たれか翻訳してくれないか
「ハゲタカは舞い降りた」読了。
去年の暮れくらゐからずつとこの作者のシリーズを読んでゐた。たまたまこの第四作「ハゲタカは舞い降りた」が出版されたばかりかなにかで平積みになつてをり、「坂田靖子推薦」といふやうな惹句が帯におどつてゐたからである。表紙絵も坂田靖子が担当してゐて、三作目以降は巻末にあとがきのやうなものも描いてゐる。
さう、坂田靖子が好きである。ご自身の Web ページなどもあるのでご興味のあるむきには是非。
Web ページに行くとわかると思ふのだが、文章が大変に読みやすい。頭のいい人なんだらうなあ。
しかし。
このシリーズ、翻訳がどうにもかうにもである。
翻訳、といつていいのかどうかさへ定かではない。
はたしてこれは日本語なのだらうか。
とにかく文章がぎこちない。なんでこれで編集がよしとしてゐるのか、まつこと不思議である。担当の編集者も日本語がわからないのだらうか?
え、やつがれ風情に云はれたくない?
そいつあ近頃面目次第もござんせんな。
けれども「ヲレに訳させろっっっ」と何度思つたことか。
だつて話自体はつまらなくないのだから。
だのにあの訳はいつたいなんなのだ。
ハヤカワ文庫だと、ドートマンダーシリーズにも同様のことが云へる。
こちらも内容はおもしろい。絶対におもしろいのである。
だが、嗚呼、翻訳のなんとお粗末なことよ。
シリーズだから次の巻は別の人が訳してないかな、とか期待するとまづ裏切られることになる。
シリーズだから回を追ふごとにましになるかといふと、これまた裏切られることになる。
そもそも、文章の途中にかつこ書きでの説明が多いつてどーよ。そのくせ tar (UNIX コマンドだよ) のことは「タール」と書いて何も注釈なしに済ませるその神経がわからん。
あ、さうか、翻訳家の神経を持つてゐないのか。
かはいさうになあ。
だつたらなんでそんな輩を雇つておくのか、早川書房っっ。
まあ百歩譲つて、原作の文章が非常にわかりづらいものであるとしやう(エンターテインメントでそんなことがあるとはチト考へづらいが)。
それにしたつてひどすぎる。見開き二ページで「ん?」と思はないことがないんだぜ。
確かにやつがれはここのところ翻訳ミステリから遠ざかつてはゐたが、今の世の中つてこんなにひどいんだらうか?
おそらく、ここに働いてゐる原理は「早からう悪からう」なんだらう。
新潮文庫の「羊たちの沈黙」を読んだ時もその翻訳のお粗末さに目を覆はんばかりであつたが、あれはきつと封切に間に合はせたいといふ気持ちと少しでもコストを抑へたいといふ気持ちが新潮社側にあつたのだらう。「レールデュタン」も調べられないやうな輩に翻訳家がつとまると思ふ方がどうかしてゐる。
それと、縁故でないと雇ひたくないといふ気持ちがあるんだらうな。縁故と考へればかほどにひどい翻訳が世に出回るわけもわからうといふものだ。
「エラリー・クイーン読本」に、「クイーンの作品はあちこちの出版社から出てゐます。どれがお勧めですか」といふやうな質問が載つてゐた。回答には、「古めかしくても訳は(比較的)忠実な創元推理文庫、役は新しいが精度はいまいちのハヤカワ文庫」といふやうな文章が見られた。今創元推理文庫の「Xの悲劇」を読んでゐて、これはこれでどうかと思ふやうな部分もあるけれども、それは当時の翻訳本全体に云へることだからことさらこれをあげつらふつもりはない。少なくとも「ハゲタカは舞い降りた」の訳者とは雲泥の差だし。
いいものを読まうと思つたら原書にあたるしかない、といふことだらうか。
それともたまたまやつがれの読む本に限つて翻訳がひどいのだらうか。
逆に云ふと、出版翻訳を目指す人のうち、特に推理小説を訳したい人には絶好の機会とも云へる。
だつてね、読んでて頭にきますぜ、ほんと。
あとは売り込む道を模索するだけなんぢやないかな。
そして安心して読めるやうな本を出してくれい。頼むで、ほんま。
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