筆圧と人格
ところで。
もう数年の付き合ひになる萬年筆が手元にある。
店頭で試し書きをしたところ、「……萬年筆つてこんなに書きやすいものだつたんだ」と妙に感激して購入したのがモンブランのマイスターシュテック・オマージュ・ア・ショパン。
多分たまたま飾られてゐて、たまたま「よし、萬年筆を買ふぞ」といふ気概高まり、たまたま懐もあたたかかつたのだらう。
そんなわけでずつと使ひ続けてゐるのだが。
まあ、なんだ、えうは「猫に小判」「豚に真珠」の類なんだらうなあ、と思ふ。
昨日のエントリで「やはらかい書き味がした」といふのはこの萬年筆のことである。
今まで気がつかなかつたのかつて?
さう、そのとほり。まつたく気がつかなかつた。
だつて使ひはじめたころからすらすらと書きやすかつたからさ。
#云ひわけになりません。
もともとほとんど筆圧をかけずに字を書く方であることも原因のひとつなんだらう。
昨日、お店の人が試し書きをしてゐるところを見てゐたら、結構力をのせてしつかりとした字を書いてゐた。
やつぱり字つてああいふ風に書くものか知らん。
ひよつとしてやつがれがのほほんでとほほんでダメダメなのは筆圧が弱いせゐ?
……反論したいが反証が見つからん。とほほ。
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