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Friday, 21 July 2006

森茉莉は升田派

「だよね〜」と、「ベスト・オブ・ドッキリチャンネル」を読んで我が意を得たりとばかりにうなづいてゐた。
肝心要の大山康晴・升田幸三のことを云々してゐる部分が抜けてゐるのでよくわからないが、同書には都合二箇所、森茉莉は升田派だつたことがわかる文章が掲載されてゐる。

それにしても残念でならない。森茉莉は大山・升田のことをどう書いてゐたのだらうか。またその他の棋士の名前が出て来たりするのだらうか。
このくだり、ひよつとしたらおもしろくないのかもしれないが、やつがれは中野翠のせゐだらうと推測してゐる。きつと中野翠は「囲碁・将棋」に興味がないのだ。

なぜさう云へるのか。
中野翠著の「今夜も落語で眠りたい」にその答へがある。

この本の中で、中野翠は花魁の説明をしてゐる。花魁といふのはとにかくなんでもできないといけなくて、といふくだりがあるのだが、その中に「琴棋書画」の「棋」がまつたく出て来ないのだ。
花魁あるいは松の位の太夫職のたしなみをあらはすことばに「琴棋書画」といふことばがある。「棋」に長けてゐること、すなはち碁が打てることが花魁の条件だつた。すなはち、「花魁であれば碁が打てる(碁が打てなければ花魁ではない)」といふことである。それも、客層を考へればかなりたくみに打てたのにちがひない。
さういへば浄瑠璃にも「碁太平記白石噺」といふのがある。姉の花魁宮城野の部屋には囲碁・将棋・双六の盤が飾られてゐる。中野翠は落語はこのとほり本を出すほどだし芝居もそれなりに見てゐるから、「白石噺」を見たことはないにしても知つてゐるはずだ。

どうやら中野翠は「棋」に興味がないらしい、といふのは、このことに触れずにゐて平気でゐるからである。
そして、ここに肝心のくだりを読めずに悶々とする読者を作つてしまつたのである。

うーん、「ドッキリチャンネル」を図書館にでも探しに行くかなあ。

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