悲しき宮仕へ
「せまじきものは宮仕へ」とは菅原伝授手習鑑は「寺子屋」の段の有名な文句だが。
♯義太夫が語るものなんでね、「せりふ」とはチトちがふやうに思ふ。
だが、基本的には世の中の勤め人はみな「宮仕へ」だらう。
そして、たれかに仕へなければ、生活していけない人が大半だらうと思ふ。
くどいやうだがやつがれも、日々「身過ぎ世過ぎ」のためとわりきつて働いてゐる。
仕事にやり甲斐を見いだしたり目標を抱いたりした方が楽に生きていけるんぢやないかと思ふこともある。
その方が前向きだし、端から見てゐてもいつそ清々しいのではないか。
……それができりやあねえ、苦労しないんだよねえ、これが。
今の職場も長くてあと一月。
その後どうなるのか。
現在社内で一等厳しいプロジェクトへ送り込まれるのではないかといふ説が一番現実味がある。
少し前なら「ま、仕方ないか」と割り切れたやうな気がするが。
この年になるととても不安である。
しかも、その部署には、家庭に不幸のあつたやつがれに対して、「三ヶ月もたつてるのに、まだ悲しいの?」とかのたまつた輩がゐるのである。
しかもこの輩、自分の子供の運動会だの入学式だのなんだのの時は絶対休みを取るやうな輩である。
♯ちなみに仕事はできる。
はつきり云つて、その後会つてゐないのでなんだが、今度会つたら思ひつきり無視してしまひさうな予感がする。
……ま、仕事があるといふことは喜ばしいことなのである。
絶対さうなのである。
さう思はないとやつていかれない。
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