毛糸貧乏
そろそろ毛糸の始末を考へないといけない。
買ひためた毛糸の使ひ道といつてもいい。
おそらく本好きは本を音楽好きはCDをゲーム好きはゲームをつい買つてしまふのではないかと思ふのだが。
その結果読んでも聞いても遊んでもゐないものが山積みになつてゐたりするのではないかとこれまた思ふのだが。
これがあみもの好きになるとたまるものは毛糸になる。
同様にパッチワーク好きは端布が、刺繍好きは刺繍糸や刺繍布が、といふことになるのではなからうか。
料理好きにこれがないだらうと思はれるのは、基本的に食材は傷むものだからだらう。だが、料理好きの場合は調理道具などが山積みになるのかもしれない。
まあ他の趣味を持つ人のことはさておき、自分の場合はとにかく毛糸。
#そしてあまり大きい声では云へないが本と雑誌も。
大抵毛糸を買ふ時は、「これはくつ下用」とか「これはマフラ用」などと決めて買ふ。ヴェスト用やセーター用に買ひもとめた糸もある。
それならばその糸を使ひきるあるいは少なくとも使つて作品を仕上げてから次の糸を買へばいいのだ。
わかつてゐる。それくらゐのことは先刻承知である。
だが、おそらく我が家には一生かかつても使ひきらないんではないかといふくらゐ糸がある(主にレース用の糸)。毛糸に関しては向かう三年くらゐなんにも買はなくてもいいくらゐの量がある。
毛糸がたまる理由のひとつとして、やつがれの手が遅すぎるといふのがある。
編むのが遅いといふことだ。くつ下だと最短で一週間はかかる。セーターだつたら推して知るべしといつたところだ。
またふたつめとして、時間がないといふのもある。
今年から「ほぼ日手帳」に、起床・出発・出勤・退社・帰宅・就寝のそれぞれの時間をつけてゐる。ざつとみたところ、帰宅から就寝までのあひだは三時間から四時間。そのあひだに夕食をとつたり風呂に入つたりその他雑事を片付けたりすると、編む時間はほとんど残らない。
そんなわけで空いてゐるバスや電車を選んで編む時間を作つたりしてゐる。しかしそれも全体で一日一時間あるかどうかといつたところ。
手が遅い人間にはまつたく時間が不足してゐる。
それではなぜ糸を買つてしまふのか。
理由は、単純である。
新しい糸を購入すると束の間幸せな気分になるからである。
とにかく手芸屋に行つて糸を見るのが楽しくて仕方がない。新作でも出やうものなら大変である。
なんとかなつてゐるのは、これでも一応糸の好みにはうるさいからだ。別にいい糸がいいといふのではなくて、「かういふ糸は好き、かういふ糸は嫌い」といふのがあるていどはつきりしてゐるからである。
問題は幸せな気分になるのが「束の間」であるといふことだ。
ずつと幸せなら問題ないのである。買ひためた毛糸を眺めて幸せな気分にひたつてゐられれば次から次へと糸を買ひこむこともあるまい。
また、「こんなものを編みたい」といふのが常に漠然と頭にあるのがいけない。
手が遅いせゐもあると思ふのだが、常に最低でも三つか四つは「こんなものが編みたい」といふのがある。そのうちずつと頭の中にあるものは、新たに発生した「編みたいもの」に一番の座を奪はれやすいといふ傾向が見受けられる。いつまでもいつまでも「こんなものが編みたい」は消へない。
リストでも作つて順番にやらうと思つたこともあつた。だが趣味くらゐはその時の思ひつきであつちを編んだりこつちを編んだりしてもいいんぢやないかといふ気もしてゐる。
毛糸が多すぎるからつて困るのはヲレだけだしな、といふ話もある。
そんなわけで今毛糸を買ふのを控へてゐるのだが。
来月なるとセールがはじまるんだよな。とほほ。
せめてセールにあはせてしまふ場所くらゐは確保したいものなのであつた。
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