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Saturday, 25 March 2006

遺聲

矢内理恵子女流名人がそのタイトルを決めた後、「囲碁・将棋ジャーナル」で矢内女流名人の軌跡といつた映像が流れた。
御両親の話すやうすがでてきた後涙する女流名人を見て、「ああ、どちらかを亡くしてゐるにちがひない」と思つた。御母堂ださうである。

もうだいぶ前になるが、学生時代お世話になつた先生が不慮の事故で他界した。不慮の事故といふが、まあ有り体に云へば理不尽にも他人から命を奪はれたのだつた。やつがれは「理不尽にも」と書くが、殺す方には殺す方の理由があつたのらしい。だからといつて先生が殺害されていいわけがなかつた。

旧都庁跡の立派な建物で先生を偲ぶ会が催され、不良学生だつたやつがれは迷つたすゑ、出席した。
卒業してからずいぶんたつ。不良だつたやつがれはさほど先生と付き合ひのあつたわけではなかつた。

会が進むと、先生の在りし日の姿を映したヴィデオが上映された。
別段たいした感慨もなく見てゐるうち、突然と胸を突かれる思ひに泣きさうになつた。
どこか遠くの国の荒涼とした大地を歩く先生が、画面の中で喋つてゐた。
もうずいぶんと聞いてゐない、ほとんどは授業中にしか耳にしてゐない、先生のなつかしい聲だつた。
もう二度と聞くことのない聲だつた。

遺影といふものがある。
家族を亡くした家にあつたりはする。
毎日眺めて毎日手を合はせる人もあらう。

しかし遺影は喋らない。なにも云はない。ただそこにあつて動かずにゐる。

聲は記憶にだけあつて、たまに脳裡に響くばかり。
記憶にあるといふことは、時間とともに劣化する。
それがいきなり外からやつてくると、記憶が蘇る。

そして覚えず涙するのだらう。

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