら向ひにある棟のうちのひとつに住まひする人だといふ話だが、このおじさん、最初は土日の昼間に叫んでゐたやうに思ふ。
このあたりは違法駐車をすると自治会がうるさくて、それでなにかもめてゐるのかと最初のうちは思つてゐた。
それがどうもさうではなささうだと思ふやうになつたのは、夜中も叫ぶやうになつたからである。
叫ぶといふよりは怒鳴るだらうか。

そんな話をしてゐると、すこしはなれたところにある集合住宅にも叫ぶ人がゐるといふ。こちらは女性らしい。もうせん有名な話だといふ。

なんなんだらうねえ、と思つてゐたら、昨日職場でも「いやー、最近夜中に大聲出す人がゐてさー、まゐつてるんだよねー」などとこぼしてゐる人がゐるではないか。

うーん、夜中に叫ぶのがひそかにはやつてゐるのだらうか。
日中(いや、うちの近所の人は昼日中から怒鳴ることもあるが)ためにためた鬱積が日の沈むとともに爆発するのだらうか。

さういへば、高校生くらゐのころだらうか、夜中になると「ママ〜」と叫び出すこどもがゐた。そんなに大きな聲ではない。夜といつても九時とか十時とか。きまつてそれくらゐの時間になると「ママ〜」「ママ、どこよ〜」と云つてゐるのが聞こえてくる。男の子の聲だつた。部屋の中に聞こえてくるくらゐだからそれなりに大きな聲だとは思ふのだが、どこか弱々しい感じでなんとなく気になつてゐた。
どうも「ママ」は夜の仕事に出てゐるらしい、とか、「ママ」は姑と暮らすのがイヤで出て行つてしまつたのだ、とか、いろいろうはさを聞いたが、その後母を恋ふ聲はぴたりとやんだ。

夜中に怒鳴るオヤジの聲を聞くと、この時のことを思ひ出す。

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Friday, 18 August 2006

Ich moechte Live gehen!

Die PrinzenのAkustisch Liveを買つた。DualDiscといふことで、片面はCD、もう片面はDVDである。
以前から「コンサートに行きたい最後の演奏家・歌手」かもしれないと書いてきたDie Prinzenである。
うーん、やつぱりいい。いづれもCDで聞き慣れた歌ばかりだけれども、Liveとなるとまた趣がちがふ。しかもakustisch(acoustic)だし。Bombeなんか、これくらゐかるい方がいいかなあといつた感じ。

あー、行きたいのう。行つてみたいのう。

とりあへず計画を立ててみるかのう。しかしチケットつて手に入りにくかつたりしないのか知らん。

まあひとまづはDVDでも見て気を落ちつかせるかの。

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Thursday, 17 August 2006

素人考への穴熊

よく「相手の玉は下段に落とせ」といふ。
玉は八方に動ける駒だ。上段に行くとあちらこちらに逃げ道ができてしまふ。したがつて逃げ道を塞ぐやうに一番下の段に行くやうにしむけろ、といふのだらう。

さうすると、穴熊といふのは実は一番弱い囲ひなのではないか。
玉はどこにも行く場所がないからだ。
ほかの駒に囲はれてゐるから大丈夫なのだらうが、ほかの駒であそこまで囲はなければならないのは玉が一番弱い位置にゐるからだらう。

指せない人間が云ふのもをかしいが、そんなわけでどうしても穴熊は強いとは思へないのだつた。

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Wednesday, 16 August 2006

NikonF

ここのところ「GR DIGITALが」とかいつて写真機についていろいろ調べまはつてゐるせゐだらうか。
親戚から「NikonFを使はないか?」といふ話があつた。
思ひ出すと、この人はいつも首から重たさうな写真機を提げてゐた。別段マニアといふわけではないらしかつたが、若いころ無理して買つたものらしい。
♯この人のつれあひに云はせると、
♯「同じ値段で東京にいい土地を買へたのに」
♯ださうである。

さう、40年は前の機種である。
でもふつうに使へるらしい。うはさによるとまだメンテナンスサービスを受けられるともいふ。

な、なんかとつても惹かれるんだが。
しかしあの重たいのを持ち歩くかなあ。ちやんと構へられるのだらうか。

とりあへず一度見せてもらふかなあ。

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Tuesday, 15 August 2006

件の母

くどいやうだが、泣ける歌といへば「岸壁の母」。
別に「母一人子一人の一家に赤紙がきて」とか「そのひとりつ子が戦死して」とか「母の愛」みたやうなところに泣けるわけではなくて。

「帰つてこないとわかつてゐるのに「もしやもしやにひかされて」毎日岸壁にやつてきてしまふ」といふその思ひに泣けるのである。

わかつてるんだつてば。息子は戦争に行つて死んでしまつた。もう今生で会ふことはない。母と子だもの、一世の仲だ。生まれかはつたつて会へるわけぢやない。
でもひよつとしたらもしかしたら奇蹟でも起きて、ひよいと待ち人が帰つてきたりはしないだらうか。戦争の大混乱の中でのことだもの死んだといふのはなにかのまちがひで、実は生きてゐたりはしないか。
そんなことはないとわかつてゐても、それでも気がつくと今日も岸壁に来てしまつたよ。

なんか、切ない。

それにくらべて「九段の母」は、と以前も書いた。
泣けないのである。母が立派過ぎて。
戦後六十年。本邦の人の考へ方はこんなにかはつてしまつたのかと愕然とするほど、この「母」の云ふことはわからない。「栄誉の戦死。おつかさんはうれしいよ」とか「こんな汚い婆が勲章を頂戴して、おまへはなんと孝行息子」とか、さういふmentalityは理解の外になつてゐる。
おそらくやつがれの祖父母の代はギリギリでかういふ考へ方をしてゐたのだと思ふ。記憶にある限り、やつがれの祖母はさうだつた。この歌に出てくる「日本の母」のひとりだつたらう。だが、孫のやつがれにはその考へ方が伝はらなかつた。

泣けない「九段の母」だが、それには息子からの最後の手紙を理解できなかつたから、といふ話もある。
明日は最前線に出るといふ日、息子は母に手紙を書く。そして「最後のお願ひ」といつて、故郷の(馴染みの)お地蔵さまにあたらしい前掛けをかけてあげてはくれまいか、と頼むのである。
学徒出陣とはいへ、徴兵されるほどの年齢の男子が、だ。お地蔵さまである。なんかかう、もつとほかに「知り合いによろしく」とかなんとか、ないのか。
と、幼いころのやつがれは思つたわけだ。

だが、長じてよくよく考へてみれば、この息子には故郷に同い年の友人などゐるわけがないのである。みな兵隊にとられてしまつてゐるぢやあないか。そして、多少の前後はあるだらうけれども、この息子と同じやうにみな最前線にやられてしまつてゐるにちがひない。中にはもうこの世の人ではないものもあらう。
女の子はといつて「男女七歳にして席を同じうせず」のころだ。また手紙は検閲を受けるだらう。迂闊なことは書けない。
結局、こどもの守り神といはれるお地蔵様、親より先に死んだ子の賽の河原で石積むを救ふといふお地蔵様によろしくといふのがやつとなのだ。自分や自分と同じやうに親をおいて先立つもののために、といふのはうがちすぎだらうか。

さう思ふと泣けないこともない……のだが。
うーん、やつぱり母も息子も立派過ぎるね。浪曲とはさうしたものかもしれないが。

それにしても、たつた一曲にこれだけいろいろ裏に意味がある歌が今の本邦にあるだらうか。
ちよつと思ひつかないな。
ま、あつたところで今の人間に理解できるとは思はれないがな。

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Monday, 14 August 2006

前哨戦?

とりあへず本を買つてみた。
GRデジタルワークショップ」を、である。

とりあへず本から入つちやふのがやつがれの短所である。

GR DIGITALの本は何冊か出てゐて、実際にGR DIGITALで撮つた写真をまとめたものとかカメラ雑誌のムックなんかがある。
この本を選んだわけは、適度に文章もあることと、「チョートク」といふ名前に見覚えがあつたからだ。
♯以前も書いたがやつがれ、写真機の世界に疎い。
♯まちがつても「カメラ小僧」とかではない、まつたくの門外漢である。

多分、パソコン雑誌に連載を持つてゐたやうな気がするのだが……それはまた別人かもしれない。
いづれにしてもその時の気分によつて写真を眺めたり文章を読んだりする。また楽しからずや。

考へてみれば、「写真集」といふものもこれまで買つたことがないかもしれない。
うーん、ますますGR DIGITALは自分には過ぎた写真機に思へてきたなあ……。

身の程を知らねばとは思へども、ほしいものはほしいのだつた。
ううーん。まゐつた。

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Sunday, 13 August 2006

それで思ひ出した

以前も書いた気がするが、女子高生とおぼしきふたりの女の子の会話。

甲「教習所つて、専門用語多くてわかんないんだよねー」
乙「うんうん」
やつがれ(専門用語? ハイドロプレーニング現象とかだらうか……)
甲「このまへ「徐行しろ」つて云はれてさー。「徐行」つてなんだかわかんないぢやん」
乙「わかんないよねー」
甲「わかるやうに云へつてーの」
乙「ほんとほんと」
やつがれ(……………………)

さういへば、自宅前の駐車場は出口が坂になつてゐて、以前は「徐行」と大きく道路に書かれてゐた。
それが今はなくなつてゐる。

さうか、世の中、「徐行」がわからない人が増えてゐるのか。
またひとつ、世間といふものを学んだやつがれであつた。

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AT車の謎

オートマチック車にはほとんど乗つたことがない。
運転席も助手席・後部座席も含めての話である。
今は自動車を所有してゐないのでそもそも自動車に乗る機会がすくない。

そんなやつがれだが、すこし前から気になつてゐたことがある。
ブレーキをやたらと踏む車が案外多いことだ。

教習所では、ブレーキに頼りすぎないやうにと教はると思ふ。すくなくともやつがれはさう教はつた。
♯といふ書き方からわかるかも知れないが、やつがれは教習所で
♯習つたことは(覚えてゐるかぎり)守る性質である。
♯ゆゑに自動車に乗るのをやめた、といふ話もある。
♯危険だからだ。

急ブレーキは避けるべきで、ブレーキの基本はポンピングとエンジンブレーキ。
停止する時はあくまでゆるやかに止まる。
坂をくだる時はギアを低速に落としてエンジンブレーキを利用する。

さう習つたはずなのだが、しかし目の前を走つてゐる車は四六時中ブレーキを踏んだりはなしたりしてゐる。ブレーキランプの点滅がそれを告げてゐる。
しかもランプはポンピングブレーキを使用してゐるにしてはあまりに長いことつきつぱなしだつたりする。

昨日話してゐて、どうもそれはAT車にしか乗つたことのない人(あるいはAT限定免許取得者)に見られる現象らしいといふことをはじめて知つた。

AT車にも低速ギアにあたるものはある。実際普段マニュアル車を運転してゐる人がAT車に乗ると、下り坂でギアを入れかへたりするものだ。
しかし、AT車にしか乗つたことのない人には、まづギアを「D」に入れつぱなしのまま運転する人が多いのではないか、といふのだ。

確かに、教習所に通つてゐた当時、AT車はマニュアル車に比べてエンジンブレーキがききにくいといふ話を聞き、実際に試す機会もあつたやうに思ふ。
AT車を運転する場合は常にアクセルかブレーキを踏みつぱなしにする人がゐてもあまりふしぎではない。

その一方で、ブレーキの踏み過ぎは結句ブレーキのきかなくなる状況を招くので気をつけるやうに、といふことも教習所では教へるはずだ。

おそらく、教習所に足りないのは「AT車はエンジンブレーキのききが悪い」と「ブレーキの踏み過ぎはパッドの摩滅やブレーキの焼きつきを招くので気をつけやう」といふふたつの状態をつなぐ情報なのではないか。
結論として「ポンピングブレーキを使ひませう」といふてもエンジンブレーキのききが悪いんぢやあねえ。

やつがれの予想では、世の技術といふものは日進月歩なので、やつがれが教習所に通つてゐたころよりはAT車のエンジンブレーキのききも相当よくなつてゐるはずなのだが。
ちがふのかなあ。

ま、しかしさういふブレーキを踏みすぎる車には山には行つてほしくないよな。
もひとつま、やつがれ、山には滅多に行かないのでかまはないけど。

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Saturday, 12 August 2006

危険な番組

「世界の車窓から」。
サッカーのワールドカップ前から独逸篇に入つてゐて、とても危険。
見てゐるだけで行きたくなる。

独逸は税金が高いからなー、とか、物価が高いからなー、と思ふのだが。
でもやつぱり行つてみたいよなー。

さらにこの番組で危険なのは「電車に乗りたくなる」ことである。
できるだけ見まいとするのだが、気がつくと見てゐる。
いかんいかん。

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Friday, 11 August 2006

GR DIGITAL、買つちやはうかな

普段撮るのは自分で編んだり結んだりしたものの写真である。
「芸術的」な写真を撮る必要はない。どちらかといへばのつぺりと至るところがよく見えるやうな写真が望ましい。編み物はもちろん手芸の本に掲載されるのはさうした写真がいい写真だからだ。どこか影になつてゐたりよく見えないやうに撮つてある写真は「よくない写真」すなはちその作品になにがしかの瑕疵がある証拠なのである。

そんなやつがれにGR DIGITALは必要ないな、といふのが正直なところなのだが。

その次によく撮るのが夕焼けの写真なのだつた。
iBookのiPhotoにつめこまれてゐるのはほとんどが夕焼けの写真。自宅のヴェランダから西の方角を撮つた写真ばかりだ。時に朝のこともある。

さうなつてくると、GR DIGITAL、いいよな、と思つたりするのだつた。
ただやつがれ、別段「カメラ小僧」つてわけぢやないんだよなあ。写真機の世界つてよくわからないことばかりである。時々カメラ屋で一般の人にとつてはマニアックな写真機を見てゐると「これ、いいですよ」とか聲かけられるけど、よくわからないのだつた。

でも、かるい気持ちで買ふにはちよいと高価な買物である。

そんな感じでためらひつつ、帰宅途中に寄り道して店頭のGR DIGITALをいぢるやつがれなのだつた。

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Thursday, 10 August 2006

地理を知らないと困ること

先日、「A街からB街へ行かうとしてC街へ行つてしまつたんですよ」と話してゐる女性がゐた。
同じ職場でちがふ会社から来てゐる若い人だが、とてもてきぱきした態度で仕事ができる。
A街とB街は電車で一駅、歩いてもおそらく二十分あるかどうかである。B街とC街はまつたく逆方向だ。
どうもこの女性はA街付近の地理に疎かつたらしく、同行の人も「A街の隣駅からだつたらB街への行き方がわかる」といふので、まづは隣駅、すなはちB街から遠ざかる方へ電車で向かつたといふのだ。

これを聞いて、「ああ、おそらくこの人と同行の人は別の市あるいは都道府県から来た人なんだらうなあ」と思つた。A街もB街も趣はちがふがこのあたりでは若人の集ふ街として有名なところだ。その地理感がないといふことは、よそから来た人なのだらうと推測してもなんらふしぎではない。

だが、どうやらさうではないらしいことが本日判明した。
件の女性は、仕事のできるはきはきした女性は、どうやら地理に疎いらしいのである。

聞くともなしに聞いてゐると、件の女性と同じ会社から来てゐる人が明日は法事でお休みなのださうである。その法事でお休みの人のゐない時に、さらに別の件の女性の上司が、「福井なんだつて」と云つてゐた。
すると件の女性、「福井つて云はれても……」ともごもご云つてゐる。ふだんの歯切れのよさからは考へられないやうなもごもごぶりだ。
すると、上司の人は慣れてゐるのだらう、手帳についてゐる地図を示し乍ら、
「これが福井。これが京都でこれが滋賀」
と教へはじめた。
「えー、福井つてこんなところなんですかー」
とか
「京都つて結構奥(日本海側までつてこと?)まであるんですねー」
とか
「あたし、新潟つてもつとこつちの方かと思つてました」
とか、感想を述べる件の女性。

これをして、バカにするのはたやすい。
しかし世の中の人は案外かうしたものな気がする。

ところが、地理を知らないと困ることがあるのだ。
たとへば、初対面の人に出身地をきいた場合である。
先日、とある人がこぼしてゐた。
「下関なんですよつて云ふと、「九州なんですか」とか「四国から大変ですね」つて云はれるんですよ」
と。
御存知下関は山口県。中には下関と門司がごつちやになるといふ人もゐるが、それくらゐはご愛嬌といふものだらう。
気にしない人はいい。だが、大抵の人は自分の出身地をまちがへられたらむつとするのではないか。
さう、地理を知らないと他人に不快感を与へる可能性がとても高いのだ。

こんな時に競馬競輪競艇オートレースが役に立つ……時もある、といふのはまた別の話か(笑)。

……それにしても不思議である。広辞苑をひくと、競馬競輪はそれなりに詳しく書いてあるものの、競艇は「モーターボートの競争」、オートレースは「オートバイ、自動車などの競争」としか書いてゐない。
いや、まあそのとほりだけどさ。
なんだかちよつとさみしかつた。

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Wednesday, 09 August 2006

宝塚的なるもの

先日、NHK-BSで宝塚雪組の舞台中継録画を見た。
宝塚歌劇団にはとんと不案内である。ゆゑにだらうか、見てゐて疑問を抱くことがある。

たとへば。
人はどうやつて宝塚的のものをあたりまへのものと受け入れてゐるのか。
その時ふしぎに思つた。

顔にはばつちりと化粧をほどこしてゐて、つけまつ毛を幾重にもはつたあの人々を「男」ととらへられるのはどうしてか。

歌舞伎の女方はなんとなくわかるのである。
そもそも髪型がちがふし衣装がちがふ。中には蝙蝠安みたやうに女物を着て出てくる役もあるが、それを見て「あれは「女」だ」と思ふものはない。どこからどう見ても「男」である。

一方宝塚の男役は、髪型だつて今時あのくらゐのヴェリーショートの女性はいくらもゐるし(中には長髪の役もあるし)、三揃へでぴしりと決めた女性だつてゐないとはいへない。
なのに、ちやんと「男」に見える。
すごい。

男役の生徒もすごいのだらうが、その男役の生徒を「男」に見せてゐるのは娘役の生徒であらう。娘役の生徒たちはみなとても「乙女」だ。あと少しやり過ぎたらイヤミになる、そのすれすれのところで「娘」である。
すばらしい。

時々思ふのだが。
韓流ドラマを歌劇団用にアレンジして宝塚で上演したらとてもいいんぢやなからうか。
韓流ドラマはほとんど見たことがないが、話を聞くにとても宝塚的のやうに思はれる。実際に男女で演じるより、宝塚で演じた方が受け入れやすいんぢやないか。そんな気がする。
やつがれが考へるくらゐだから、もう現実のものになつてゐたりするだらうか。あるいはさういふ計画が進んでゐたりするのではないか。

実際に舞台で歌劇団を見たのは二回に過ぎない。うち一度は「ベルサイユのばら オスカル篇」。
オスカルといふのは、実におもしろい役どころだと思ふ。男役トップが演じる(オスカル篇の場合はね)にもかかはらず、オスカルは女である。でもその姿は男のやう。ロザリーをして「なんであの方は女なんだらう」と嘆かしめるほど「男」でなければならない。このまんがを歌劇団でやらうと考へた人はやはりすばらしい。

宝塚。
見に行きたいと思へども、なかなか席が手に入らない。
それゆゑによけいに見たさがつのるのかもしれない。

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やつぱり猫が好き(BlogPet)

ネットで大きい好きと、好きなどをBLOGしなかった
好きとかしまや好きなどをBLOGしなかった
道行く人が犬をつれてゐたりすると、好きなどをBLOGしたかったの♪
ちゃっくんが、好きとかをBLOGしなかった
だよ♪


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ちゃっくん」が書きました。

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Tuesday, 08 August 2006

W-ZERO3を使ひこなせない云ひわけ

W-ZERO3[es]を触つてきた……つもりだつたがモックだつた。
しかし[es]にはあまり惹かれない。このことについては以前もちよこつと書いたが、別段W-ZERO3に電話の要素を求めてゐないからである。W-ZERO3はとても気に入つて使つてゐるけれど、「これで通話機能がなかつたらもつとバンバン使へるのになあ」と思ふことしきりなのだつた。
[es]はバッテリの持ちもよくなつてゐるらしくて、そこらへんはいいなあと思ふのだが、形としてはW-ZERO3の方が好きなのだつた。

しかし、そのW-ZERO3も実はあまり使ひこなせてゐない。
結局予定などはTungsten|Cで管理してしまふからだ。
Tungsten|CにはPalm IIIからの資産(?)も多いし、バッテリは持つし、なんといつても使ひやすい。
W-ZERO3は、どうも……今ひとつ使ひ勝手が悪いのである。
そんなやつがれの理想の携帯電話(PHSでも可)はやはりTreoなのだが……うーん、でももうPalmOSもかはつてしまつたといふ話だし、どんなもんだらう。
それにW-ZERO3のよさつてマシン自体のよさもあるけど、絶対通話料のよさが大きいと思ふのだ。

それにしても、こんな状態でTungsten|Cが使へなくなつてしまつたらどうしやう。替へもないしなあ。

すでに同じやうなことを書いたエントリがあるけれども、何度か書くとほんとになつたりしないかな、と思つて書く。
バカだな、やつがれ……

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Sunday, 06 August 2006

英國的なるもの

It is elementary, my dear Watson.
このあたりがイギリス初体験だらうか。
おそらく子供のころ一番最初に意識した外国といふのはアメリカ合衆国で。
次くらゐに米国とはちがふ、まだ女王様がゐて皇太子もゐていはゆる王族がゐる、でも統治はしない、仏蘭西みたやうな革命のなかつた國として、「グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国」すなはちイギリスに出会つた。そんなやうな気がする。

シャーロック・ホームズで印象的だつたのは、ホームズとワトソンが互ひの名字を呼び合ふところ。英語の授業では「あちらの人はなかよし同士ならファーストネームで呼び合ふ」と習ふのだが、これをいきなりくつがへしてくれてゐる。しかも呼び捨て。つまりさういふ付き合ひもあるといふことがここからわかる。さういへばポアロとヘイスティングスもさういふ呼び方をしてゐたか。ポアロはヘイスティングスのことを「Mr.」つきで呼んでゐたかな。
♯そしてこのあたりからやつがれは「ワトソン=女性説」はあり得ないと思ふものだが……
♯どんなもんだらう。

そして次にくるのがThe Beatles。
「革命を起こしたいつて? でも破壊に手をつける時はぼくは仲間にやならないよ」
とか
「たれも聞くことのない説教の文句を書いてゐる神父」
とか
「1, 2, 3, 4 もうチトもらつていいか知らん」
とか
「世界を見たら回つてゐることがわかつたんだ」
とか
そんなことを歌ふ本邦の歌を当時のやつがれは知らなかつた。今も知らない。
だから当然好きなのは後期。特に「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド」。
ビートルズ以降順調に洋楽を聞くやうになつたのだが、プログレくらゐで前に行くのをやめてしまつた、といふのはまた別の話。
たとへば「愛こそはすべて」なんかでも佐藤くんこと佐藤良明の「ラバーソウルの弾み方」を読むと「ははー、さういふとらへ方もできるのね」と、深くうなづくことしきり。単純に「愛があればほかのものなんて」みたやうな歌ぢやないといふこと。
そして、二十歳を過ぎるあたりから、初期のころの歌も好きになつてゐた、といふのもまた別の話。

もうかうなると次にくるのはモンティ・パイソン。

となるはずなのだが、やつがれにはビートルズとモンティ・パイソンのあひだにもうワンステップあつた。
それが速星七生である。
Googleで検索してもあまり情報の出てこないまんが家だが、「たいした問題じゃない」「ナナオの症候群」は実におもしろかつた。ミステリだしイギリス風味いつぱいだし、とてもよかつた。基本的には喜劇なのだが、風刺といふか皮肉といふか(satireといふか)もきいてゐて、ちよつとこんなまんが家ゐないといふ感じでなあ。
♯坂田靖子のまんがにも(「バジル氏」以外でも)イギリス趣味あふれるものがあつていい。

そこからモンティ・パイソンといふのはかなり自然な流れといへる。
実はモンティ・パイソンより先にサタデー・ナイト・ライヴに出会つてゐて、チャビー・チェイスが「Welcome to New York. It's Saturday night!」と冒頭で云ふてたころのが一番好きだつたりはするのだけれど、そしてそれはジム・ヘンソンのblackなマペットショーが好きだつたからだつたりはするのだけれど。
ジム・ヘンソンはともかく、サタデー・ナイト・ライヴはモンティ・パイソンにはやはりかなはないわけで。そら標榜するものに勝てるわけはなかなかないわけで。
故・山田康夫は「なにがおもしろいのかねえ」みたやうなことをインタヴューで云つてゐるが、おもしろいでせう。なんでマルクスはサッカー事情に詳しくなければならないのか、とかさ。当然マルクスはサッカーのことなんて全然知らないわけだけれど、インタヴュアは「知つてて当然だらう?」といふ態度である。サッカーといへばなぜサッカーの選手は碌々インタヴュアの質問に答へられないのか、とかさ。「Hells Grannies」とかもをかしかつたよなあ。

そんなところがやつがれ的「英國的なるもの」はじめだつたりはする。
あとはまあ、行つたことのない國だしね。よくはわからんのだつた。

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やつぱり猫が好き

といふか、犬も好き。
道行く人が犬をつれてゐたりすると、思はずぢつと見つめてしまふ。ニンテンドッグズも買つてるしな。

でも猫もいいよなあ。編み物関連のweblogを拝見してゐると、飼猫の写真も掲載されてゐたりして、これがまた一々どれも可愛くてまゐつてしまふ。中には必ず飼猫の写真を掲載する人もゐて、彼女(雌なのである)の写真のない日は物足りないなんてなこともある。

好きだが飼ふつもりはまつたくない。
自分の面倒も見られないやうな人間に飼犬・飼猫の面倒なんぞ見られるものか。

といふわけで、犬猫はおろか鳥や魚の類も飼へないのだつた。

ちなみに兎は飼ひたいと思つたことはないが……勤務地最寄り駅の商店街で兎を飼つてゐる人がゐるんだよなあ。パンダ兎。とてもおとなしくてとてもかはいい。
もちろんいつも見つめてしまふのだつた。

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Saturday, 05 August 2006

燃えるiBook

iBookを使つてゐると冬でも暖房が要らないんぢやないかと思ふことがある。
特に左手のあたり。
今もかうして打つてゐて暑くて熱くて仕方がない。
一応冷却板を下にしいてはゐるのだが、この板がすでに熱い。
「これでよく熱暴走を起こさないなー」と思つてゐたが、今年はじめて経験した。あるいはしさうになつた、といふべきか。あまりの暑さに耐へかねたのだらう、iBookが奇妙な音をたてはじめたので、あはてて電源を落としたのだつた。

マシンを快適な環境で使はないやつがれが悪いのかもしれないが。
しかし、みんながみんな冷房の効いた部屋でノートPCに向かふとも思はれない。苛酷な環境で使ふ人はさうした用途に特化したものを使へばいい? だが残念なことにやつがれはiBookが好きなのである。

うーん、しばらくは外付けキーボードでも使つてみるかなあ。

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Friday, 04 August 2006

人口が減つても

通勤ラッシュはなくならないと思ふ。

「このまま人口が減つたら車も減るし通勤する人も減る。道路は空いて電車の通勤ラッシュはなくなる」といふ話をきく。
車と道路についてはさうかもしれないが、電車の件についてはどうだらう。
人口が減るといふことは、鉄道会社に勤める人も減るといふことである。すなはち電車を動かす人が減る。また、乗客が減つたら鉄道会社としては当然電車を減らすだらう。
結果、満員電車は満員のままになるのではないか。

ネットが発達して在宅勤務も可能になるといふ話もあつたが、昨今は機密情報保護の名の下に外では仕事がしづらくなつてゐる。

働く以前に通勤で苦労しなければならない世の中はかはらないらしい。

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Thursday, 03 August 2006

スポーツはいいねえ

みづから「負けました」とか「ありません」とかいふこともない。
盤面で地を数へて勝敗が明らかになるわけでもない。

囲碁や将棋だつてその勝ち負けにいろいろあやのつけやうはあるといふのに。

つねづね思ふ。
「スポーツマンシップに乗つ取り」といふが、その「スポーツマンシップ」といふのは「審判にバレなければいい」「審判を味方につければいい」といふ精神だ。まちがつてもみづから「負けました」と負けを認める潔さは「スポーツマンシップ」には存在しない。

なんでそんなものをありがたがるのか、やつがれにはとんと理解できない。

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Wednesday, 02 August 2006

世の中捨てたもんぢやないのかも

かばん好きのやつがれが、つねづね気にしてゐることがある。
世の中の女性のかばんはあまりにも無防備すぎないだらうか。

通勤途中のバスや電車であたりを見回すに、女性のかばんはふたの開いたままのものが多い。トートバッグといふのだらうか、せいぜいかばんの口の真ん中にひとつマグネットかなにかのスナップがあるだけで、あとはひらいたまんまだ。こぶりなものだと中身がすべて見渡せてしまふものもある。「あ、あそこにあるのが財布だな」みたやうな感じ。ちよつと手先の器用な人なら混雑した電車の中だつたら財布のひとつもすれるのではないか。そんな気がする。

だがそのわりにはさうしたかばんを持ち歩いてゐる女性が多過ぎる。
きつとやつがれの取り越し苦労なのだらうと思つてゐたらさにあらず。
ある時疑問に思つてさういふかばんを持つてゐる人にきいてみたら、なんと財布をすられたことがあるといふのである。
その女性は、すられたことがあるにも関はらず、さういふかばんを持ち歩いてゐる。
といふことは、世の女性の多くはすられてもなほ、さうしたかばんを使つてゐるといふことなのか。

むー、なんだか納得いかん。

ここはやはり、「それでもすられたことのない女性の方が多い」と考へたい。
きつと、まだまだ世の中捨てたもんぢやないのだ。
人の財布が目の前にあり、すつてもわからないやうな状況にあつても、他人のものに手を出す人なんてさうさうゐないのだ。
さう思ひたい。

さう思はせてくれよ。

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やつぱり読んでない(BlogPet)

ネットでこうさぎなどをBLOGしなかったよ
昨日は、ネットで広いこうさぎなど言った?
とか思ってるの。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ちゃっくん」が書きました。

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衣食足りて礼節を知る

管子に出てくるといはれるこのことば、「ウソだらう。昨今の日本を見てみろよ」といふ評が多いかと思ふ。

けれども、「ああ、このことばにも一理ある」と思つたのはこの記事を読んで。

少し前からパイの多くをとつてゆく人々が礼節ある発言をしてきたが、パイの残りをとる人には肯んじ得ぬ部分があつたのだらう。
勘違ひをしてもらふと困るのだが、後者を責めてゐるわけではない。やつがれが同じ立場なら同じやうに行動しただらうと思ふからだ。

翻つて、やはり本邦では衣食は足りてゐないのだらうと思はれる。あるいは肝心な「住」が欠けてゐるのが一番大きな問題かもしれない。

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Tuesday, 01 August 2006

「いい仕事」がしたい

今日職場の人と愚痴りあひをしてゐて、「今回の仕事はなんだかやつつけ仕事みたやうだつたよね」といふ話に落ちついた。もつと「いい仕事」したいよね、と語りあつてしまつた。

自分としては、「いい仕事」にしやうと手を尽くしてきたつもりである。
どちらかといふと物作りの仕事なので、「いいものを作りたい」と思つてゐる。そのために想定される危険はあらかじめ考へできうるかぎり対処しておきたいし、製品を提供する前に必要なテストはすべてこなしておきたい。
週一回の客との進捗会議ではそのあたりを訴へてきた。その記録は議事録にある。
だが、他の部署と調整するべきその客がまつたく動いてくれないのだ。まるでうちのグループでなくて他部署の管理者みたやうな口ぶりで「それはあの部署はできないつて云ふでせう」とか「それはとほらないと思ふ」といつて全然なにもしてくれないのである。
えうは調整能力がないのだ。ふたりもゐるくせに。
調整能力のない人間にいくら働きかけても、「やつぱりダメでした」と手ぶらで帰つてくるのが関の山である。また、そのことで客を責めるつもりはない。無理な仕事を押し付けられてゐるのだから仕方がない。
そのくせ、ギリギリになつて「これこれかういふテストができてゐないのは困る」とか云ひ出す。だからそれはやつがれが何ヶ月も前に「他部署と調整してできるやうにしてください」つて云つただらうが。

一方自社は自社で妙な方向にむかつてゐる。
全社員が営業マインドをもつ。
それは必要なことだと思ふ。
だが、それを押し進めるあまり、妙な「営業マインド」が育つたりしないだらうか。
たとへば昨今起きてゐる事故。これはその奇妙な「営業マインド」の結果ではないか。
必要なところに必要なだけ経費をかけるのを避ける。その結果の事故があまりにも多すぎないか。

人は、さうしたことを対岸の火事としか見ない。「うちの社も気をつけなければ」と思はない。いや、一瞬は思ふのだが、すぐ忘れてしまふ。

だから、ここは敢て「営業マインド」を捨てて仕事に臨みたい。
全社員が持つことになつてゐるのだから、やつがれが持つてゐなくてもほかの人は持つてくれてゐるはずだ。
その脇で、「営業マインド」を持たないものだからこその意見を述べていきたい。

どうも全員が同じ方向を向くことに恐怖感があるなあ。いかんいかん。

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