英語ができるやうになりたいか
「英語でしゃべらナイト」が月曜夜から金曜夜にうつつた。
一昨日、放映時間がかはつてからはじめて見たのだが、なぜだか違和感があつた。
放映時間帯に家にゐないことが多く、これまでもほとんど見たことはなかつたが、一等最初見た時はおもしろさうだなと思つた。
それが今、違和感である。
なぜだらうと考へて、どうやら出演者主にゲスト出演者の「英語ができるやうになりたい」といふ姿勢が原因ではないかと思ふやうになつた。
今回のゲストは山本耕史。英会話学校に性格をかへて挑んだ話や、「日本人風のかくかくした喋り方はイヤだつた」話などをしてゐた。
なんでも、英会話教室に少し遅れてゆき、普段の自分とはちがふ自分を演じて最大限に授業を活用したといふのである。
その熱意には頭が下がる。
しかし、なんとなく「なにかがちがふ」気がして仕方がなかつた。
つらつら考へるに、それはやつがれがこれまで「英語ができるやうになりたい」と思つたことがないからではないかと思ふやうになつた。
「英語がわかると十億人と喋れる」といふやうな惹句を使ふ英会話学校がある。
以前ここにも「十億人と話すのにどれだけ時間がかかるのか」と文句を書いた記憶がある。ひとりに一分としておよそ千九百年はかかる計算だ。
それよりもなによりも、そんなに大勢と知り合ひになりたいとは思はない。
ひとりが好きだからだ。
ひとりでゐたいやうな人間に外国語は必要ない。「できるやうになりたい」といふ熱意が生じるわけがない。
もうひとつ、違和感を覚える点は、「英語ができるやうになつて社会的に成功したい」といふ野心の見え隠れする点にあると思ふ。
なんだかgreedyで、目を背けたくなる。
なるほど、英語ができるやうにならないわけだよなあ。
« 足下見られてる | Main | 姓はNext 名はThursday »
Comments