日本語なまりの英語を喋らう(BlogPet)
今日は雅亮たちが、ヘンリー・
キッシンジャーといふと、どうもあのなまりの強い(なに云つてんだかよくわ.)
と、雅亮が言ってたよ♪
*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ちゃっくん」が書きました。
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今日は雅亮たちが、ヘンリー・
キッシンジャーといふと、どうもあのなまりの強い(なに云つてんだかよくわ.)
と、雅亮が言ってたよ♪
*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ちゃっくん」が書きました。
時間がかはつ.
と、雅亮が言ってたよ♪
*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ちゃっくん」が書きました。
文庫になつた一作目は翻訳本を読んだのだが。 どうやら二冊目はまだ文庫化されぬらしい。 そんなわけで読んでゐる Jasper Fforde の _Lost in a Good Book_。文学刑事サーズデイ・ネクストの二作目(だと思ふ)である。
文学刑事とはなんぞやを説明するよりは本篇にあたつてもらつた方が早いのだが、えうは名高き古今の名作を書き換へやうといふ悪だくみから小説を救つたりするのが仕事。 まあ名作を書き換へてしまふやうな強力な力をもつ悪人てふものはそんなにゐるわけではないので、普段は「沙翁の埋もれた新作」の真贋を見極めたりしてゐる。
つまりSF風味の冒険活劇といつたところか。
まだ読んでゐる途中なのと、やつがれのつたない英語力では理解しかねる部分が多いこともあつて、今のところはこんな紹介しかできないが、いや、このシリーズ、好きだわ、ほんと。
三作目以降も早く翻訳されるといいなぁ。 さうすればこんな努力はせずに済む。
「英語でしゃべらナイト」が月曜夜から金曜夜にうつつた。
一昨日、放映時間がかはつてからはじめて見たのだが、なぜだか違和感があつた。
放映時間帯に家にゐないことが多く、これまでもほとんど見たことはなかつたが、一等最初見た時はおもしろさうだなと思つた。
それが今、違和感である。
なぜだらうと考へて、どうやら出演者主にゲスト出演者の「英語ができるやうになりたい」といふ姿勢が原因ではないかと思ふやうになつた。
今回のゲストは山本耕史。英会話学校に性格をかへて挑んだ話や、「日本人風のかくかくした喋り方はイヤだつた」話などをしてゐた。
なんでも、英会話教室に少し遅れてゆき、普段の自分とはちがふ自分を演じて最大限に授業を活用したといふのである。
その熱意には頭が下がる。
しかし、なんとなく「なにかがちがふ」気がして仕方がなかつた。
つらつら考へるに、それはやつがれがこれまで「英語ができるやうになりたい」と思つたことがないからではないかと思ふやうになつた。
「英語がわかると十億人と喋れる」といふやうな惹句を使ふ英会話学校がある。
以前ここにも「十億人と話すのにどれだけ時間がかかるのか」と文句を書いた記憶がある。ひとりに一分としておよそ千九百年はかかる計算だ。
それよりもなによりも、そんなに大勢と知り合ひになりたいとは思はない。
ひとりが好きだからだ。
ひとりでゐたいやうな人間に外国語は必要ない。「できるやうになりたい」といふ熱意が生じるわけがない。
もうひとつ、違和感を覚える点は、「英語ができるやうになつて社会的に成功したい」といふ野心の見え隠れする点にあると思ふ。
なんだかgreedyで、目を背けたくなる。
なるほど、英語ができるやうにならないわけだよなあ。
マーラーの交響曲第六番が好きである。
なぜといつてオチがあるからだ。
落語はもちろんケン・ラッセルの映画が好きなのもオチがあるから。
最後にすとんと落ちる感覚、あるいはびつくりさせられる感覚がたまらなくよい。
はじめてマーラーの六番を聞いた場所はとある図書館だつた。レコードやCDを貸し出してくれるものの建物の外には持ち出せない。専用のブースでヘッドフォンをして聞くことになる。
さう、おわかりだと思ふが、最後の最後、ヴォリュームをかなり大きくしてゐたやつがれは、心底驚いてしまつたのである。
だつてはじめて聞いたんだもの。こんなオチがあるなんて、たれも教へちやくれなかつた。
六番は、鞭を使つたりカウベルを使つたりと道具(instrumentsといふことでひとつ)も多彩だ。しかも長大でもある。何度か演奏会で聞いたことがあるが、大抵この一曲しか演奏されない。普通演奏会といふとメインの曲のほかに小品をふたつばかり演奏するものなのだが、ことマーラーの六番に関してはこの曲だけで演奏会がなりたつてしまふ。
ああ、行きたい。六番を聞きに行きたい。
だといふのに、あの価格設定はなんであらうか。
あの、といふのはルツェルン・フェスティヴァル・イン・東京 2006である。
ルツェルン祝祭管弦楽団演奏でアッバード指揮によるマーラーの六番がこの秋サントリーホールであるのだが、そのチケットのお値段といつたらっっっ。
ここに打つのもおそろしいが、まづプラチナ券が諭吉四人に一葉一人。S席は諭吉四人。一番下のD席でも諭吉と一葉と英世が一人ずつといふ、脅威の価格である。
え、それくらゐするのがあたりまへだつて?
ちがふ。
これをあたりまへととらへる人々がいけないのだ。
「ふ、ふん、いいもん、アッバードはそんなに好きぢやないもん」などと嘯いてはみても、それはまるで「あの葡萄はすつぱいのさ」と吐き捨てる狐のやうなもの。
好きな曲なんだもの、いい状態いい場所で聞きたいのが人情だと思ふ。
…………うーん、今後この演奏会のために働くか?
それしかないか。
あるいはあきらめるか……。
そもそも一番いい席に座るのは愛のない人ばかりといふのがコンサートや演劇の常だしね。愛もないから本人の懐もいたんでゐない。
この仕組みはとつてもまちがつてるしをかしいと思ふのだが、しかし、実際芸術に貢献し支へてゐるのはさういふ人々なのだから仕方がない。
かうして自分の大好きな曲の演奏会だといふのに「諭吉が……」とか云つてゐるやうな人間にはいつまでたつてもいい席なんかまはつてこないのである。
岡田武史が全日本の監督になれないのは、かつてその地位にゐた時に三浦知良をきつたからだ、とこちらの記事にある。
バカな。
岡ちやんこと岡田武史の最大の功績は、ワールドカップ代表選手から三浦知良をはづしたことである。あの発表をきいた時、やつがれは快哉を叫んだ。「さすが岡ちやん、わかつてる」と思つた。
しかもこの時岡田武史はみづから代表選手を発表した。最近改宗したとかいふどこかのたれかのやうに、連盟の人間に発表をまかせることなく、自分でたれを選びたれをはづすかを公表した。
岡田武史の日本代表監督に異をとなへるのは内部の人間ではない、と、同記事にはある。かつて三浦知良を代表からはづしたといふ「功績」に対し、ファンが不信感を抱いてゐるからだ、といふのだ。
ファン。
日本の勝利をのぞまぬ輩の総称である。
岡田武史が監督としてすぐれてゐるのかどうか、正直云ふとやつがれにはわからない。
仏蘭西の世界杯では一勝もできなかつたし、コンサドーレ札幌の時は途中まではよかつたものの最後はグズグズだつたし、今はやつがれが日産自動車時代から応援してゐる横浜Fマリノスの監督をやつてゐるが、その采配がどうなのかは贔屓筋の常として冷静な判断を下せずにゐる。
以前から書いてゐるが、旧古河電工出身といふこともなんとなくうさんくささを感じさせる要因ではある。
だが、それでもやつがれは、仏蘭西ワールドカップの代表選手から三浦知良をはづしたといふ一点において岡田武史を監督として信頼してゐる。
スター選手でも、それまでどんなに功績のあつた選手でも、どんなに知名度の高い選手でも、使へない選手はきる。選手交代の時、「オレ? オレが交代するのかよ?」と反抗的な態度を見せるやうな、自分がチームの中で機能してゐるかゐないか判断できないやうな選手はすつぱりときる。
余人に出来ることではない。
それがわからないやうな「ファン」とやらの云ふことを、日本サッカー連盟は聞くべきではないし、聞く必要もない。
とはいへ、「次期代表監督に岡田武史……?」と思つてゐるやつがれだつたりはする。すまん。
いつも、雅亮は
本日ドッキリの高松宮記念の結果は出てゐるのに、やはり今日行はれた日本選手権の結果が出.
とか書いてた?
*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ちゃっくん」が書きました。
去年の今頃も似たやうなことを書いてゐると思ふが、今年もNHKの語学講座がはじまつた。
今年のラインアップは以下の通り。
レベルアップ英文法
英会話上級
徹底トレーニング英会話
ビジネス英会話
ドイツ語講座
「レベルアップ英文法」は中学レヴェルの英文法の総まとめなのださうで、試しに聞いてみてゐるところ。一週間聞いた印象は、「なんとなくスカスカな感じ」。「英会話上級」とか「徹底トレーニング英会話」がぎゆうぎゆうに詰め込まれてゐる印象のあるせゐか。まあでもこれくらゐゆとりがある方がいいのかもしれないので、まちつと続けてみるつもり。
「英会話上級」は別に上級でなくてもいいんだけど、遠山顕が講師だからといふ理由で聞いてゐる。
「徹底トレーニング英会話」は前身の「英会話レッツスピーク」の方がよかつたな。リスニングにそんなに力を入れてないからといふ個人的な理由によるけど。スピーキングを鍛えれば自然とリスニング力もあがると思ふし。
「ビジネス英会話」は去年と特にかはらない。アシスタントのクリス松下が好きなので聞いてゐる。ああいふ発音が好きなのである。
「ドイツ語講座」は、入門編は音楽生、応用編は芸術を学ぶ生徒が主役の話で進んで行く。応用編は毎年好き嫌いが出やすいのだが、今回のはよささう。
せつかく新しくはじまつたので、以前購入した「NHK英語でしゃべらナイト別冊シリーズ4 できる人の英単語帳ノート術」なんぞをひもといてみたりしたが……うーん、やつぱりいづれのノート術もやつがれにはピンと来ない感じ。
こつちは当分試行錯誤が必要だな。
日曜の朝は将棋講座。
ここ数年さう決まつてゐる。といふか、決めてゐる。
しかしこれまで講座のテキストを購入したことはなかつた。
買つてもわからないからである(……情けない)。
でも、今回は買つてみやうかなあ。
橋本治の「双調平家物語」の冒頭に、聖徳太子の話が出てくる。
中に、蘇我蝦夷が「頭のいい人といふのは、相手にあはせて話をできるものである」といふのを聖徳太子を例に引いて述べる場面がある。蝦夷があることをわからないといふと、聖徳太子は相手のレヴェルにあはせてわかるやうに説明してくれる。それでもわからないといふと、さらに話をかみくだいてくれる。
頭のいい人といふのはさういふものである、といふわけだ。
天才といふと、故岡本太郎とか長嶋茂雄とか、失礼ながら「わけわかんないよ」といつた話し方をするといふイメージもないわけではないが。
♯どうも「天才」といつた時に長嶋ははづせない。
♯なぜかはわからないけれど。
先週今週と日曜日の朝、十時からの二十分、「蝦夷の云つてゐたのはかういふことか」と思ひながら、ぼんやりTVを眺めてゐる。
ヘンリー・キッシンジャーといふと、どうもあのなまりの強い(なに云つてんだかよくわかんない)もそつとした喋り方を思ひ出す。
キッシンジャーももう長いこと米国にゐることと思ふが、お国なまりといふのはぬけぬものらしい。
アーノルド・シュワルツェネッガーもさうかな。
しかしその一方で「宇宙大作戦/スタートレック」のミスター・チャーリー/スコッティ役だつたジェームズ・ドゥーハンやミスター・チェコフ役のウォルター・ケーニッグのやうに、ドラマの中ではお国なまりの強い役を演じつつも普段は普通に喋る人もゐる。
ふしぎである。
まあ役者といふのはさういうものなのかもしれないが(だからやつがれは笠智衆を役者だとは思はないが)。
そんなことを「テレビで留学」を見乍らぼんやり考へてゐた。
もしかしたら作為的なのかもしれないが、ここに出てくる留学生の人々はどちらかといへばお国なまりが抜けてゐない人が多いやうな気がしたからだ。
かつて、米国にある高校の演劇クラスのために日本語の科白を録音したことがあつた。進駐軍が日本で地元の人と楽しくやつていくといふやうな内容の喜劇だつたと記憶する。
クラスの教師は日本通だつたが、日本人役を演じる人も含めて日本語を解する生徒はゐなかつた。
中にひとりまつたく日本人のやうに(すなはちやつがれの喋るやうに)日本語の科白を口にする生徒がゐた。
この生徒、合唱のクラスもとつてゐた。
どうやら耳がいいらしいのである。
でもやつがれが日本語で語りかけてもその人にはなにも通じないのだつた。
英語を喋れるやうになりたいといつた時、おそらく発音はそんなに問題にならないはずだ。えうは通じればいいのである。どちらかといふと喋るその内容の方が重要だとやつがれは思ふ。喋つて通じなければ、字に書いたつていいからだ。
しかし、世の中には「ネイティヴのやうな発音になる」といふやうな書籍があふれてゐる。もちろん、それを追求するのは悪くはないが、しかし、それより先にすることがあるのは確かだ。
キッシンジャーだつてアレでやつていけてるわけだし。
いつも、雅亮は
本日高松宮の高松宮記念の結果は出てゐるのに、やはり今日行はれた日本選手権の結果が出.
とか書いてた?
*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ちゃっくん」が書きました。
昨日、SO902iに機種変更した。
SO902iは発表当時から気になつてゐた。ストレート端末だからである。
どうも折りたたみ式が好きになれない。理由はない。
docomoで使用した携帯電話はこんな感じ。
NM502i -> P900i (Nokia 7600) -> SO902i。
P900iだけ折りたたみ式だが、これはNokia 7600を使ひたくて機種変更したものだつた。折りたたみ式だけれども、ワンタッチで開くやうになつてゐるので、まあ譲歩したといつたところである。
かうしてみると、北欧系に弱いやうな感じがするなあ。
変更日が昨日といふことで、世の中は「ワン・セグ」でもりあがつてゐたが、とりあへずそちらは見ないでSO902i。
普段はW-ZERO3を使用してゐるので、SO902iの用途としてはちよつとした通話と月に最低一度は行う芝居の席抑へといふことになる。テンキーはWX310Jの方が押しやすいやうな気がする。すなはち、SO902iのテンキーは今のところ押しづらいやうな気がするが、まあこんな用途ならそんなに問題にはならないはずだ。電話やメールはアドレス帳に登録してあるものを使ふだらうしな。
ひとまづ写真を撮つてみた。
待ち受け画面サイズで撮つたが、携帯電話で見るならこんなもんだらうと思ふ。
曇り空の夕まぐれ、毎年花が咲くのを楽しみにしてゐる桜の木を撮つた。高校生のころから見てゐるが、この木は帰り道にあるのでほとんど夜しか見たことがない。街灯の下、ぼんやり青白く光る花がよい。
「あと何度この花を見られるだらう」と思うやうになつて久しい。
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