ほめて育てるといふこと
今は「ほめて育てる」のが主流なのだと思はれる。
人材を育てたいならほめること。ほめねば人は育たぬ。
そんな風潮すらある。
かつては、「ほめて育てる」なんてことは皆無だつた。
みなみな師匠からけなされて、兄弟子から馬鹿にされて育つた。
けなされればいい方だつた。
「見て覚えろ」と云はれて、何も教へてくれない師匠ばかりだつた。
いつの時代の話をしてゐるのか、と問ふ向きもあらう。
実際やつがれもそんな時代のことをよく知つてゐるわけではない。
それに、そんな状態に身をおけるとはとてもではないが思へない。
おそらく、脱落していつた人も多かつたらう。
ほめられて育てば大成した人もゐたかもしれない。
だが、そんな中でちやんと成功した人もゐるわけだ。
当時はそれが当然だつたからだらうか。
やつがれにはさうは思へない。
けなして馬鹿にして無視して育てるその場合、育てられる側の自我が必要だ。
そして、師弟間の信頼関係が大事になる。
さう、おそらく、師弟間にしつかりとした信頼関係さへあれば、ほめて育てる必要などないのだ。
ほめて育てるといふことは、この信頼関係を築く手間を惜しんでゐる。さういふことなのではないだらうか。
さう考へると「ほめて育てる」といふのは実にお手軽なことに思へるのだが如何に。
まあ逆にいへば師匠たる資格のない人間が他人に教へる必要があるのが当世だ、といふ話もあるのだがね。
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