ミリオネーゼはどうでもいいが
ゆゑあつて、佐々木かをりの本を読んでみた。
今回手にしたのは「自分が輝く7つの発想」と「ミリオネーゼの手帳術」である。
「自分が輝く7つの発想」ははつきり云つてやつがれ向きではなかつた。
「win-win」とかいふことばを平気で使へる相手のことを「無神経な人」と考へてしまふやうな人間には読めない本だと思ふ。「勝ち組」「負け組」といふ今はあまり聞かれなくなつた(よかよか)ことばも、使つてゐる人を見ると「なんてデリカシーのない人」といふ気持ちになつてしまふ。「二都物語」でいふとストライヴァだな。シドニー・カートンではなく。
「二都物語」の例を引くまでもなく、社会的に成功する人や品のないことばで云へば「稼げる」やうになる人は、ストライヴァでなければならないのだと思ふ。シドニー・カートンなんてほんと、「負け犬」だものな。
「人生前向きにいきませうよ」といふ主張はわかるが、ではなぜ「人生後ろ向きではいけないのか」はよくわからない。
まあこれはこの著者に限つたことではなくて、世の中「前向きこそ善」「前向きこそ正義」といつた風潮だから仕方のないことなのかもしれない。
♯……そもそも「正義」といふことばが好きぢやない。
♯ピッコロ大魔王も云つてゐた。
♯「まづわたしのキライなコトバを教えておいてやろう」
♯「それは「正義」と「平和」だ」
♯なあんてね、ふふ。
「ミリオネーゼの手帳術」の方はといふと、えうは「術」の説明なので、より受け入れやすい。内容としては目新しいものはないけれども、たとへば「人生後ろ向きに生きるため」にも応用がきくなあ、といふ気がする。
誤解を恐れずに云へば、文章に少しばかり押しつけがましいところがあるんぢやないかなあ。
それでやつがれのやうにちよいと素直ぢやないやうな人間が読むと「けつ、なーに云つてんだい」といふ気分になつてしまふのではないかと思ふ。
そこが惜しいといへばさうだが。
しかし、人間、押しつけがましいくらゐでないと「ミリオネーゼ」とやらにはなれないのかもしれないなあ、と愚考する次第。
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