援助交際とは
ここのところ戸梶圭太と舞城王太郎の本を続けて読んだ。
そこで思ひ出したことがある。
「援助交際」といふことばが流行り始めた頃、援助されてゐるのはおぢさんたちの方だと思つてゐた。いきのいい女の子たちから「若さ」を「援助」してもらつてゐるんだと考へたためである。
だから、「ふーん、「援助交際」か。うまいこと云ふなー」と、ずつと思つてゐた。
ある時人と話をしてゐて、どうにも会話がかみあはない。
さう、「援助交際」で援助されてゐるのは若い女の子たちの方で、おぢさんたちは援助する側だつたのである。
今も昔もさうだが、どうも「お金をもらふ=援助されてる」といふ図式があまりにもそのままな気がして仕方がない。
実際、「援助交際」の一般的な意味を知つたときの感想はといへば、「まんまやん」だつた。まあ「まんま」だからこそ広く人口に膾炙したのかもしれないが、それぢやああまりにもつまらないよなあ。
#つてやつがれがひねりすぎなのか? さうかなさうかも。
しかし、古来より「若い子たちといい仲になつて若さをもらふ」といふ考へ方はある。
話がだんだんいかがはしい方向にむかつてゐて恐縮だが、世に云ふ房中術などとて若さを保つために自分よりずつと若い相手と関係を持つなんて話が古典にはあると記憶する。
さうすると、おそらくおぢさんたちはこの世を渡つていくために(……多分、な)、若さをもらはうと「援助交際」をしてゐるのぢやないか。
すなはち、おぢさんたちだつて「援助されてる」んぢやないか。
そんな気がするのだつた。
世のおばさまたちがペ様とやらに夢中になるのもこの伝かもしれない。
なあんてね、ふふ。
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