信じることは嫌いだけれど
先週先々週と平日帰宅後はもうまつたくなにもする気にならなかつたやつがれである。
あみものさへまつたくしなかつたといふ体たらく。
だが今週に入つてからといふもの、帰宅時間はほとんどかはわないものの、なんとなく気持ちに余裕が出て来たやうである。一昨日から帰宅後にあみものを手に取るやうになつた。
今回の職場からはもうお呼びはかからないだらうな、なんぞと思ひつつ、次も短期間だし、その先どうしやうかな、なんぞと考へながら糸を繰り針を動かす。
いはゆる「来し方行く末」に思ひをはせるとはかういふことか。
あみものをしながらさうしたことを考へるといふのは実に似つかはしい感じがしてよい。
なんだかいつでもばたばたわたわたしてゐる仕事にはふりこまれるせゐだらう、これといつた技術は身に付かないのだが、ただ一つだけ、「どうにもならないことを期限までになんとかする」といふすべには長けてゐる気がする。
もちろん、「どうにもならないこと」はそれ以上どうにもならないことが多いので、実際には「誤摩化す」ことになるのかもしれないが、しかし、それとてできるとできないとでは大違ひだ。
この技術(といつていいものやら……)は、他人に教へやうとして教へられるものではないし、また教はらうとして教はれるものでもないやうに思ふ。
先日、ほぼ日手帳に掲載されてゐる引用文を読んでゐたら、「えうはできると信じることだ」みたやうなことが書いてあつた。
なるほど。
実は何かにつけ「信じる」ことが嫌いなやつがれである。
なにかを信じてゐる人といふのは往々にしてやたらと押しつけがましいからだ。さらに、なにかを信じてゐる人はこれまた往々にして他人の云ふことに耳を傾けないことも多い。
だつたらいつそのこと「なにも信じない」方がなんぼかマシ。
さう思つてゐる。
だが、考へてみれば、もうどうにもならない作業に従事する時に「それでもなんとかしなければならない」と思ふ一方で、「できるはずだ」と信じてゐる自分がゐるのかもしれない。
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