日本語なまりの英語を喋らう
ヘンリー・キッシンジャーといふと、どうもあのなまりの強い(なに云つてんだかよくわかんない)もそつとした喋り方を思ひ出す。
キッシンジャーももう長いこと米国にゐることと思ふが、お国なまりといふのはぬけぬものらしい。
アーノルド・シュワルツェネッガーもさうかな。
しかしその一方で「宇宙大作戦/スタートレック」のミスター・チャーリー/スコッティ役だつたジェームズ・ドゥーハンやミスター・チェコフ役のウォルター・ケーニッグのやうに、ドラマの中ではお国なまりの強い役を演じつつも普段は普通に喋る人もゐる。
ふしぎである。
まあ役者といふのはさういうものなのかもしれないが(だからやつがれは笠智衆を役者だとは思はないが)。
そんなことを「テレビで留学」を見乍らぼんやり考へてゐた。
もしかしたら作為的なのかもしれないが、ここに出てくる留学生の人々はどちらかといへばお国なまりが抜けてゐない人が多いやうな気がしたからだ。
かつて、米国にある高校の演劇クラスのために日本語の科白を録音したことがあつた。進駐軍が日本で地元の人と楽しくやつていくといふやうな内容の喜劇だつたと記憶する。
クラスの教師は日本通だつたが、日本人役を演じる人も含めて日本語を解する生徒はゐなかつた。
中にひとりまつたく日本人のやうに(すなはちやつがれの喋るやうに)日本語の科白を口にする生徒がゐた。
この生徒、合唱のクラスもとつてゐた。
どうやら耳がいいらしいのである。
でもやつがれが日本語で語りかけてもその人にはなにも通じないのだつた。
英語を喋れるやうになりたいといつた時、おそらく発音はそんなに問題にならないはずだ。えうは通じればいいのである。どちらかといふと喋るその内容の方が重要だとやつがれは思ふ。喋つて通じなければ、字に書いたつていいからだ。
しかし、世の中には「ネイティヴのやうな発音になる」といふやうな書籍があふれてゐる。もちろん、それを追求するのは悪くはないが、しかし、それより先にすることがあるのは確かだ。
キッシンジャーだつてアレでやつていけてるわけだし。
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