My Photo
September 2024
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

« May 2005 | Main | July 2005 »

Thursday, 30 June 2005

ずるいよ

「あらこんな出版社の文庫でこんな作者の本が」と、手にしたのが運の尽き。
だつてこれ読んだよ。

すなはち古処誠二の「フラグメント」である。
文庫の裏、説明のところに「少年たちの密室・改題」とかなんとかそんなやうなことが書いてある。
バカ…………

やつがれにしてはめづらしく、話の内容も犯人も覚えてゐる話だ。
そのままたれかにあげやうかとも思つたが。

ぱらりと読んでみたらおもしろかつたので、最後まで読んでしまつた。

ちなみにやつがれ、ここに出てくる教師に同情を禁じ得ない。
世の中、仕事の出来る人間ばかりぢやないんだつて。
それが教師になつてしまつたのが罪だといふのはわからなくもないが。
さうやつて仕事の出来ない人間をきつてしまふから税源が足りなくなるんだぜ。

……それは話がちがふか。

しかし。
昔は、「どーしよーもない人」でも一度会社に入つてしまへばなんとか定年まで勤められたりしたのである。
その結果、国や都道府県等はその人からも税金が取れたのである。
年功序列はともかく、終身雇用は残しておくべきだつたんぢやないか。

サラリーマンばかりを標的に税源を抑へやうとする風潮を見てゐるとさう思ふ。

てなことを「フラグメント」を読み読み考へてゐた。

Wednesday, 29 June 2005

英語は勉強するものか

なんだか「売らんがな」な書籍の題名のやうだが。

月曜日に気分が上向いたやうなことを書いておきながら、実はその後もずつと超低空飛行を続けてゐたりする。
こんな時に職場の英会話研修があつたりする。
できれば他人と喋りたくないのだが、そんなことも云つてゐられない。
といふわけで、不承不承出席したらこはいかに。

ほかの人、みんな休みやないですかー(/_;)。

二時間ほど、どうやつて過ごしたのか、我ながら謎である。
講師がプロだつた、とだけ書いておかう。

それにしても。
英語つて勉強するものなんだらうか。
このあたりがチトよくわからない。

どうもやつがれ、英語はあまり勉強するものだと思つてゐないやうである。
資格試験を受ける場合でもその準備を「勉強」とみなしてゐない。
そんな気がする。

だつてその方が楽しいぢやん。

Tuesday, 28 June 2005

楽聖

現在やつがれの iPod Shuffle にはベートーヴェンの交響曲五番と七番が入つてゐる。どちらかひとつしか入らないこともあるし、両方入ることもある。

元々所持する CD の多くは歌のないもの、すなはち曲だけのもの、もつといふとクラシック音楽が多い。
iTunes に落とす時、うまく圧縮できない気がしてほとんどはハードディスクに入れなかつた。
最近、クライバー息子の方を聞きたくなつて、五番と七番が入つた CD を買つた。そしてもののためしに iPod に入れてみた。

多分、ベートーヴェンくらゐの音量の幅だつたらなんとかなる……んぢやないかなあ、と思ふが、残念ながらやつがれは耳がよくないので(耳が遠いといふわけぢやなくて、音楽がわからないといふ意味で)、はつきりとは云へないが。

それに、なんといつてもベートーヴェンの五番と七番である。聞こえてこないところは自分で補へるといふ寸法だ。

何度も何度も聞いたことのある曲のはずなのに、毎回毎回「ああ、ここ、いいなあ」と思ふ部分がある。
不思議だよなあ。

ほかのクラシックの曲も iPod に落としてみたいが……
ちよつとためらつてしまふ秋の夕暮れなのだつた。

Monday, 27 June 2005

天地無用

もともと身体的活動状況は下の下である。
一日中動かないといふか、動いてゐるにしてもひどくのろまである、といふか。

今日あたりは精神の活動状況もかなり低い。ほとんど働いてゐないといつてもいい。
暑くてだるいせゐかもしれない。

などと云つてゐたら、こはいかに。
なんだか「こんなうれしい内容のメイル、もらつていいんだらうか」といふやうなメイルを頂戴した。
たつた一通ではあるけれども、こんなことで舞ひ上がる自分つてどーよと思ふけれども、所詮自分は単純な輩と自嘲しつつも、「ありがたう」と、心の底から「ありがたう」と、感謝の気持ちでいつぱいだ。

気分が浮いたり沈んだりといふのは、身体の中、もつといふと頭の中のどこかに電気が通つたとか通らなかつたとかいふだけのことなのだし。

と、些細なことで前向きになる今日のやつがれ。

Sunday, 26 June 2005

援助交際とは

ここのところ戸梶圭太と舞城王太郎の本を続けて読んだ。
そこで思ひ出したことがある。

「援助交際」といふことばが流行り始めた頃、援助されてゐるのはおぢさんたちの方だと思つてゐた。いきのいい女の子たちから「若さ」を「援助」してもらつてゐるんだと考へたためである。
だから、「ふーん、「援助交際」か。うまいこと云ふなー」と、ずつと思つてゐた。

ある時人と話をしてゐて、どうにも会話がかみあはない。
さう、「援助交際」で援助されてゐるのは若い女の子たちの方で、おぢさんたちは援助する側だつたのである。

今も昔もさうだが、どうも「お金をもらふ=援助されてる」といふ図式があまりにもそのままな気がして仕方がない。
実際、「援助交際」の一般的な意味を知つたときの感想はといへば、「まんまやん」だつた。まあ「まんま」だからこそ広く人口に膾炙したのかもしれないが、それぢやああまりにもつまらないよなあ。
#つてやつがれがひねりすぎなのか? さうかなさうかも。

しかし、古来より「若い子たちといい仲になつて若さをもらふ」といふ考へ方はある。
話がだんだんいかがはしい方向にむかつてゐて恐縮だが、世に云ふ房中術などとて若さを保つために自分よりずつと若い相手と関係を持つなんて話が古典にはあると記憶する。
さうすると、おそらくおぢさんたちはこの世を渡つていくために(……多分、な)、若さをもらはうと「援助交際」をしてゐるのぢやないか。
すなはち、おぢさんたちだつて「援助されてる」んぢやないか。

そんな気がするのだつた。

世のおばさまたちがペ様とやらに夢中になるのもこの伝かもしれない。

なあんてね、ふふ。

Saturday, 25 June 2005

熱がさがつてきた

菅原道真の誕生日らしい。
「らしい」といふのは、当時とは暦がちがふし、そんなこと気にしても仕方ないぢやん、といつたところだからだ。
でも大宰府に流されたのも死んだのも二十五日といふ話である。
そんなわけで二十五日は天神様の日だつたり、北野天満宮でも毎年二月二十五日にお祭りをやつたりするのだらう。

そんなことをぼんやり考へながら一日家にゐる。
ほんたうは出かける予定があつたが、目がさめた時に「無理。ヤバいつて、今日出かけたら」と身体が告げてゐたので一日おとなしくしてゐることにした。

どうやらここのところ毎日平熱七度越え(もう仕方ないのではかつて出てきた結果を平熱と考へることにしてゐた)だつたが、なんとか六度台に落ちてきた。よかよか。

しかしこれでは明日もおとなしくしてるやうだな。
むむむむむ。せつかくの週末なのに。

Friday, 24 June 2005

囲碁将棋の本棚の前

たまたま本屋に立ち寄つたところ。
なんの気になしに囲碁・将棋の棚のあたりに行かうとしたらこはいかに。

なななんと、妙齢の女性がやつがれの目指すあたりの棚の前に立つて、なにやら一生懸命立ち読みしてゐるではないか。
後姿から察するに学生だらう。細くて髪の毛が茶色くてサブリナパンツよりもまだ短いやうな中途半端なパンツを履いて、足元はちよいとあぶなつかしい感じのサンダル(ミュール?)。
いかにもいまどきのわかものといつた印象の女性である。

うわー、なに読んでるんだらう。囲碁? それとも将棋?
あるいは……あの近辺といふことは、もしかしたら麻雀とか競馬とかいふこともありうるよな。

と、それとなく覗き見たらこはいかに。
「世界の猫」たらちふ題名の、世にも可愛い子猫の写真がたくさん掲載された本であつたことよ。
嗚呼 (T^T)。ぬか喜びつてかういふこと?

そんなわけで、名人が防衛したとのこと。
森内俊之名人のタイトル防衛ははじめてぢやなからうか。
十八世名人への道のりは遠く険しい。
といふか、森内名人がその資格を得る可能性も大きくなつてきたよな。

なんてなことはあの女の子は考へてもみないのだらうなあ。

読書を忘れたかなりやは(BlogPet)

きょう雅亮で、blogしたかも。
ここへblog♪


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ちゃっくん」が書きました。

Thursday, 23 June 2005

つれづれ英雄ここにあり

といふ題名だつたと思ふ。その昔。

久しぶりに本でも読むかと本屋で手にしたのが集英社文庫の柴錬三国志である。昔は前半(?)が講談社文庫で後半(?)が集英社文庫だつたと思ふ。講談社文庫の題名は「英雄ここにあり」で集英社文庫の方は「英雄生きるべきか死すべきか」だつたと記憶する。
どちらにもある「英雄」といふことばをもつてきて「英雄三国志」になつたんだらう。

柴錬、あひかはらず文庫で出てゐて重畳といつたところ。

古本屋(ブックオフではなくてね)に行くと、源氏鶏太とか獅子文六の文庫なんてのに目がとまる。あと五味康祐の柳生ものの文庫。最近新刊書店ではとんと見ないが、以前はかなり出回つてゐたのだらうと察する。

実は柴錬の本を買はうと思つた時、「ひよつとしたら柴錬の文庫なんてもう本屋にはないんぢやないか」といふ不安があつた。源氏鶏太・獅子文六・五味康祐の例を待つまでもなく、人気がなくなつたら書店の棚から本は姿を消すものだからだ。
だが、取り越し苦労だつた。講談社からも新潮社からも集英社からも文庫が出てゐる。あ、あと文藝春秋ね。
世の中捨てたもんぢやないなあ、とえらさうに思ふ。

文春文庫の柴錬といふと、「我ら九人の戦鬼」が好きだつたなあ、こどものころ。新刊書店で探してもないのだが。あれはおもしろかつたと思ふんだが、なつかしさのあまり美化してしまつてゐるのかもしれない。

三国志演義も柴錬の手にかかるとたまにエグい展開になつたりする。董卓が自分の手下の宦官を増やすあたりとかね。そんなんほかの三国志には出てこないやうな気がする。
以前、内藤陳が、「いろんな作家が独自の三国志を書いてくれたらいいのに」といふやうなことを云つてゐて、「うむ、それはおもしろいかもしれない」と思つたものだつた。今はそんな元気はない。
かと思つたら明石散人は、「日本で三国志やら水滸伝やらをやたらと翻案して本にしてゐるが、あれは中国から見たら大変不敬なことである」とか云ふし。さういふものなのだらうか。よくわからない。

いづれにしても、三国志演義を自分なりに書かうといふ向きには、やうすのいい文体で書いてくれたらなあ、と思ふ。
柴錬の文章は今読んでもやうすがいい。
いつまでも手に入りやすい形で本屋にあるといいなあ。

Wednesday, 22 June 2005

Drum Major, Are You Ready?

アメリカンフットボールではハーフタイムのショーが一番好きだつたりする。
学校対抗の試合なんかだと、各校のマーチングバンドが出てくる。んで、あの巨大なフィールドを埋め尽くす。演奏がはじまる前に題名のやうな科白が響いたりする。これをうけて Drum Major が颯爽と指揮をはじめるといふ寸法。
……最近そんなやうな映画があつたやうな気がする。見てないからわかんないけど。

といふわけで。
pocketbookの章仁さんからそれとなく musical baton なるものを紹介されたので、これまたそれとなく書いてみやうかな、と。

おもしろいものではなけねども。

(1)今パソコンに入っている音楽ファイルの容量
 およそ2.5 GB。
(2)今聴いている曲
 勧進帳 〜山伏問答 十五代目市村羽左衛門の富樫に七代目松本幸四郎の弁慶
 ……曲ぢやないね?
(3)最後に買ったCD
 ひとり会(1) 立川談志
(4)よく聴く、または特別な思い入れのある5曲
 しぼるのがむづかしいので思ひつくままに。
 1. マーラー、 交響曲第六番イ短調
  ベートーヴェンがどもりながらも初つ端に叩き、
  チャイコフスキーが全楽章に動機を埋め込むのなら、
  おそらくマーラーは最後の最後に持つてくるんだなと思つた。運命を。
  はじめて聞いた時に「この長大な曲は最後のオチのためにあつたのかっっ」
  と耳がじんじん痛んだ。図書館でね、ヘッドフォンをして聞いてたものだから。
  「オチ」とか云ふたらマーラー先生に怒られちやふかも。
  でも落し話が好きだからどーしてもさう思つてしまふのだつた。
 2. Eric Idle、 Always Look On the Bright Side of Life
  かういふ前向きなら大歓迎なのだつた。
 3. 二代目広沢虎造、 森の石松
  いつか風呂場でうなれるやうになりたい。
 4. Die Prinzen、 Mein Fahrrad
  「この歌がいいね」と君が云つたけど 六月十日は時の記念日
  もとい、はじめて Die Prinzen を知つたのがこの歌。アカペラで見事なハーモニーで
  でも歌詞の内容は辛辣で、と、およそ文句のつけやうがないすてきな歌。
 5. L'orchestre De Contrebasses、 Father Moqueur(嘘つきの神様)
  六人で三台のコントラバスを演奏する曲。この楽隊はCDで聞くよりも、実際に
  演奏を見に行くのが絶対いいんだけど、演奏会の記憶を胸に聞くのもいい。

……んで、たれかに渡さなければならないらしいのだが。
むむ。
チト一晩考へます。

Tuesday, 21 June 2005

姦夫姦婦を重ねて四つ

……流行つてゐるのだらうか(笑)?

突然風邪をひいてしまつた。
大抵風邪をひく時といふのは思ひあたる節がある。
夜更かしが続いてゐる、とか。
寝不足、とか。
大きな仕事が終はつて一段落ついてしまひ、次の仕事は決まつてない、とか。

概ね「不摂生」と「気の緩み」が重なると風邪をひく。
今回「夜更かし」はあるていどしてゐるやうにも思ふが、大きな仕事の最中だし、寝不足といつて普段とそんなに変はらないやうな気がするし、周囲に風邪ひきがゐるわけでもないし、なんだか納得いかないことが多かつた。

だが、巷では風邪がはやつてゐるのだといふ。

なーんだ、さうだつたのか。

で、題名の「姦夫姦婦を重ねて四つ」だが。
どうやら今日はこのキーワードでここにたどりついてゐる人が多いらしい。
……ひよつとして流行つてるのだらうか?
でも、今の世の中そんなことしたら殺人罪でお縄だぜ。しかも二人も殺しちやふんだぜ。情状酌量の余地はひよつとしたらあるかもしれないけど、でもねえ……。

と、まじめに考へたりはまつたくしてゐないけどもね。

とにかくやつがれ流行り物に疎い。
最近落語が流行りつつあるつてのも知らなかつたしなあ。
ここんとこ寄席からとんと遠ざかつてゐるし。
ああ、行きたいなあ、寄席。

もとい。
だからもしかしたら「姦夫姦婦を重ねて四つ」つてのも流行りつつあつてやつがれが知らないだけなのかな、とちよつと思つてみたわけだ。
……だから流行つたら怖いつてば。

しかし、「不義密通をするのなら、真つ二つに斬られるくらゐの覚悟が肝要」くらゐの心意気は持つてゐて然るべき、といふ考へ方が流行りつつあるのかも……。

ちなみに昨今「不義密通」は「不倫」と呼ばれてゐたりするのかもしれない。

ほら、流行りものに疎いからさー。

Monday, 20 June 2005

ミリオネーゼはどうでもいいが

ゆゑあつて、佐々木かをりの本を読んでみた。
今回手にしたのは「自分が輝く7つの発想」「ミリオネーゼの手帳術」である。

「自分が輝く7つの発想」ははつきり云つてやつがれ向きではなかつた。
「win-win」とかいふことばを平気で使へる相手のことを「無神経な人」と考へてしまふやうな人間には読めない本だと思ふ。「勝ち組」「負け組」といふ今はあまり聞かれなくなつた(よかよか)ことばも、使つてゐる人を見ると「なんてデリカシーのない人」といふ気持ちになつてしまふ。「二都物語」でいふとストライヴァだな。シドニー・カートンではなく。

「二都物語」の例を引くまでもなく、社会的に成功する人や品のないことばで云へば「稼げる」やうになる人は、ストライヴァでなければならないのだと思ふ。シドニー・カートンなんてほんと、「負け犬」だものな。

「人生前向きにいきませうよ」といふ主張はわかるが、ではなぜ「人生後ろ向きではいけないのか」はよくわからない。
まあこれはこの著者に限つたことではなくて、世の中「前向きこそ善」「前向きこそ正義」といつた風潮だから仕方のないことなのかもしれない。
♯……そもそも「正義」といふことばが好きぢやない。
♯ピッコロ大魔王も云つてゐた。
♯「まづわたしのキライなコトバを教えておいてやろう」
♯「それは「正義」と「平和」だ」
♯なあんてね、ふふ。

「ミリオネーゼの手帳術」の方はといふと、えうは「術」の説明なので、より受け入れやすい。内容としては目新しいものはないけれども、たとへば「人生後ろ向きに生きるため」にも応用がきくなあ、といふ気がする。

誤解を恐れずに云へば、文章に少しばかり押しつけがましいところがあるんぢやないかなあ。
それでやつがれのやうにちよいと素直ぢやないやうな人間が読むと「けつ、なーに云つてんだい」といふ気分になつてしまふのではないかと思ふ。
そこが惜しいといへばさうだが。
しかし、人間、押しつけがましいくらゐでないと「ミリオネーゼ」とやらにはなれないのかもしれないなあ、と愚考する次第。

Sunday, 19 June 2005

風邪で熱があるといふのに

「脳を鍛える大人のDSトレーニング」によると、やつがれの脳年齢は「20歳」ださうである。

……をかしい。

Saturday, 18 June 2005

風邪ひいて

一日寝て過す。
せつかくの週末だといふのに。

といふ考へ方が既にいけないのだらう。
「週末でよかつた」と考へるべきなのだらうが。

わかつてはゐるけれども、やはり「せつかくの週末だといふのに」と悔しくてたまらない。
この調子では明日も具合がよくなつてゐるとは思へないが、またぞろ起き上がつて編みに編んでしまふ気がする。そして月曜までに復調せず。

目に見えてゐるのに、なぜさうしてしまふのだ、愚かなやつがれよ。

Friday, 17 June 2005

六番勝負とその後

ここでとりあげてもなー、と思ひつつ。
瀬川晶司アマのプロ編入試験について詳細が決まつた。
対局者を見て、なんとなく不思議な人選だなと思つたが、それはやつがれが棋界に疎いせゐかもしれない。

これ以降のアマチュアのプロ編入試験については、一年かけて考へるのださうな。
じつくり考へてもらへるといいなあ。

先だつて、やつと「ヒカルの碁」の最終巻を読むことができた。
棋士になつた子の親で、それを反対してゐるといふ登場人物が出てきた。
その子は、囲碁が強いにもかかはらず、である。
反対する理由は、その子には院生になるまでまはりに一緒に囲碁を楽しむ友達がゐなかつたといふこと、そして、親の周囲にも囲碁界について知るものがないこと、ださうである。
つまり、先のない(あるいは「先の見えない」)やうな業界に就職する子供の将来が心配だ、といふのだ。

棋士がどうやつて稼いでゐるのか、世の人々は知らないと思ふ。かく云ふやつがれも、ぼんやりと知つてゐるくらゐで、実際のところはどうなのだか知らない。
♯そして、ほんたうに「実際のところ」は知られたくないものなのかもしれない。

アマチュアからプロになりたいと志願する人がゐるといふことは、それだけ魅力的な職業なのだと宣伝するよい機会なやうな気もする。
その一方で、「これこれかういふ仕組みなんだよ」といふことも宣伝すればもつと効果的なんぢやないかと思ふのだが。

大きなお世話かと思ひつつ書ける。

Treo650 で音楽を聴く(BlogPet)

きのうはここまでblogしたかった。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ちゃっくん」が書きました。

Thursday, 16 June 2005

発言力(ヂカラ)

先日たまたま新聞を読んでゐる時に読んだ記事。
とある大学の文学部創作科みたやうなところの教授の談話が出てゐたのだが、昨今の学生は「読まないのに書きたがる」のださうである。
……なんだかそんなことは前々から云はれてゐるやうな気もするが。

で、「読まないのに書きたがる」のなにが困るかといふと、さういふ人は自分の書いた物を客観的に読むことができない、といふ。

………………。
上に「たまたま」と書いたとほり、やつがれ、普段は新聞を読まない。
読書も精々人並みかその下といつたところだ。
なるほど、自分の書いた物を客観的に読むことができない、か。さうかなさうかも。

ところで、松尾スズキが好きである、と以前も書いたが。
最近「この日本人に学びたい」といふ本を読んだ。
なーんか昔似たやうな内容の野田秀樹の本を読んだやうな気もするが(多分新潮文庫)、それはさておき。

「この日本人に学びたい」の中で、松尾スズキは書いてゐる。

ネットが嫌いな理由は、発言力(ヂカラ)のない奴が文章を垂れ流してゐるからだ

、と。

発言力(ヂカラ)。

ない、よなあ。どうみてもない。
うぬぬぬぬぬ。

Wednesday, 15 June 2005

前頭前野もお年頃

「脳を鍛える大人のDSトレーニング」を購入してしまつた。

どうやら、このゲームに出てくる試験は比較的得意なものが多いらしい。
小中学校のころ知能テストみたやうなものが毎年あつた。結果は知らされないものの、試験を受けてみた感じで「今年はできた」「今年はできなかつた」といふのがわかる。できたと思つた年はたまたま得意な問題が多かつた年、できないと思つた年は不得意な問題が多かつた年だつたと思つてゐる。

そんなわけで、このゲームの結果では、やつがれの脳は実年齢より若いらしい。
あくまでもゲームの結果だが、まあ悪い気はしない。

トレーニングにも得意なものがある。
何を隠さうやつがれ、文章を読み上げるのが異様に速いのである。
これまでこんなことが自慢になるとは思つてゐなかつた。
どちらかといふと国語の授業などでは大きな聲で周囲にわかるやうに読み上げるのがよいことだとされてきたやうに思ふ。音読が速くてもなんの得にもならない。さう思つて今まで暮らしてきたのだが。
どうやら、これは自慢していいらしい。
さらにいふと、やつがれ、英文も音読だけはやたらと速い。音読だけが速いといふのが念入りに情けないが、これもまた自慢していいのだらう。

と、こんなゲームの結果で一喜一憂してるつてどーよ。
と、落ち込むことしばし。

むづかしいね。

Tuesday, 14 June 2005

読書を忘れたかなりやは

裏のお山に捨てられてはたまらないので。
といふか、そもそもかなりやではないし、かなりやは本を読んだりしないのだが。

ここのところ、Treo 650 でずつと読書をしてゐる、といふ話は sotto voce に書いた。
読む読まぬにかかはらず、やつがれの Palm 機には必ず「薮の中」と「悟浄歎異」「悟浄出世」が入つてゐて、時々思ひだしたやうに読む。
今回はこれに「李陵」とか「山月記」とか「名人伝」とか、いはゆる中島敦の作品を中心に読んでゐたのだが。

なんとなく調子が戻つてきたのでここはひとつ書籍を手にしてみやうと思ひたつた。

池波正太郎とどちらにするかさんざん迷つたのだが。
結局手にしたのは柴田錬三郎だつた。

柴錬。
森茉莉の著作などでは「牙田剣三郎」などと書かれてゐて、「牙剣つてのはやうすがいいなあ」と思つた、なんぞといふこともかつて書いた。

これまた以前も書いたことだけれども、柴錬にはほんたうに影響を受けてゐた時期があつて(といふよりは今でも受けてゐるのだらうとは思ふが)、「地べたから物申す」なんか読み返すと面映くてどうしやうもなかつたりするのだが、今回は小説だ。だから大丈夫だらうと思つてゐた。しかも何度も読み返してる話でもあることだし。

だが、一読「うわっっ」と思ふことが多くて、なあ……。
真面目な話を文章にする時に異様に句読点が多い、とか。
同様の場合に一行の文章が短い、とか。
なんだか思ひあたることが多くて、心中「ひやつ」とか意味不明の叫び聲をあげること一度ならず。

うーむー。

しかし、柴錬なんぞを読むと昨今の中国史を題材にした小説を読む気が失せる。
理由は文体にある。
昨今のさうした小説の文体には「中国つぽさ」がかけらも感じられないからだ。いはゆる「漢文読み下し文」的な感じがない。漢文読み下し文といふのは、大抵は大変リスムがよく、読んでゐて快感さへ覚えることが少なくないのだが、さうした快感を与へてくれないのだ。

だが、きつと今はさういふ擬古文調といふか「漢文読み下し文」的文体ではエンタテインメントとして成立しないんだらうなあ、といふ気もする。

そんなことを考へつつ、内心のけぞりながらも柴錬を読んでゐる。

Monday, 13 June 2005

The Beatles Forever

別に「The Beatles 讃歌」といふわけではないのだが。

iPod Shuffle に入つてゐる曲というのはほとんどいつも同じである。充電の度に曲の入れ替へをするが、iPod Shuffle オートフィル用のプレイリストがあつてそこからの入れ替へになるので、自然といつもあまり代はり映えのしない曲が入ることになる。

そんな中。
最近、ビリー・ジョエルの歌をスキップしてゐることに気がついた。
中でも「Piano Man」「Honesty」「Just the Way You Are」あたりは必ず次の歌に飛ばしてしまふ。「You Maybe Right」「The Stragner」はわりと聞く。「She's Always a Woman」だけはとばさない。

気をつけて観察してゐると、ビリー・ジョエル以外にも必ず飛ばす歌といふのがあることに気がつく。さう、どうやら歌手や演奏家に関係なく、「この歌は飽きたよ」と思ふ歌を聞かなくなつてゐるやうだ。

で、ビートルズの歌はあまり飛ばさないことに気がついた。
小学生ん時から聞いてゐるんだからいい加減飽きてもいいやうなものだが、なぜか最後まで聞いてしまふ。ちなみにビリー・ジョエルだつてビートルズよりは聞き始めたのが遅いけど、小学生ん時にはもう聞いてゐた。
当時一緒の部屋を共有してゐた相手は、ビリー・ジョエルはわからないけどビートルズの歌は大抵鼻歌で歌へることを考へると、かなりしつこく聞いてゐたことがわかる。

なるほど、どうやらやつがれはビートルズが好きらしい。

……つて今更知るかねえ。

あと飛ばさないとなると Die Prinzen、かな。王子さまたちの歌は絶対聞いてゐる気がする。
ゴダイゴも意外と飛ばさない。聞き飽きてるはずなのに。
ポリスは新しい歌ほど飛ばす。「Roxanne」「Can't Stand Losing You」は必ず聞く。あと「Don't Stand So Close to Me (なぜこれが「高校教師」なんだらう)」も必ず聞く。
クイーンは「Radio GaGa」前後は飛ばす。それ以外は聞いてるなあ。
ビーチボーイズは厳選してるので飛ばさない。そもそも飛ばす歌ははづしてある。
サイモンとガーファンクルも然り。

あ、モンティ・パイソンを忘れてゐた。彼らの歌は絶対飛ばさないね。時々気まづくなつて飛ばすことはあるけど。
たれが聞いてゐるわけでもないとは思ふのだが、聞いてゐて気はづかしくなる歌つてあるんだよね。

Sunday, 12 June 2005

ふしぎな歌

もうせん気になつてゐる歌がある。
The Beatles の「Your Mother Should Know」だ。

みんなで踊らうよ、きみのママが生まれる前に流行つた歌で

といふやうな内容の歌だと思ふのだが。

はるか昔に生まれたけれど、きみのママは知つてるはずさ

といふのが謎だつた。
生まれる前に流行つた歌なのに、なんで「きみのママは知つてるはずさ」なのだらうか。

確かに。
あらためて考へてみなくたつて自分が生まれる前にはやつた歌のひとつやふたつ、下手したら十や二十は歌へると思ふ。出すたびに CD の売り上げが数百万になるといふ昨今の歌手の歌よりも知つてゐるといつても過言ではない。

しかし、さういふことならわざわざ歌にする必要もなからうになあ。

などと思ひながら、調子がいいのでつい歌つてしまふ「Your Mother Should Know」なのだつた。

Saturday, 11 June 2005

World Wide KIP Day にかこつけて

2005年6月11日は世界的に KIP、すなはち "Knit In Public" の日である。
もし「2005年6月11日」さんがゐたら、「ぼくが? どうして?」ときくだらう。
でもやつがれは「あたしがさう決めたの」なんて云ひはしない。
こちらの方が決めたらしい。
ちなみに「KIP」とは、えうするに外出先で編物をすることである。外出先といつてもともだちの家とか実家とかではいけない。バスや電車、駅や空港、喫茶店の中など公共の場や見ず知らずの人がゐるところで編むことをさす。

平日ほとんど編む時間が取れないので、ほぼ日常的に「KIP」を行つてゐるやつがれだ。
たまの土日はのんびり家で編める貴重な日である。
しかも外は生憎の雨。

だが、意を決して出かけた。

現在行きつけの喫茶店などないので、かねてから目をつけてゐた店に行つてみた。
いつもこの店の前を通るときは夜なのだが、どこからどう見ても酒場である。
だが、人伝に昼間は喫茶店なのだと聞いた。

店内は四人がけの卓子が三つほどであとはカウンタ席といふこじんまりとしたところで、落ち着いた照明はあまりあみもの向きとはいへないが、晴れてゐれば陽光のさしこんで明るい店なのだらうといつた感じがした。

あみものもしたけれど、萬年筆とほぼ日手帳も持参してゐたので、つらつらと書き込んでみたりした。
木を使つた調度品の多いところで、なんとなく萬年筆もにつかはしい感じがする。
実は pocketbook さんを拝見してゐてつねづねうらやましかつたのだつた。行きつけの心落ち着く喫茶店でひとり、のんびりと萬年筆のキャップをひねり、ぼんやりと来し方行く末を思ひ一筆したためる。

しかし、高校生の時から気に入つてゐた喫茶店が閉店して以降、さうした店に出会へずにゐた。
今日お邪魔したお店は、夜は酒場だからなあ。いや、お酒もいいけれど、酩酊した状態で過去や未来に思ひを馳せると後で痛い目を見さうな気が……。

今日はお客さんが多くてお店の方とはお話できなかつたが、もしこの次も行くことがあつて、うまく会話がかはせたら、土日に通ふかなあ。

そんなことを考へながらいつものやうに今日の行動記録とこの週末の予定などを書き込んでゐた次第。

Friday, 10 June 2005

山の月の記

「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」といふことばをはじめて目にした時の衝撃といつたらなかつた。
それはまさに自分のことだつた。なぜこの物語は俺のことを語つてゐるのだらうと訝しんだ。
そして「さうか、俺もいづれは虎になるのか。いや、虎ならまだいい。尊大な羞恥心の肥大した豚になるのだらう」とつくづく思つたものだつた。

あるいは、と思ふ。
もう少し早くこの小説に出逢つてゐたら自分もかはつてゐただらうか。「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」とを飼ひならし、うまく世の中を渡つていけるやうになつてゐただらうか。

もしかしたら、とは思ふ。
高校二年生の時、しかも他人より一年遅れてゐる自分ではなく、中学生、もしくは小学生の時に出逢つてゐたなら、猛獣使ひになれてゐたかもしれない。

おそらくは出逢ひが少しばかり遅すぎた。高二のころ、すでに自分の中の自尊心と羞恥心とは手に負へぬ状態だつた。

この小説は、おそらくはその長さゆゑに現代国語の教材としてとりあげられるのだらうが、もつと早いうちに読ませた方がいい。さうしないと手遅れになる。

この俺のやうにだ。

Wednesday, 08 June 2005

今月今夜のこの月を

もうすでにあちこちで書かれてゐるのでどうしやうかとも思つたが。

Muchy's Palmware Review の更新が止まることになつた。

八年、とお知らせにはある。
そんなになるのか、といふ思ひと、もつと昔からやつてたんぢやないか、といふ思ひが交錯する。
それだけ頻繁に訪れたし、大変お世話になつた。

ここをお読みの方はご存知だらうが、やつがれ、あまり Palmware を使はない方である。おそらく Palm 関連あるいはPDA関連のことを weblog に書くものの風上にもおけないくらゐ、My Palm を標準のままで使つてゐるユーザだ。

そのやつがれでさへかほどの衝撃を受けてゐる。
世の Palm ユーザの嘆きたるや如何ほどであらう。

来年の今ごろ、明日(日本時間だと明後日だらうか)から蹴球の世界杯だ、ともりあがる一方で、去年のこの日、とあるサイトの更新が止まつたんだつたよな、と、しみじみすることだらう。それは引き継いでくださる方がゐらしてもかはらないと思ふ。

今はただ「ありがたうございました」と垂頭するのみ。

Tuesday, 07 June 2005

Treo650 で音楽を聴く

ずつと懸案だつた Treo650 で音楽を聴く、をやつてみた。
SONY のMS260 とやらいふモノラル→ステレオ切り替へをするコネクタを買つた。
これを Treo650 にさしてヘッドフォンをつなげば、Taddahh!! 音楽が聴けるやうになる。
音楽ファイルがあれば、だけど。

Treo650 には標準で RealPlayer がついてゐるので、MP3 だつたら聞ける。
といふわけで、iTunes 用のファイルの中から MP3 のままのものをみつくろつてきて、SDカードに入れてみた。

聞いてはゐたが、音量がデカい (>_<)。
劇団☆新感線の芝居に行くといつも耳をやられて帰つてきてしまふやつがれにはチトつらい。

さらに、ビートルズやクイーンはやめておいた方がいいことが判明した。

モノラル→ステレオ変換だからだらう、もともとステレオの音楽で右と左でちがふ音を出してゐるやうなものはどちらかの音が消へてしまふのぢやないかと思ふ。
現在手持ちの曲の中ではビートルズとクイーンに顕著に見られることが判明。
でもまあしよつちゆう聞いてる曲ばかりなので、勝手に脳内で補完してゐるがね。

L'Orchestre de Contrebasses (コントラバス奏者ばかり六人で演奏するお仏蘭西のグループ。コントラバスの数は六つとは限らない。演奏はもちろんパフォーマンスがもう)やヨー・ヨーマはそこそこいけるとみた(聞いた)。

そんなわけで、やはり音楽は iPod なり iPod Shuffle なりで聞く、かなあ。

でも電池のもちはよいと思ふ。
今回行きも帰りも、音楽聴きながら Pook で「李陵」を読みつつ電車やバスに揺られてみたが、電池残量はほとんどかはつてゐなかつた。
Visor だつたらうか、語学講座をききつつそのテキストをメモ帳なり Doc Reader で読む、といふのがあつて、「それいいっっ」と思つたことがあつたが、それもかんたんに出来さう。

うーん、次の目標はそれか?

電池切れ(BlogPet)

きょうちゃっくんは、ここで電池blogしなかった。


*このエントリは、BlogPetの「ちゃっくん」が書きました。

Monday, 06 June 2005

ところかはれば

社内といふか部内といふかチーム内の今年度の施策について話があつた。
なにをかくさうやつがれは、去年の九月までずつと長いこと同じチームにゐて、同十月に今のチームにうつつてきた。異動になつてから、この手の話ははじめてだつた。

まづ、みんなあれこれ発言するのに驚いた。
これまでゐたチームは、年がら年中忙しかつたこと、また、やつがれのやうに長いことゐる人が多かつたことから、同じやうな会合を開いても、説明する人が一方的に喋つてゐることが多く、質問は出ても最後にちらほらといつたものだつたのだが。

今度のチームはちがつた。
まあみなみなよく突つ込むこと突つ込むこと。
これが本来の姿なのだらうか。
……さうなんだらうな。

それに、質問するやうな人は、いづれ自分も説明する側にまはらうと思つてゐる人なのかもしれない。
やつがれは絶対そちらにはまはりたくないので、例によつて黙つたまま過ごしてしまつた。

ほんと、同じ社内でもチームをちよこつとうつつただけで、こんなにもちがふものなんだなあ、としみじみ。

ちなみにみな熱心にメモとか取つてゐたが、やつがれは取らず。
元々の死霊^H^H資料は社内のアーカイヴにあるし、それ以外の数字なんかは覚えればいい。

……だからダメなのか。

Sunday, 05 June 2005

あみたい書きたい そんな気持ち

ここのところになく「書きたい」病にかかつてゐる。

「編みたい」病は頻繁にあつて、特に平日、編む時間が取れないとひたすら編みたい気分になるものなのだが。
近頃絶へて「書きたい」と思ふことがなかつた。
思はなくても weblog なんぞを更新したり日誌をつけたりはしてゐるのだが。

だが、なんていふのだらう、「筆にまかせてくだらないことを書き連ねる」といふやうなことをしたいといふ気分をすつかり忘れてゐたのだつた。
云ふなれば兼好法師な気分、だらうか。
#まちがつてます。

思へば。
weblog だと題名をつけたりカテゴリを決めたりしないといけなくて、それで「心に移り行くよしなしごとをそこはかとなく書きつく」る、なんてなことがしにくいのかもしれない。

まあ元々さういふ感じだからこの weblog のカテゴリも無秩序なのだらう。こんなにカテゴリ一杯あつてどーするの、と自分でもよく思ふ。だが、エントリを書いた当時はぴつたりくるカテゴリだと思つたのだ。今となつては「多分さう」としか云へないが。

今書きたいのは日付とかカテゴリとかさういふのに縛られないものだ。
かういふ時は MOLESKINE の出番になる。
たまにはのんびり「あやしうこそものくるほし」い気分になつてみるのもいいかもしれない。

と、書きたくなるほど、今やつがれにはまつたく余裕がない。物理的にといふよりは精神的に。
なんでこんなに余裕がないんだらうなあ。

Saturday, 04 June 2005

分家

といふわけで。

……どこが「といふわけ」なのかは聞かないやうに。

あみもの・タティングレースなど手芸関連の話は別にはてな日記で書くことにした。
サイドバーにもリンクがあるが、「KnitTatCrocet - 和文」がそれである。

もうせんはてな日記には興味があつて、はじめてみたかつたのだが……
うーん、やはりあみものとかタティングレースとかつてのはさかんぢやないんだらうな。全然キーワードがひつかからない。

もとい。
こちらの weblog で書いた内容はそのままこちらに残すことにした。
今後、あじろ編みのヴェストの行方とか、Tie one on をどうするのかとか、シェットランドレースを編むのか編まないのかとかは、あちらに書く予定。

まあこちらにもつい書いてしまふこともあるかもしれないが。

ところで時折気になるのだが。
手芸関連の文章を書くのに、やつがれの文体はチトかたいのではないか。
「です・ます」調ではないからだらうか。
しかしこのまま「です・ます」調にして、それではたして文体がやはらかくなるのか。
……まあなるだらう。やはらかくなつて、まつたくちがふ文体になつてしまふやうな気がする。
より手芸関連向きの文体に。

だがそれは本意ではない。
あくまでもかういふ書き方で手芸関連の話をしていきたい。

んでこちらでは……んー、さうだなあ。
とりとめない話でもしていくつもり。

つて、それぢやあこれまでとかはつてないつて。

Friday, 03 June 2005

充電と補充

モンブランの萬年筆のインキカートリッジをかへた。
今のところ、モンブランの萬年筆ではカートリッジを使つてゐる。替への持ち運びが便利なことと、予備を入れておけることが主な理由である。
色はブルーブラック。インキの色に関してはモンブランについていふとインキつぼの方が好きなのだが……。まあ使ひたくなつたら考へればいいことだ。以前も書いたやうに、モンブランのインキつぼのブルーブラックはファーバーカステルの萬年筆で使つてゐることでもあるし。

ところで萬年筆を使つてゐると、わりとひんぱんにこの「インキ補充」が必要になつてくる。
現在使用してゐる萬年筆のほとんどはインキカートリッジ使用なので、予備に一本ずつ持ち歩いてゐる。職場にも予備を一本ずつ。現在吸入式なのはファーバーカステルだけで、これは近所の文房具屋ではカートリッジを入手するのが困難だからだ。モンブラン、ペリカン、ウォーターマンならまあ通勤途中にある文房具屋でならとりあつかつてゐる。

さて、インキの補充だが、なにかに似てゐるなあ、と思つてゐた。
なんだらうと考へてみたところ。
携帯電話やPHS、PDA の充電に似てゐるのではないかといふことに思ひいたつた。

なるほど、どちらも日常的に使ふものであるし(萬年筆もさうですよ)、インキや電池がないとどちらも使ひものにならない、ただの無用の長物と化してしまふといふあたりも似てゐる。
また、あると思つてゐたのになかつた、なんてなあたりも似てゐるんだなあ。
あと、なにかを書く時に使ふといふ点でも似てゐるかもしれない。

そして、「あ、今書き留めなきや」とか「今メイル出さなきや」と思つた時にどちらもインキ切れ・充電切れになつたりするところも、似てゐるのかもしれない。

間が悪いといへばさうかもしれないが、日常的にさういふことつて結構あるよな、と思つたりするのだつた。

Thursday, 02 June 2005

Knit Addict

Clapotis を仕上げた。

「おしゃれ工房」のシェットランドレースに挑戦するも三度ほどほどいて今回のところはあきらめることにした。
パピーの2Plyで試し編みのつもりだからいいんだけど。
それにしても、あちこちの weblog を見るに、「おしゃれ工房」のテキストとほりの編み方ではなく、ふち編みから編みはじめてゐる方が多いやうなのがまた気になつたり。
さうだよなあ、後から目を拾ふのつて面倒くさいよなあ、とこれまたちよつと思つたり。

なんで三度もほどくことになつたのか、といふと、やはり数が数へられないからだらう。とほほ。
調子悪いからなあ。なんかふつと意識が遠のくことがある。いかんいかん。

そんなわけで。
ぼんやりしてゐても編めるもの、といふことで、結局パピーのコットンコナであじろ編みのヴェストを編み始めることにした。ひたすらガーター編みだし。
しかし編地が思つたより「てろん」とするなあ。仕方ないのだらうか。ほんたうはまちつと「かつちり」した感じがいいんだが。夏糸それも綿でそれはむづかしいだらうか。いつそのことアフガン編みだといいのかなあ。

などと思ひつつ、編み始めるととまらない。これがドミノ編みやあじろ編みといひ白樺編みといひバスケット編みといふ編み方の特徴のやうな気がする。

いや、基本的にあみものといふのははじめてしまふとなかなか終はれないもののやうだ。
あと一段あと一目、いやいやあと一模様、と思ひながらやめられないのである。

危険極まりない。それがあみものである。

Wednesday, 01 June 2005

編みたい気持ちはやまやまなれど

Cul-de-Sac も仕上がらないが、次のものに手を出す気にもならない。
以前も書いたやうに、次はパピーのコットンコナで白樺編みといふかあじろ編みといふかバスケット編みのヴェストか、同じくパピーのリネンシルクでドミノ編みのヴェストを編む予定だつたが。
リネンシルクは試し編みをしてみて思つたやうにはならなかつたので別のものを編むことにすると思ふ。

いづれにしても、仕上げや作り目をする気にならない。
だが何か編みたい。

といふわけで、ひたすら Clapotis を編んでゐる。ダイヤミュゼファインを三号針で編んでゐて、さらにしよつ中マーカがあるのでなかなか進まないなあと思つてゐたが、気がつくと結構編めてゐる。
二玉で編みきるつもりなのだが、気がついてみたらもうあとちよつとで糸がなくなりさう。

といふわけで、今日中に仕上げやうかと思つたが。

仕上げはともかく次のものを編み始める気にならない。
Clapotis の場合、仕上げといつて特にすることはあまりない。最後は一目になるはずなので伏せ止めもないし、糸端は途中途中で編みこんであるのでほとんど始末はゐらないはずだ。

だが次に何を編み始めたものやら。
実は Tie one on を編まうかなあと思つて糸を用意してはあるのだが。

どうなることやら。

« May 2005 | Main | July 2005 »