八年間
長野五輪ではまさにdisasterであつた。
技と技のあひだのつながりがない。
ただただすべつてゐるだけ。
ダメ押しするやうに衣装も凄まじかつた。垢抜けないことこの上ないものだつた。
ほかに代表にたる選手はゐないのか。
たれもがさう思つたことだらう。
同じ選手が八年後、一位に輝くとはねえ。
八年間の重みを感じる。
しかし、ここではあへて村主章枝をたたへたい。
なぜなら村主は本邦のフィギュアスケート選手として非常にuniqueで稀有な存在だからである。
彼女のほかに「ジャンプ以外で」世界とわたりあつていける選手がゐないことを考へればそのuniqueさを理解してもらへることと思ふ。
なぜか世の中にはフィギュアスケートの選手を「ジャンパー」と「スケーター」にわけたがる輩がゐる。
バつカぢやなかろか(是非トニー谷風に)。
ジャンプしたいなら「ジャンプスケート」とでもいふ競技を作つてぴよんぴよんとびはねてゐればいい。フィギュアスケートなんざやめちまへ。
これつて、長いこと「技」「ジャンプ」でしか世界と張り合つてこられなかつた本邦の女子フィギュアスケート界の悪癖なんぢやなからうか。
しかし、やつがれが村主を推すのは実はほかに理由がある。
荒川不調の頃、恩田と村主の二強状態で、なぜか競技中の解説やメディアの取り上げ方などは圧倒的に恩田勝ちだつた。
恩田が日本でも屈指のさるコーチに師事してゐる一方、村主にはこれといつた後ろ盾がなかつたからである。
ジャンプの恩田それも一か八かのばくちみたやうなジャンプの恩田と比べて、村主の安定感はすばらしかつた。はつきり云つて村主の滑走の方が「フィギュアスケートを見た〜」といふ満足感を与へることが多かつた。
なぜ世の中はそんなにふみえちやんに冷たいのっっっっ。
とか云ひながら女子の体操(特に床や平均台)・新体操などとともにフィギュアスケートつてスポーツとしてどうよ、といふ気もする秋のゆふぐれなのだつた。
しかし五時起き……。頭が下がります。
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トラバ有難うございますー。
我が家でも一押しは村主でした。トリノではいまいち得点が伸びず残念です。さて後の楽しみはエキシビションかー。
Posted by: Riko | Saturday, 25 February 2006 01:30