色メガネとのつきあひ方
およそ「メディア」といふものに触れる時は、既になんらかの偏見がさしはさまれてゐると考へてみるのは常識であらう。
たとへばニュース番組。どの出来事をとりあげどの出来事は無視するか決めた次点でもう偏見が入つてゐる。
偏見といふことばが悪ければ、「制作者の好み」とでもいはうか。
これは人間がかかはる限り、もうどうしやうもないことだ。
どんなに客観性にすぐれたものであつても、人の手がかかつたものであれば、その人の好みがどこかにでてしまふ。科学論文にしたつてさうだ。
♯なんていふと怒られてしまふかな。
そんなわけで、「報道ステーション」を好んで見てゐる。
この番組の依つて立つところはほかのニュース番組に比べてあきらかである。従つて、この番組でこの問題についてかう取り上げるといふことは、ちやつちやつちやと差し引いて「ああ、かういふことなんだな」といふ理解をするのが容易だからだ。
ほかの「いかにもうちは公正なニュース番組なんですぜ」といつた顔をしたものは時間があれば見る。「報道ステーション」と比べてみて、「ああ、この番組の依つて立つところはかういふ感じなんだな」と思ひながら。
別に「報道ステーション」がすぐれた番組だといつてゐるわけではない。
あくまでもやつがれにとつてニュースを把握しやすい番組である、といふだけである。
だが、世の中の人は必ずしもさうやつてニュース番組を見るわけではないらしい。
いつぞやNHK教育で視聴者代表を何人か募つて「ニュース番組のあり方」といふやうな討論会をやつてゐるのを見たことがあるが、中の一人が「ニュース番組には事実だけを伝へるやう望む」といふやうなことを口角泡を飛ばす勢ひで語つてゐるのを見かけた。
アホちやいまつか。
とはいふものの、世間では新聞やニュース番組で云つてゐることはすべて正しいと信じてゐる人が多いといふ。
親の教育が悪かつたんだらうかなあ。
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