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Monday, 31 July 2006

再会にも似た出逢ひ

本屋でまんが文庫の棚のあたりをぶらぶらしてゐた時のことだ。
思はず足を止めてしまつた。
まさかこのまんが家の作品を読めることがあらうとは思つてゐなかつたからだ。

まんが家の名は、樹村みのり。

残念乍らといはうかなんといはうか、やつがれ自身は樹村みのりには間に合はなかつた世代である。からうじて少女コミックの広告ページに名前を見つけることがありやなしやといつた状態だつた。
なのになぜ、この名前を覚えてゐるかといへば、やつがれが少女まんがを読んでゐた当時、「樹村みのりが好き」「樹村みのりのやうな作品を描きたい」といふまんが家が多かつたためである。

どんなまんがを描くんだらう。どんなすてきな作品か知らん。

さう思つてはみたものの、さて、それではとあたりをみまはしてもなかなかまんがは手に入らない。あるいは書店に存在してもこちらに先立つものがない。

もう長いこと忘れてゐたと思つてゐたのに。

一読、「なるほど、かういふ作品を描きたいといふ気持ちはわかる」といつたところ。さらりとふかい。そんな感じ。

しかし……今の若人には「なにがかいてあるんだか、わかんない」と云はれてしまふのかもしれないなあ。「ユージュアル・サスペクツ」の結末がわからない人が多かつたといふ話を聞いてから、どうも読み手の力を見くびりがちでよくないのだが、ついさう思つてしまふ。

それにしても、樹村みのり。
もう一冊文庫が出てゐるといふので、探してみたい。

……でもこれがなかなか見つからなかつたりするんだよね。

Sunday, 30 July 2006

だんだん暑さに弱くなる

起きられなかつた。
北側から風がきもちよく入つてきて涼しくて。

こどものころはかうだつた気がするんだよなあ。
我が家は高台にあるので、夏になつても寝苦しいのは毎年せいぜい二日か三日。それ以外は窓さへ開けておければ家の中を風が通るので、暑いといつてもなんとかなつてゐたのだ。
受験を控へてゐたころは家の中でも一番風通しのいい廊下に座り込んで勉強したりもした。
「うちは冷房いらないねー」なんて語り合つたりもしてゐた。

いつからだらう、「冷房なしではゐられない」なんてなことになつたのは。
♯とはいつても今年は未だ冷房を入れてはゐないがね。

いつからだらう、夏になると「暑苦しくて眠れない」なんてなことになつたのは。

年を経るごとに夏の暑さに弱くなつてゐる気がする。
それは年をとつたから?
あるいは毎年気温があがつてゐるから?

今日あたりは以前のやうに気持ちよくすごせさうである。

Saturday, 29 July 2006

流行とは

だいぶ前のことだが、久しぶりに上京したをり、品川駅から渋谷方面行きの山手線に乗つた。乗つた位置がよかつたのかあるいはさういふ時間帯だつたのか、車内はかなりすいてゐた。
座席に落ちついてふと前を見ると、なんだか妙な感じの若い女性が座つてゐる。
「妙」といつて、別段ふつうの女性とかはつたやうすはない。着てゐる服のセンスも悪くないし、まあきつと渋谷あたりの若人が集まるあたりにはかういふ格好の女性がたくさんゐるんだらうなあといつた感じだつた。

ではなにが妙なのだらうとよくよく考へて、あ、と思つた。

眉毛の形が妙なのである。

東京に出てきて、気合ひを入れて姿形を整へた女性である。眉毛だつて当然抜いたり剃つたりしてゐるのだらう。おそらくその眉は家でひいてきたものにちがひない。
だが……失礼乍ら似合つてないのである。ごめん。でもほんたうのこと。

「まだお若いごやうすだし、きつとお化粧ははじめたばかりなんだらう」
と思つてまたはつとする。

同じ車両には目の前の女性とほぼ同年代と思はれる女性が三人ほど乗り合はせてゐた。
そして、みな一様に同じやうな形の眉をしてゐるのだつた。
顔立ちはひとりひとりみんなちがふのに。

流行とは罪なことをするものである。

Friday, 28 July 2006

やつぱり読んでない

昨日、Surely, You're Joking, Mr. Feynman!を読んでゐる、と書いた。
通勤途中のわづかな時間に読むばかりなのだが、結構順調に進んでゐる。
そしてわかつたことがある。
これ、やつぱり読んでないや。
読んでたらこんな話を忘れてゐるわけがない。

…………と打つて、「でもなー、よく読んだ本の内容忘れるからなあ」と思つてゐる自分がゐるが、でも「逃げてばかり」なんてなあたりを忘れるわけがない。だつてやつがれも逃げてばかりだからだ。

おそらくは英語の読本みたやうなので抜粋だけ読んだにちがひない。

抜粋といへば、これは同書や続篇からの抜粋ではないかもしれないが、スペースシャトル爆発の原因を追求するくだりも読んだことがある。周囲が「ことなかれ主義」に流れやうとする中、Feynmanはなんとか原因を世に知らしめやうとするといふ話である。
この話を読んだ時、「めりけんも本邦とかはらないんだなあ」と思つた記憶がある。波風立たぬやうに真の原因を隠蔽し、なにごともなかつたかのやうにことを澄ませやうとするあたりがだ。
ま、同じ人間のすることだから、当然といへば当然なのだらうが、当時のやつがれには結構おどろきだつた。

そんなわけで、毎日楽しく読んでゐる。
実はもう続篇も手元にあつたりする。

Thursday, 27 July 2006

冗談の構へ

いや、そんな使ひ古されたことばはどうでもよくて。
Surely You're Joking, Mr.Feynmanを読みはじめた。
以前に「ご冗談でしょうファインマンさん」かその続編かを読んだことがあるはずなのだが定かでない。確か最初の奥さんを病気で亡くした時の話を読んだのだつた。もしかしたら抜粋だつたのかもしれない。ずつと闘病生活をつづけてきた奥さんを失つて、その時はもう疲れ切つてゐたし覚悟もできてゐたから一滴の涙だつて流しやしなかつたけど、数ヶ月後街中で奥さんの好きだつたなんだかを(洋服?)ショーウィンドウに認めた時にぼろぼろ泣けてきた、みたやうな話。

しかしそれ以外の話はまつたく思ひ出せないので、これは英語の勉強にもなるし、丁度手元に読む洋書がなくなつたし(編み物関連の洋書はゴマンとあるが)、読んでみやうと手にとつたら。

おもしろいぢやん。まだMITに入つたばかりのところまでしか読んでないけど。

ホテルで働いてゐた時の話とか、おもしろい。次々とアイディアを生み出しそれを実現する著者とそれについていけないまはりの人たち。でもきつとまはりの人たちの云ふことにも一理ある。豆を効率よくさばけるよりも、確実にさばけた方がホテルのためになつたりする。効率化だけが善ぢやない。もつと若いころに読んでゐたら、「おとなはなんてわからんちん」と思つたにちがひないが、下手に年を取つてしまつたやつがれにはさう読める。

読みでもありさうだし、これはしばらく楽しめさうである。

Wednesday, 26 July 2006

かきかた

「えんぴつで奥の細道」を買つてみた。

前書きに「えんぴつで楷書で書くことを前提としてゐる」といふやうにある。また「Bや2Bなどのやはらかいえんぴつ」を使ふといいともある。

さうだよなあ。かきかた鉛筆つて2Bだつたよなあ。
かきかた鉛筆つて今でもあるのか知らん。マークシート用鉛筆なら見かけるが、かきかた鉛筆……うーん、気をつけて見てゐないからわからない。

そもそも「かきかた」つてまだあるのだらうか。やつがれが小学生の時は国語の一環みたやうな感じであつた。確か一二年生がかきかたで、三年生以降は習字だつたやうな気がする。

「かきかた」といへば、フェルトペン。太いものと細いものと一本ずつ持つてゐたつけか。しかしほかの場所でフェルトペンを使つたことはないなあ。それにあのフェルトペンの感触が好きぢやなかつた。
あれがフェルトペンでなくペリカーノJr.だつたらよかつたのに。

ところでパイロットのデスクペンを買つてみた。1,050円也。プラチナの735円にはインキカートリッジがついてこないが、パイロットのデスクペンには黒のカートリッジが一本ついてくる。
極細を購入したのだが、最初はガリガリとひつかくやうな書き味でがつかりした。やつぱりプラチナの方がいいのか知らんと思つた。どうもインキのフローが少ないやうな感じがした。それでもなほ負けずにぐるぐる書いてゐるうちに、気がつくと書きやすくなつてゐた。びつくり。なんだつたんだらう。それでもやはりプラチナのものより書き味は硬いが、しかしこれはもう好みの問題な気がする。

道具はなんでもさうなやうな気がするが、ちよつと使つてみてダメだからとあきらめない方がいいやうだ。すこし根気よくつきあつてみる。それくらゐの余裕がないやうなら新たなものは試さない方が吉らしい。
少なくともやつがれにとつては。

自分を雇ひたい(BlogPet)

ネットで大きい社員をいふしなかった
他人をいふしなかった
いや、自分が「よい社員」
とかさういふ意味ではなく
他人は雇ひたくないし、他人をいふしなかった?
今日、大きい他人をいふしなかった?
雅亮たちが、他人に.
と、雅亮が言ってたよ♪


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ちゃっくん」が書きました。

Tuesday, 25 July 2006

W-ZERO3に求めるもの

W-ZERO3[es]、いいなあ、と思ふのだが。

うーん、W-ZERO3に求めるものつて「携帯電話つぽさ」ぢやないんだよね。
できれば通話機能はなくてもいい。
充電回数が減るといいなあと思ふ。えうはバッテリがもつといいいな、といふか。

W-ZERO3は大変気に入つて使つてゐるのだが、スマートフォンとして使つてゐるかといふとちよつと自信がない。
結局予定なんかはTungsten|Cに書き込んぢやふしね。

やはりTreoが本邦で使へるやうになるといいなあ。
と、結論はここに行き着くのだつた。

Monday, 24 July 2006

きれいな字への憧れ

行きつけの書店で「えんぴつで奥の細道」が平積みされるやうになつてもう随分たつ。
そんなに売れてゐるのかなあ。ちまたで話題になつてゐるからよけいに売れるのかなあ。みんな買つて実際に自分でえんぴつで書いてゐるのか知らん。

実はやつがれ、かつて職場の自己啓発(好かんな、このことば)制度の一環としてある通信講座でペン習字をならつてゐたことがある。
三ヶ月くらゐの講座だつたと思ふが、これを受講した直後は実際それなりにお手本通りの字が書けてゐた。気がついたら元にもどつてゐたけれど。憧れてゐるのが筒井康隆の字つてせゐもあるかな。

こどものころから字がきたなかつた。
同級生には必ずものすごく字の美しい人といふのがゐて、中でも小学校五年六年と同じクラスだつた少女の字は抜きん出てゐた。お手本と彼女の字とが並んでゐると、どちらがお手本でどちらが彼女の字だかぱつと見ではわからなかつた。
当然のやうに成績もよくて、一等いい高校に行つたのだが、それはさておき。

なんだか字がきたないのは自分の頭脳が明晰でない証のやうにも思はれた。

そんなわけで、「えんぴつで奥の細道」にも惹かれないわけがないのだが。
でもねえ、今更鉛筆で字を書く機会はそんなにない。だからこそ先日のエントリのやうに「職場で鉛筆を使はうか」とかいふやうなことを考へついたりするわけである。
できれば今は萬年筆で書きたい。もつといへば長刀研ぎだとなほいい。

だが、昨日こちらを読んでゐて、「さうか、それがあつたかっっ」とはたと膝を打つた。
さう、プラチナのデスクペンである。

これ、書き味が鉛筆に似たところがあるのだ。上記リンク先にもあるとほり、鉛筆といふよりはシャープペンシルかもしれない。いづれにしても、字が細いしちよつと硬めの書き味がいい。
さうか、これで「奥の細道」をっっっ。

とも思つたが。
うーん、やつがれ、どつちかつてーと草書を学びたいんだよね。連綿とか書けるやうになりたいんだよね。楷書は基本だとわかつちやゐるけど、でもいいでせう、あの連綿のどこまで「し」なんだか「う」なんだかわかんないやうな書き方。
これまた子供の頃、両親にあててくる年賀状には達筆すぎて読めないやうなものがあつた。いつからだらう、ああした年賀状を見なくなつたのは。
ああ、あんな賀状が書きたい。ちよつと見には何を書いてあるかわからないやうな、(一見)達筆な字で「謹賀新年」とかいいぢやあないか。
できればその時はレアロを使ひたいものだ。

なんぞと思つてゐるわけだが。
しかし文字を情報伝達の道具と考へた場合にはそれは邪道だよな。

いづれにしても、プラチナのデスクペン、まだ使へてよかつたよかつた。
赤い軸のも買つてしまはうかなあ。

Sunday, 23 July 2006

よいこととして語つてゐるが

先日、「小学生が図書館で借りた本、過去最多の1人18.7冊」といふ記事を読んだ。

「取り組みが反映された結果」と誇らしげに語られてゐるけれど、これつてただ単に
「家計が苦しくなつた→書籍・雑誌の購入を減らさう→さうだ、図書館を利用しやう」
といふ図式つてことはないのか。
それに、借りただけで読んでないといふことはないのか。
だとしたら取り組みは反映されてゐないことになるのでは?

さういへば、以前ラジオで「CDをレンタルするなっっ」と怒つてゐる歌手がゐた。本気で怒つてゐるやうだつた。この話題についてしつこく語つてゐた。「聞きたいのなら買へ」と主張してゐるのだつた。
この歌手は図書館を利用したことがないのだらうかとふしぎでならなかつた。

この話、出版社や作家等はどう思つてゐるのだらうか。

Saturday, 22 July 2006

自分を雇ひたい

いや、自分が「よい社員」とかさういふ意味ではなく。

他人は雇ひたくないし、他人に雇はれたくない。
さういふ意味である。

こちらのweblogを拝見してゐて、こんな内容の書き込みがあつた。
「同級生に有名な作家になつた人がゐるんだけど、この前陪審員として呼ばれて行つた時、こんなことがあつたんだつて。職業を訊かれたから「作家です」つて答へ、「雇用主は?」つて云はれたから「うーん、ゐません。本を書いてゐるんですよ」つて答へたところ、書記は「無職」つて書いたつて」

まあしかし、作家といふからむづかしいのかもしれない。たとへば全然売れてなくても、たとへ本の一冊も出してなくても「オレは作家だ」と宣言したら作家なのかもしれない。ただ失業中なだけで。

「他人に雇はれたくない」といふのはなんと傲慢な態度か、と思はれるかもしれない。
だが、他人に雇はれるといふのはやはりひとつの才能だと思ふ。他人に雇つてもらへるなんて、自分に自信がなければできないことである。
ふりかへつてやつがれには自分に自信がない。今の会社に入社できたのは、面接に携はつた人々がなんだかわからないけれども目がくらんでゐたやうにしか思はれないからだ。面接の時、妙に面接員の人は浮かれてゐた。こちらがたいしたことを喋らなくても上機嫌で「うんうん」とうなづいてゐた。あまりに機嫌がいいので、「ああ、もうダメかもしれない」と思つたほどである。

しかし自分を雇ふには、やつがれはmanagementの才に欠け過ぎてゐる。
他人に雇はれるといふことは、さうした自分に足りない能力をよそに求めるといふことなのかもしれないなあ。

Friday, 21 July 2006

森茉莉は升田派

「だよね〜」と、「ベスト・オブ・ドッキリチャンネル」を読んで我が意を得たりとばかりにうなづいてゐた。
肝心要の大山康晴・升田幸三のことを云々してゐる部分が抜けてゐるのでよくわからないが、同書には都合二箇所、森茉莉は升田派だつたことがわかる文章が掲載されてゐる。

それにしても残念でならない。森茉莉は大山・升田のことをどう書いてゐたのだらうか。またその他の棋士の名前が出て来たりするのだらうか。
このくだり、ひよつとしたらおもしろくないのかもしれないが、やつがれは中野翠のせゐだらうと推測してゐる。きつと中野翠は「囲碁・将棋」に興味がないのだ。

なぜさう云へるのか。
中野翠著の「今夜も落語で眠りたい」にその答へがある。

この本の中で、中野翠は花魁の説明をしてゐる。花魁といふのはとにかくなんでもできないといけなくて、といふくだりがあるのだが、その中に「琴棋書画」の「棋」がまつたく出て来ないのだ。
花魁あるいは松の位の太夫職のたしなみをあらはすことばに「琴棋書画」といふことばがある。「棋」に長けてゐること、すなはち碁が打てることが花魁の条件だつた。すなはち、「花魁であれば碁が打てる(碁が打てなければ花魁ではない)」といふことである。それも、客層を考へればかなりたくみに打てたのにちがひない。
さういへば浄瑠璃にも「碁太平記白石噺」といふのがある。姉の花魁宮城野の部屋には囲碁・将棋・双六の盤が飾られてゐる。中野翠は落語はこのとほり本を出すほどだし芝居もそれなりに見てゐるから、「白石噺」を見たことはないにしても知つてゐるはずだ。

どうやら中野翠は「棋」に興味がないらしい、といふのは、このことに触れずにゐて平気でゐるからである。
そして、ここに肝心のくだりを読めずに悶々とする読者を作つてしまつたのである。

うーん、「ドッキリチャンネル」を図書館にでも探しに行くかなあ。

Thursday, 20 July 2006

贅沢な一ダース

困つたことになつた。
ポールペンで字が書けなくなつてしまつた。

いや、まつたく書けないといふわけではないのだが。
しかし油性であれ水性であれボールペンで字を書いてゐると手の側の紙とボールペンの角度が限りなく直角に近くなつていく。ひどい時は鈍角になつてしまふ。

確かに以前から字を書くのは下手だつたし元々不器用だから仕方ないかなと思つてゐる。
仕方がないので最近は字を書く時はすつかり萬年筆一辺倒になつてしまつた。
ただ、先日「かすれない」「書き味滑らか」といふ惹句にひかれて購入した水性ボールペンだけはたまに使ふことがある。これも鈍角になつたりするのはほかのペンとかはらないが、萬年筆のインキだとにぢんでしまふやうな紙に書く時はこれを使ふ。惹句とほりまつたくかすれないし、書き味滑らかなのだが、滑らか過ぎて書きづらいときがある。どうやら適度なひつかかりに欠けるらしい。
むづかしいなあ。

なんぞと書き乍ら、実は鉛筆にはとても心惹かれてゐる。
鉛筆を使はなくなつて久しい。年に一度年賀状の図案を考へる時に使ふくらゐで、滅多なことでは手にしなくなつてしまつた。
でも鉛筆つてなんだかいい。

庄司薫はさんざん鉛筆を試してみて、MONO100に辿りついたといふ。
新井素子は幼い頃母親の使つてゐるHi-UNIを手にして「これがほしい」と強く思ふが、母親から「自分で稼ぐやうになつてからになさい」と云はれ、作家になつてからHi-UNIを購入したといふ。

どちらかといふとやつがれはMONO100派かな。ファーバーカステルやステッドラー等の舶来の品もいいが、鉛筆は国産品がいいやうな気がする。特に信念があるわけではなくて、その土地その土地の気候やなにかにあつてゐるんぢやないかといふ気がするのだ。もちろん根拠もない。

そんなわけで、たまに文房具屋に行くとMONO100の一ダース入りなんかを目にして、「ああ、贅沢だなあ」と思ふのである。今なら買へる。お小遣ひをもらつてゐたころとはちがふ。ちよつと無理をすれば、ちよつとほかのものを我慢すれば購入できる。

買つてみやうかなあ。
さうして職場で使ふのである。
できれば肥後守も一緒にほしいところだが、やつがれがMONO100をはじめて手にしてナイフで鉛筆を研がうとした時にはもう文房具屋には肥後守はなかつた。確かカッターナイフでおそるおそる削つた。そんな記憶がある。
さう、職場でカッターナイフで削り乍ら鉛筆を使ふ。なんだか優雅ではないか。

そんな夢みたやうなことばかりを考へてゐる。

Wednesday, 19 July 2006

濃いインキがほしい

実は。
セーラーの記念萬年筆・レアロを買つてしまつた。

Realo

上がレアロで下が以前ここで紹介したプロフィットである。
プロフィットも大きいと思つてゐたが、レアロはさらに大きい。だが、手にもつてみると案外軽く(これはプロフィットもさう)、すらすらと書ける。

ところで、レアロは長刀研ぎである。
長刀研ぎは云はずと知れた「とめ・はね・はらひ」に注力したペン先だ。はじめてプロフィットを買つた時、「これは墨のやうに黒いインキを入れたい」と思つた。
いろいろ候補はあつたが、結局今は極黒のカートリッジを入れてゐて、毎日にこにこと使つてゐる。

さういふわけで、黒いインキはもうこちらで十分かなあと思ふのだ。
さうすると、何色のインキを入れたものだらうか。
やはり普通に使へるやうに「青」かなあ。しかし濃い青のインキつて……。うーむ。
ブルーブラックは今回は考へてゐない。入れるとしたらブルー(ロイヤルブルー)だらう。
アウロラ? それとも無難にモンブランだらうか?
とにかく濃いインキを入れたい。

といふわけで、まだなにもインキを入れてゐないのだつた。
さうさう、レアロは吸入式で、かなりインキが入るらしい。
これも今から楽しみ楽しみ。

必要な情報を求めて(BlogPet)

ほんとうは、雅亮は
雅亮が、大きいご無と、ご無とかをテガッキーしなかった最近はご無とか長いこと及時.
とか書いてた?

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ちゃっくん」が書きました。

Tuesday, 18 July 2006

及時雨

まさにそんな感じ。
ここのところの暑さがうそのやうに涼しい。
たつた一日雨が降つただけで。

とはいへ喜んでばかりもゐられないんだけれどもね。

Monday, 17 July 2006

必要な情報を求めて

いやはや、なんだかんだ云つてやつぱりすごいね。
Bloglinesで「モトGPはロッシ4勝目 オートバイ世界選手権」といふ見出しを見つけ、嬉々として見に行つた。
今期不調の囁かれてゐるヴァレンティーノ・ロッシ四勝目とある。ラップタイムまで書いてあつて、中野は六位、玉田はリタイヤとも書いてある。よしよし。
♯いや、玉田のリタイヤは残念だが、情報としては十分といふ意味。

しかし。
だがしかし。
ここには重要な情報が欠けてゐる。

仕方がないので、こちらこちらを見て、やつと知りたい情報を見つけることができた。
今期トップのニッキー・ヘイデンと今回のレースで二位に上がつたロッシとの差は26ポイント。その他、ペドロサとメランドリが優勝戦線に絡んでくると見られてゐる。残念乍らカピロッシはちよつと無理かも、みたやうな記事。

レーシングスポーツにはかういふ「総合成績」みたやうな情報が欠かせないと思ふがどうか。

ちなみに上記記事はFindoryで探してきた。Findory、はじめて試してみた時は「……なんだか全然見たい情報が選択されてこないんだけど」と思つてその後見に行かなくなつた。つい最近ふと思ひたつて見に行つたら、なんだかいい感じだ。とりあへずニュース関連はこちらで見やうかな、といつたところ。

「悠揚迫らぬ」がわからない

昨日の讀賣新聞書籍欄に、深町眞理子がこんなことを書いてゐた。
「翻訳してゐる時に巨大な戦艦を形容することばを「悠揚迫らぬ」と訳したら、編集サイドから「それでは読者が理解できないので「堂々として巨大」に置き換へろ」と云つてきた」
と。
正確な語句はおぼえてゐないが、こんなやうな内容だつた。
怒つた深町眞理子はこの形容そのものを削除して提出しなほした、といふ。
「こんなことばかりしてゐたら日本語が痩せてしまふ」と憂慮し乍らも。

きもちはとてもよくわかる。
よくわかるが、翻訳家としてはこれではダメなのかなあ、とも思ふ。たれであつたか失念したが、ある翻訳家がこんなことを書いてゐた。
「大先輩にあたるとある翻訳家が、「一冊のうちひとつは最近は使はれなくなつた古いことばを訳の中に混ぜてゐる。忘れられないやうにね」と云つてゐた。大先輩にむかつてどうかとは思ふが、この態度は翻訳家としていかがなものか。翻訳家は「原文のとほりに訳す」「読者にわかりやすいやうに訳す」のが職務である」云々。

たとへば、文芸書ならいざ知らず、専門的な文書を訳す場合、ヘンな日本語がそのまままかりとほるのが翻訳らしい。経済・金融分野の文書を訳すならその分野において日本語で書かれる文書と同じやうに訳す。その他の分野でも同様である。さうでないと読む人(大抵はその分野に精通した人)にわからないからだ、といふのだ。

深町眞理子の訳したものはおそらく文芸書なのだらう。なので、訳者が原文から「このことばは「悠揚迫らぬ」しかあり得ない」と思つたらさう抗弁すればよかつたのかも知れない。
あるいは翻訳でなかつたら、問題はなかつたのだらうが。

しかし、ほんたうに編集サイドの人が云つたやうに「悠揚迫らぬ」ではわからないのだらうか。ひよつとして若年層を狙つた作品だつたのだらうか。
♯わからなかつたら辞書を引けばいいのに。
♯今なら携帯電話ですぐ引けるだらう。

そつちの方が不安だつたりはするのだつた。

Sunday, 16 July 2006

あちらの世界

バックドラフト」は欲張り過ぎた映画である。
主役級だけでカート・ラッセル、ロバート・デ・ニーロ、ウィリアム・ボールドウィンと三人もゐるし(そしてたれを主役に話を作つてもをかしかない)、スコット・グレンもいい味出してゐる。
ま、この映画の主役は「火」なのだらうけれども。

ところでいい味出してゐるといへば、今をときめくキーファー・サザランドの父ドナルド・サザランドがこの映画でたまらない役どころを演じてゐる。
ドナルド・サザランドの役は放火魔で前科が何犯もある。放火の性癖もおさまつてきたからこの男を釈放しやうといふ動きがあるまさにその時に、ロバート・デ・ニーロ扮する刑事がこれに反対し、ドナルド・サザランドを尋問するのだ。
そして、結局ドナルド・サザランドの放火癖はちぃともおさまつてゐないことが判明する。

この時、デ・ニーロの尋問に答へるドナルド・サザランドのやうすがたまらない。最初はおだやかな調子で答へてゐるのだが、次第に返答する口調がアヤシくかはつていき、最後にはあちらの世界に行つてしまつたやうな目で答へるのだ。

これを見て「ああ、放火をくりかへす人といふのは、かうなのかも知れないなあ」と思つてしまつた。ドナルド・サザランドの演技には説得力があつた。

まあ実際にはいろいろあるんだらうとは思ふが。

ところでこの映画では冒頭から放火が相次いでゐて、その犯人をつきとめやうとするのだが、ドナルド・サザランド、この犯人当てに重要な役割をつとめることになる。

といふわけでこの映画、やつがれにとつてはやはりドナルド・サザランドとスコット・グレンと「火」の映画なのだつた。

Wednesday, 05 July 2006

老いてなほ新たなことを学べるか(BlogPet)

そういえば、雅亮が
今日は雅亮たちが、ヘンリー・キッシンジャーといふと、どうもあの姓の強い(な.
とか考えてたよ。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ちゃっくん」が書きました。

Saturday, 01 July 2006

老いてなほ新たなことを学べるか

職場に一年下の社員がゐる。
去年の十二月、人手不足でいきなりやつてきた。
まあ、いろいろあつた。
ほんたうは別のヴェテランを呼ぶつもりだつたのだが、グループ内の権力者がそれをいやがつたのだつた。
結果つれて来られたのがこの一年下の社員である。

この社員、入社以来ほぼずつと本社勤めであつた。
そしてこれまた入社以来ほぼずつと「親方日の丸」の親会社の仕事をしてゐた。

そこに来て突然の客先常駐勤務である。
しかも本社のある地からは遠く離れた鄙びた地。
それは慣れぬことも多からう。戸惑ふことも多からう。
また、自分がことの発端だといふのに件のグループ内の権力者はなにかとこの社員をいびる。確かにどん臭いところもあるし社会常識に欠けたところもあるが、件の権力者のやり方は「今の仕事がつまらないから捌け口として若いもん(さう、権力者はさらに年上なのである)をいぢめてゐる」といつた感じなのだ。

だが、やつがれがこの社員になにも注意しないのはさうした同情心からだけではない。

考へてもみやう。
この社員、やつがれと一年しかちがはないのである。すなはち、社会に出て……数へたくないな。笑……まあとにかくもういい年数たつてゐるのである。
そこへもつて今更新入社員に教へるやうなことを云つて、通じるだらうか。
連絡はちやんとしろ、とか、本来の客の名前は略さずに書け、とか(直接の客は今の勤務先だが、本来の客はまた別の企業なのである)、社内では部署がちがふかもしれないが客から見たらみんな同じ会社の社員なんだ、とか……

自分の身におきかへてみて、やつがれははたして本社勤務になつた時に、さうした新入社員に教へるやうなことを云はれてきちんと受け入れることができるか。

自信がない。

そんなわけで今日も苛々し乍ら職場で過ごした、と。かういふ寸法なのだつた。

云つた方がいい?
それはやつがれもさうだらうとは思つてゐるのである。
でも云つて通じなかつた時の衝撃の方が大きいやうな気がして、な。

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