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Monday, 31 January 2005

Jornada 720 再び

ここのところまたぞろ出先でいろいろ打ちたいことがある。

以前は 出先で打ち打ち打ちたい時には Jornada 720 が活躍してゐたのだが。

Air H"カードを解約してしまひ、京ぽんこと AH-K3001V に乗り換へたことでほとんど使はなくなつてしまつた。

これまで Jornada 720 は出先での通信と長文入力に使用してきた。

出先での通信は AH-K3001V でまかなへる。
長文入力は……まあさほどの長文でなければ Tungsten|C でいける。

Tungsten|C の問題はローマ字入力といふことである。

漢字の変換効率ならこれほど気にならなかつたらう。ローマ字入力ははつきり云つて大変にわづらはしい。いつそのこと自分でかな入力ができるやうにするしかないのか、と、考へたこともあつたが、さて、それではどこから手をつけたものやらといつた状態である。

そこでやはり Jornada 720 の復活をはかるか、と考へてゐるところなのであつた。

Jornada 720 の問題は以下の三点。
 1. かさばる
 2. 重い
 3. 通信ができない

Jornada 720 がかさばつて重たいなんてっっ、といふ向きもあらうが、事実だからなあ。確かにあれだけの機能が入つてゐることを考へれば小さくて軽いのかもしれないが、実際毎日持ち歩くことを考へると大きくて重たいのである。
通信ができないのは Air H" カードを解約してしまつたから。AH-K3001V をつなげられれば問題ないんだがなあ。

ちよいと長めの文章を打つのに向いたキーボードがついていて、かな入力ができる小型マシンがないだらうか。
Tungsten|C でかな入力ができれば文句ないんだが。

きつとこんな需要はほかになからうなあ。

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Sunday, 30 January 2005

やつぱりうつかり

やはり今年の大河ドラマの主役は後白河法皇(今週から法皇)だらう。
物語の全体を通して重要な役割だもの。
それになんたつて平幹二郎である。
はつきり云つてその一挙手一投足から目が離せない。まばたきするのも惜しいくらゐに感じる。

それに比べると病床にある清盛なんかはどーも……ま、いつか。

しかしひとつだけ「ま、いつか」で済まされないことがある。
それは主役の衣装が安つぽいことだ。

なにも豪華な衣装を身に着けろ、といふのではない。
今は鞍馬山に起居する身なのだからそれ相応の身なりでいい。

だがそれにしたつてあのめうにぺかぺかした感じの衣装はどうよ。
まるで学芸会か何かで使ふやうな安つぽさぢやあねえか。
あれで五條大橋をやるつもりかね。ははあ。

ま、さういふ衣装が分相応、といふのなら話は別だがね。

さういへば先週は「ひとりでくどすぎる」と思つた白石加代子だつたが、ああして語り手に徹するとそれはそれでいいねえ。相手が受け切れてないことはものすごく気にかかるけれども、まあそれはそれ、だらう。仕方ないもんな、配役を云々しても。

五足はいいねえ。

鬼一美輪は今回限りかの。

平家方の情けない公達の配役は見事。
平家方といへば小松殿もいいし、このあたりは配役に凝つたのかもしれない。

といふわけで、今年はやはりこのまま見続けることであらう。
平幹出されちやあね。ずるいよね、NHKもやることが(^_^;)。

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Saturday, 29 January 2005

走れメルス

中村屋中村勘太郎が最初のせりふを口にし出した途端、時間があのころにもどる。
あのころ、劇団夢の遊眠社をはじめて見に行つたころに。

遊眠社つてかうだつたよなあ。ものすごい勢ひでせりふが流れていつて、でもなにを云つてゐるのやらさつぱりわからなくて、だけど時々わかつてそれがまたおもしろい、といふやうな。
そして見てゐる最中はとてもおもしろいのに、最後はなんとなくしんみりとかなしい。
おもしろうてやがてかなしき芝居かなつてかういふことなんだらうか。

客席にはかなりお年を召した方の姿がちらほら見られた。
隣の席の人も奥さんと孫か娘かの三人連れで、人品卑しからぬ老紳士であつた。
およそ野田秀樹の芝居が好きとか古田新太を見に来たとか河原雅彦の贔屓とか深津絵里のファンといつたやうすではない。
おそらく中村屋の贔屓筋なんだらうなあ。
さういへば目の前にも足弱の老婦人がゐたつけ。
贔屓つて大変だなあ。

とはいふものの、件の老紳士、古田新太に異様にウケてゐて、一気に親近感がたかまつたりした(^_^;)。やつぱりわかる人にはわかるんだな、あのよさが。

ところで深津絵里である。
最初、「キル」に出ると聞いたときは、「……でも、深津絵里つて野田声ぢやないよな」と、思つてゐた。
「野田声」とはやつがれが勝手に命名したもので、正式名称は「野田秀樹好み(と思はれる)の女優の声」である。
毬谷友子なんかが野田声なんぢやないかなあ、と、これまた勝手に想像してゐる。あるいは「キル」の初演でシルクを演じた羽野晶紀。
大竹しのぶは女優としてはすばらしいが、如何せん野田声ではなかつた。
そして、テレビで見るかぎり、深津絵里も野田声ではないだらうと思つてゐた。
しかし「キル」を見てびつくり。
ああ、かういふ声も出るんだね、深津絵里。
今回もテレビでは絶対聞かせないやうな野田声で喋りまくる深津絵里なのだつた。

もしかしたら「小指の思ひ出」や「さんだいめ りちやーど」の再演も見られるかもしれない。
それがほんたうになつたらこんなにうれしいことはない。

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Friday, 28 January 2005

あみくるめあみぐるみ

火曜日は「毛糸だま」の発売日であつた。
発売日当日に手にしてはゐたのだが。

うーん、なぜか編み気をそそられる作品がない。
新作糸にもそれほど食指を動かすやうなものがない。

思ふに。
もう少しこー着るもの以外の作品があつたらどうなのかなあ、といふ気がする。
有態にいへば小物がも少し載つてゐるといいんぢやないかなあ。
帽子とかかばんとか、これからの季節はちよいとアレかもしれないがスカーフみたやうなマフラとか手袋とか。
そしてくつ下とか。

春号はどうも着るものに偏つてゐるやうで、「それだけ大作になつちやふと手が出ないよ」といふのが多いやうに思ふのである。

まあ「大作に手が出ない」やつがれのやうな軟弱者は「毛糸だま」を購入してはいけないといふことなのかもしれない。大人しく季節になると出るこもの専用のあみものの本を待て、といふことなのだらう。

それにしても最近またぞろあみぐるみに心惹かれたりしてゐる。
「あみねこのいる生活」が出たからかもしれない。

「あみねこのいる生活」はねこやまさんの Webページにずつと紹介されてゐた、ご自身で編んだかぎ針編みのあみぐるみの猫に関する本、だと思ふ(^_^;)。まだ実物を見てゐないのでなんともいへないが。ねこやまさんの Web ページではご自身で編んだ猫の写真を載せてたり(そして里親を探したり)、編み方を公開してたりする。
なんともくつたりとかはいい猫たちを見たくて通つてゐるのだが、なぜか里親にはなれない。人気があつてすぐ親が決まつてしまふからである。
それぢやあ自分で編まうかとも思つたが、ねこやまさんのやうにいい表情の猫を編む自身がない。

ああ、この本もきつと買つちやふんだらうな、自分で編むとは思へないけれど。

この週末はあみものとチェス関連の洋書も到着する予定である。むむむむむ。

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Thursday, 27 January 2005

六十年

日参してゐる海外(主に米・加・英)の weblog に、Auschwitz といふ地名がたくさん出てくる今日は 1/27。

別段さういふ weblog を見てゐるわけではない。大抵はあみもの関連の weblog で、あとは IT といふのもなんだがさうしたことに関連した記事を載せる weblog に、出てくるのである。

アウシュヴィッツとビルケナウに連合軍(旧ソ連軍)が到着したのが今から六十年前のことなのださうな。

みな一様に「忘れるな」といふ。
なにがあつたかだけでなく、今後も同じやうなことが繰り返される可能性がないとはいへないことを。

……まあ確かにさうなのだが。

どちらかといふとやつがれの感想は「かういふことをなんの衒ひもなく書ける人がうらやましい」といふことだ。
なぜ自分はさういふ人間になれなかつたのだらう、と、そつちの方が先に来てしまふ。

同じやうなことを書かうとすると、必ず自分のことを「偽善者」と呼ぶ自分がゐる。
「偽善者」と呼ぶのは容易く、さうでないことを証明することはおそらく不可能であらう。
ま、自意識過剰ともいふね。

その一方で、ほんたうになんの衒ひもなくさういふことが書けてしまふ人間を恐ろしいとも思ふのである。

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Wednesday, 26 January 2005

毛糸貧乏

そろそろ毛糸の始末を考へないといけない。
買ひためた毛糸の使ひ道といつてもいい。

おそらく本好きは本を音楽好きはCDをゲーム好きはゲームをつい買つてしまふのではないかと思ふのだが。
その結果読んでも聞いても遊んでもゐないものが山積みになつてゐたりするのではないかとこれまた思ふのだが。

これがあみもの好きになるとたまるものは毛糸になる。
同様にパッチワーク好きは端布が、刺繍好きは刺繍糸や刺繍布が、といふことになるのではなからうか。

料理好きにこれがないだらうと思はれるのは、基本的に食材は傷むものだからだらう。だが、料理好きの場合は調理道具などが山積みになるのかもしれない。

まあ他の趣味を持つ人のことはさておき、自分の場合はとにかく毛糸。
#そしてあまり大きい声では云へないが本と雑誌も。

大抵毛糸を買ふ時は、「これはくつ下用」とか「これはマフラ用」などと決めて買ふ。ヴェスト用やセーター用に買ひもとめた糸もある。
それならばその糸を使ひきるあるいは少なくとも使つて作品を仕上げてから次の糸を買へばいいのだ。

わかつてゐる。それくらゐのことは先刻承知である。

だが、おそらく我が家には一生かかつても使ひきらないんではないかといふくらゐ糸がある(主にレース用の糸)。毛糸に関しては向かう三年くらゐなんにも買はなくてもいいくらゐの量がある。

毛糸がたまる理由のひとつとして、やつがれの手が遅すぎるといふのがある。
編むのが遅いといふことだ。くつ下だと最短で一週間はかかる。セーターだつたら推して知るべしといつたところだ。

またふたつめとして、時間がないといふのもある。
今年から「ほぼ日手帳」に、起床・出発・出勤・退社・帰宅・就寝のそれぞれの時間をつけてゐる。ざつとみたところ、帰宅から就寝までのあひだは三時間から四時間。そのあひだに夕食をとつたり風呂に入つたりその他雑事を片付けたりすると、編む時間はほとんど残らない。
そんなわけで空いてゐるバスや電車を選んで編む時間を作つたりしてゐる。しかしそれも全体で一日一時間あるかどうかといつたところ。
手が遅い人間にはまつたく時間が不足してゐる。

それではなぜ糸を買つてしまふのか。

理由は、単純である。
新しい糸を購入すると束の間幸せな気分になるからである。
とにかく手芸屋に行つて糸を見るのが楽しくて仕方がない。新作でも出やうものなら大変である。
なんとかなつてゐるのは、これでも一応糸の好みにはうるさいからだ。別にいい糸がいいといふのではなくて、「かういふ糸は好き、かういふ糸は嫌い」といふのがあるていどはつきりしてゐるからである。

問題は幸せな気分になるのが「束の間」であるといふことだ。
ずつと幸せなら問題ないのである。買ひためた毛糸を眺めて幸せな気分にひたつてゐられれば次から次へと糸を買ひこむこともあるまい。

また、「こんなものを編みたい」といふのが常に漠然と頭にあるのがいけない。
手が遅いせゐもあると思ふのだが、常に最低でも三つか四つは「こんなものが編みたい」といふのがある。そのうちずつと頭の中にあるものは、新たに発生した「編みたいもの」に一番の座を奪はれやすいといふ傾向が見受けられる。いつまでもいつまでも「こんなものが編みたい」は消へない。
リストでも作つて順番にやらうと思つたこともあつた。だが趣味くらゐはその時の思ひつきであつちを編んだりこつちを編んだりしてもいいんぢやないかといふ気もしてゐる。

毛糸が多すぎるからつて困るのはヲレだけだしな、といふ話もある。

そんなわけで今毛糸を買ふのを控へてゐるのだが。
来月なるとセールがはじまるんだよな。とほほ。
せめてセールにあはせてしまふ場所くらゐは確保したいものなのであつた。

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Tuesday, 25 January 2005

帽子完成

白樺編みといひバスケット編みといひあじろ編みといふ編み方の帽子を仕上げる。
英語だと entrelac かな。

この編み方をする時は表記にいつも困る。どれが一番一般的なんだらうか。あるいはどれが一番わかりやすからうか。

たとへば「あみもの」にも大変に困つてゐる。「あみもの」「編み物」「編物」とかんたんに考へただけでも表記方法が三通りもある。実際にはもつとあらうし、「ニット」なんてな呼び方もある。
一応カテゴリは「あみもの」にして、本文に「編み物」「編物」といふ表記を入れるやうにしてゐるのだが……考へ過ぎかもな。

しかしかうして困るといふことは検索時にも困るといふことだ。
むう。うまくいかんのう。

「あみもの」はそれでも検索をかけてほかのものが出てくることは稀なのでまだいい。
困るのは「レース」である。
「レース」で検索をかけると、大抵別のものが出てくる。「ヘアピンレース」で検索をかけやうものなら、もう絶対別のものの方が上位に出てくる。
これつてなんともならないよな。むう。

Entrelac Knitted Cap

ところで今回仕上げた帽子は、「ヨーロッパの手編み」の表紙に出てゐるものである。パピーのバーリといふ糸を八号針で編んだ。手がゆるすぎたらしくものすごく大きくなつてしまつたやうに感じたが、かぶつてみるとさうでもない。かぶり口は一目ゴム編みをしてゴム編み部分を折り返して裏でまつることになつてゐる。これでかなりぴつたりくるやうになつてゐるのだらう。

毛糸は表紙の色ではなくて、紺色と紫色の渋い段染めにした。編んでる最中は「表紙の糸の方が楽しかつたかも」と思つたが、できあがつてみると悪くない。この色の方がやつがれには合ふやうな気がするし、普段使つてゐるマフラとも合ふやうだ。

バーリの編地はかなりちくちくするが、洗つてみたらだいぶ落ち着くやうになつた。
これならあまつた毛糸でマフラを編めるかな。

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Monday, 24 January 2005

うつかりし過ぎ

ふたたびうつかりして。
夕べは平幹二郎が出るとは知らなかつた。
でも鬼一法眼が出るし、子役・牛若は今回までかもしれないから、と見たのが正解。

いやはや、平幹。「平幹」呼ばはりで大変申し訳ないが、やつぱり平幹。
最高でせう。ああ、やつぱり見逃せない大河ドラマ。
だつてだつて、平幹の後白河上皇(現在はさう)、最高だものっっ。

ああ、でもやつぱりもちつと手抜かないと清盛、ついてこられてないやうな気がするなあ。あはれよな。
もう後白河上皇が出てるとそつちにばつかり視線が行つてしまつて清盛なんか「え、今、出てたの?」つてなことになつちやふもんなあ。
そもそも、渡哲也の清盛つてどーもこー貫禄がないつてーかー、背後にボスがゐるんぢやないかつてーかー、さういふ感じがする。

ま、いいよ、主役まはりは学芸会でも。大河ドラマの常だから。

そんなわけで、鬼一法眼登場。
うーん、鬼一法眼つてーと松嶋屋が死ぬ前にやつたのが印象に強くてな。「鬼一法眼三略巻」から普段はめつたに出ない奥庭だか裏庭だかの場面。「菊畑」に続く場面だと思ふ。多分。
それと比べるとだいぶやはらかい印象のある鬼一法眼である。まああのお芝居の鬼一は兵法家で、大河のは……えー、なんなんだらう。修験者? ともチトちがふやうな気がするなあ。
しかし、子役・牛若としか一緒に出ないかと思つたら次週も出るのか。こりやまた楽しみ。

白石加代子。ひとりで怪談やつてるぜ。怖いぜ。なんであんなに怖いんだらう。別段さういふ場面でもなからうに。闇を感じたぜ。まあ夜の場面だから当然といへばさうかも。

稲森いずみの常磐御前、先週はどうもと書いたが、今週はよかつた。なにがちがふのか、気づきもした。それは衣装の色。先週は緑色つぽい着物だつたのだが、これがどうもあまりうつらないやうなのである。今週は臙脂といふか赤紫といふか、さういふやうな色合ひのお着物でたいへんによかつた。もしかしたら今後出番は回想場面だけになるのかもしれないが、そのときは是非今週の出で立ちで出てきてほしいものである。

そして。
やはり子役・牛若は今日までらしい(/_;)。
なーんかもう見る気失せがちである。
来週から弁慶とは認めたくないやうな弁慶が出るらしいし。
ほら、ヲレにとつて弁慶つてドラマ「武蔵坊弁慶」に出てきた播磨屋の弁慶だから。
あれを超える弁慶はチトないと思ふのでな。
それに予告で見た限りでは五條大橋の場面、安つぽすぎるし。

などとて「平幹平幹」とか云ひながら来週もうつかりしてるに三千点。

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Sunday, 23 January 2005

よき芝居 悪しき客席

そんなわけで昨日は歌舞伎座夜の部を見に行つた。

上京するついでに丸善丸の内本店に寄つてみたら、昨日一日だけで金子國義、羽生善治、ダレン・シャンのサイン会があるといふ。
金子國義のサインと羽生二冠の揮毫ならヲレもほしいよ、と思つたが、目的がちがふのでそのままその場を後にする。もつとも羽生二冠に関してはやつがれが丸善に到着した時点で既に整理券がなくなつてゐた模様。
都会つてこんなものなんだらうか。むむむむむ。

さて。
肝心の芝居だが、なんとなくよい感じで演目が並んでゐる。
なんといつても一幕目・中幕・二幕目といつた組み合はせが大変よろしい。
#ちなみに、と書くのもなんだが「ヒトマクメ・ナカマク・フタマクメ」と読む。
#と、三島が書いてゐた。

昨今になくよいバランスだと思ふ。

昨日は萬屋中村時蔵がよかつた。
まづ一幕目の雲の絶間姫。こつてりした感じがたまらない。また、最後引つ込む前に鳴神上人のゐる方にむかつて謝るやうに手を合はせる場面があるのだが、これがなんとも真摯な感じでよい。あなたに恨みはなけねども、といつた感じが、ね。
萬屋はもともとかういふちよいと古風な感じの役をやると滅法よかつたりする。
いろいろあつて役や芝居にめぐまれない感もあつたが、かういふのを見ると安心する。
また二幕目の女房お浜。これも以前に見たことのある役だが、ちよいと品があり過ぎる気もするけれども、世話焼きな感じでなんともよい。錦之介存命中は錦之介相手にかういふ女房役をやつてゐたと記憶するが、それがここにきて生きてきてゐるんだといいなあ。

それと中幕。「土蜘蛛」。
播磨屋中村吉右衛門はまづ出からしてよい。丁度揚幕から役者の出入りするのが見える位置に座つてゐたのだが、気配を殺して出てくるさまが実にいい。得体の知れぬとはかういふ感じではなからうか。
また頼光がいい。神谷町。なんとも品があつてねえ。やはり御大将はかくあるべし。頼光しかり義経しかり。
ちよいと蜘蛛の糸を巻くのに手間取つてゐる後見もゐたやうだが、ひとまづ満足の一幕。

それから意外と……などといつては失礼だらうか……「魚屋宗五郎」がよかつた。高麗屋初役で話題の一幕だが、宗五郎はこれくらい野暮つたい方がいいかも、と思つた。妹を無実の罪で殺された兄のかなしさがより出るやうに感じたからである。魚屋だからつて粋で鯔背である必要はないんぢやないかな。いや、まあ今まで見てきた宗五郎がさうだつたかどうかは……ちよいと記憶があやしいが(^_^;)。

……と、できるだけいいと感じたこと、好きだなあと思つたことを書いてみたが。

どうにも客席の感じが悪くて、なあ。
背後に何人かでいい年の男性が連れ立つて来てゐたのだが。
うーん、やつぱり年取つてからはじめての芝居見物つて問題があるのかも。ちいさいころからちやんと躾られないと観劇つてむづかしいのかも。
例によつて一階一等席から声かけてる輩もゐるしさ。まつたく声かけたかつたら三階か幕見に行つてくんな。

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Saturday, 22 January 2005

Only one より Everyone

最近、なんとやらいふ団体の「オンリーワンがどうかう」といふ歌詞の歌を聞いた。
一昨年流行した歌だといふ。
うはさだけは聞いてゐたので「ああ、これがそれか」と思つた。

……昨今の流行歌といふのはみなかういふ感じなんだよなあ。何百万枚売れた、なぞと話題になるが、終ぞ聞いたことはない。題名も知らなければさはりの部分もわからない。
昔は八十万枚売れれば老若男女その歌を知らないものはなかつたし、近所のバアさんの話によれば、バアさんが小学生の時は学校から「お富さんを歌はないやうに」となんと「お富さん禁止令」まで出たのださうな。

やつぱり禁止されるくらゐ流行らなきやウソだよね。

もとい。
話がそれてしまつた。

それで思つたのだが。
「Only one より Everyone だよなあ」といふのがやつがれの感想である。

「え、なに云つてんの?」といふ向きもあらう。
「これからの時代、Only one だよ」といふ向きもあらう。
ほぼ日手帳にも「ONLY IS NOT LONELY」と記されてゐる。

でもさう云ふ人はきつとこんな体験をしたことがないからだ。

想像してみてほしい。
観客が二千人から入る劇場の客席にゐるところを。
そして、客席万来の拍手の中にゐるところを。
でも自分は全然何がいいのかわからず、なんでまはりがみんな感動して拍手してゐるのかわからない。

そんな場面を頭の中に描いてみてほしい。
この時、自分はまさに Only one の状態である。いや、もちろん二千人もゐれば中には一人くらゐ同じやうに感じてゐる人もゐるかもしれないし、役者やスタッフをあはせればその倍以上の人数がその場にゐてもをかしかない。さうした相手役やスタッフの中には「くだんねー芝居やつてんぜ」とか思つてる人もゐるかもしれない。

だが、どうみても劇場全体に拍手の嵐鳴り止まぬ中、ひとり無風状態にゐるとしか思へない。

これ、ねえ、こたへますよ。

高い木戸銭払つてこれだよ、もう禁断の掛け声、小田急線東海大学前駅の前名の音読みを口にしてしまはうかなつてな時に、だ。
たれもヲレを支持してくれる客がゐない。
つらいよねえ。

こんな時、ほんたうに「ああ、ヲレは Only one でなくていいっっ。Everyone になりたいっっ」と思ふ。心底思ふ。
だつて Everyone の方が絶対楽しいもの。愉快だもの。感動できるもの。

どうせ、拍手できないのはつまらない理由からなのである。やつがれの場合、大抵は舞台にゐる俳優と呼吸が合はないことが多い。たとへば愁嘆場で、こちらとしてはもちつとためてほしいのに、ためもなにもなくわーっと感情を爆発させる演技をするやうな俳優とは合はない。しかもためない奴に限つていつまでもいつまでもうぢうぢした演技をしやがる(をつと失礼。でもこれほんたうの話)。
こちらはもう出鼻をくじかれてゐるわけだから早く終はつてほしいのに、いつまでもいつまでも泣きの演技を続けられたらどういふ気持ちになるか、おわかりいただけると思ふ。

だがこんな時、ちやんと俳優のリズムに乗れてゐれば全然問題ないではないか。

ああ、なぜヲレは Everyone ぢやないんだっっ。

まあねえ。
「人類皆兄弟」とか云はれると、「「皆」つてたれだよ」とか思つてしまふ人間は、なかなか Everyone になるのはむづかしいかもしれないねえ。

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Friday, 21 January 2005

お茶の国の人だもの

お茶が売れてゐるといふ。
お茶の葉ではなくて、清涼飲料水のお茶だ。
すでにコーヒーのシェアを上回るほどの売れ行きだといふ。

あたりまへだよなあ。
だつて飲んだ後の感じがちがふもの。

なんぞと考へてゐたら、どうも世の中の人はさういふ受け取り方をしないやうだ。
たまたま聞いてゐたラジオでは、「みんなダイエットに夢中ですからね」といふではないか。

確かに。
コーヒー飲料もまたジュースなども目を閉じて飲めば砂糖水とかはらないといふ話もある。

だが茶が選ばれる理由はそれだけなんだらうか。

やつがれがお茶にする理由は、以下の三点である。
 一 甘くない
 二 飲んだ後ヘンな感じが残らない。または残つてもわづか。
 三 自分が食べる大抵の食事と合ふ

缶コーヒーだと飲んだ後がなんとなくべたつとする。これはコーヒーのせゐではなくて中に入つてゐる甘味料だとか乳脂肪分のせゐだらうとは思ふのだが。しかしだからといつて缶のブラックコーヒーを飲みたいかといふとさうは思はない。

まあラジオのコメンテータ自身は炭酸飲料を好むと云つてゐたので、そこから出た感想なのかもしれない。

などと打ちながらも「お~いお茶」を飲んでゐるやつがれである。

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Thursday, 20 January 2005

いつまで読みつづけられるだらう

ここのところ昔のやうに橋本治と中野翠を交互に読んでゐる。

やつと中野翠の新刊「ここに幸あり」を amazon で購入した。去年はチト別だが(地獄だつたのでね)、例年正月休みには中野翠の新刊を読んでゐる。今年はかなり出遅れてしまつた。

サンデー毎日に連載されてゐるコラムを編んだものなので、読んでゐると「ああ、去年のこのころ、こんなことあつたな」とか「こんなことあつたつけ」などと思ふ。これが正月気分になんとなくふさはしい感じがするのだつた。

ところで、中野翠といへば「ウテナさん祝電です」で「ブスは嫌い」などとぶちあげてゐたといふ印象が強い。また、サンデー毎日の連載がはじまつた当初はなにかと今でいふ「ホームレス」への仲間意識といふか「いつ自分もああなるかわからない」といふやうな記述が多くて、そぞろ共感をそそられたものだつた。

なにを隠さうやつがれも、通勤電車に揺られ県境の大きな橋にかかるたびに「……ああ、もう自分の居場所はないかもしれない」と思ふのである。橋の下は青いテントやビニールシートで一杯で、今更新参者が入る場所はなささうだからだ。そして、もう入る場所はないと思つてゐたところにテントが増えてゐたりする。毎朝そんなことを考へながら職場にむかつてゐるといふわけだ。

しかし、人間、いくつになつても成長するものである。
いはゆる「ホームレス」に関する記述はいつしかまつたく見られなくなつた。

それでも読んでゐるのはなぜだらう。
映画趣味もあふとは思へないし、中村屋についても中野翠ほど手放しで誉める趣味はない。中野翠ご贔屓の笠智衆なぞみづからは嫌いだよ、だし……。

だが、パソコンや携帯電話に対する嫌悪感はわかるし、好きな映画はともかく嫌いな映画は似てゐる。
このあたりが読みつづけてゐる理由かもしれない。

さて。
今回驚いたのは、今の若い人がヴィスコンティを知らないといふこと。特に二十代の人はよほどの映画好きでないと知らないのだといふ。
え? ほんたう?
ぢやあヲレはなんなんだよ。去年は一回も映画館に足を運ばなかつたが、ヴィスコンティの映画なら見たことあるぜ。少なくとも「ヴェニスに死す」は大スクリーンで見たし、その他はTVの名画劇場で見た。今回出てくる「山猫」なんかも見たぞ。
……なるほど、やつがれが近頃映画館に行かない所以はこのあたりにありさうだ。

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Wednesday, 19 January 2005

会社人失格

社会人としてはともかく会社人としては失格のやつがれである。
それはもうせんわかつてゐたことであつた。

たとへば、「所属する」といふことに異様に警戒を抱く。

「個人情報」なんてことばを使ふことがなかつたやうな時代から自分の名前・生年月日・住所・電話番号などが余人に知られることを厭ふてゐた。だから懸賞なんぞにはほとんど応募したことがないし、通学定期を購入する時などでも虚偽の電話番号を書くやうなこどもだつた。

どこかに「所属する」といふことはあるていどさうした個人情報を所属先に公開する必要がある。
これがたまらなくいやだ。
家で仕事をするならまだしもさうではないのだからどこに住んでいやうがかまふまいに。

確かに。
身元不詳のものを雇ふわけにはいかないといふ理屈はわかる。
わかるから余計にいやなのである。

おそらくこの問題は freelance で働くにしてもついてまはることだらう。

そしてもつといへば、生きてゐる限りは市町村に都道府県に国に所属しないわけにはいかない。

あとは死ぬしかないのか。死ねば「所属すること」から自由になれるのか。
死んでみなけりやわからない。

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Tuesday, 18 January 2005

うそつきが好きよ

以前のエントリにも書いたやうに、異星人の仕立て屋さんが好きである。「スタートレック ディープスペースナイン」に出てくるカーデシア星人・ガラックのことだ。
好きな理由も以前述べた。「きみの話はうそばかりぢやないか。いつたいほんたうのことなんてあるのかい」と訊かれて「すべてほんたうですよ。とくにうそがね」といふあたりにまゐつてしまつてゐるあたり、病膏肓に入るとはこのことかと時々思つたりする。

さて。
そんな「うそつき好き」にはたまらない本を読んだ。
橋本治の「嘘つき映画館 シネマほらセット」である。
もう全篇これうそ、といふ大変すばらしい本だ。
#いや、作者あとがきにもあるけれども、ほんとのことも書いてあります。
#要所要所に。

橋本治の頭の中にしか存在しない数々の映画を紹介した書である。ハリウッド版「七人の侍パートII」やらオードリー・ヘップバーン主演映画「昼下がりの情事」や「麗しのサブリナ」を滝沢秀明主演でリメイクした映画やら白石加代子主演で月影先生にキャサリン・ヘップバーンといふ「ガラスの仮面」やらピーター・フォンダ主演で「寅さん」化した「サイコ」シリーズやら……。とにかく「こんな映画があつたら絶対見たいっっ」といふやうな架空の作品目白押し。
「バトルロワイヤル PTA」なんて、ほんと、見てみたいよなあ。こんな邦画ならヲレも見るよ。

さう、やつがれは映画をほとんど見ない。去年は結局一度も映画館に足を運ぶことはなかつた。
その前は週一くらゐの割合で映画館に通つてゐた時期が二度ほどある。
なんで見なくなつたか、といふと……うーん、「女優をうつくしくうつす」映画がなくなつたから、かなあ。こどものころTVの名画劇場で「逢引」を見た時、主演の女優さんは決して美女ではなかつたが、カメラが可能な限り彼女をうつくしくうつさうとしてゐたことに感銘を受けて以来、「やつぱ主演女優はきれいにうつさなきやなー」派なのである。ちなみに「エイリアン」のリプリーはうつくしくうつつてると思ふのですが、あなたどう思ひますか?

それはさておき。
橋本治には「アストロモモンガ」といふ本もある。これは前世紀末に出版されたもので、まあいはゆる占ひの本である。一見したところは。
内容はといふと、全篇口からでまかせといはうか筆からでまかせの書なのであるが……作者によると「予言があたつてゐてこはい」部分もあるのださうな。
この本も好きで好きで時々ぱらりとめくつてしまふ。

「うそつきが好きよ」なんぞといふ人は、なんぞといふ意見もあるのだが(つてヲレの意見だがね)、それでもかういふうそなら大歓迎だ。

それにしても、やつてくれるなあ、橋本治。

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Monday, 17 January 2005

へびおとこ

最近好んでスネークマンショーを聞いてゐる。

はじめて聞いたのは「愛の戦場」だつたと思ふ。
戦場で銃弾に倒れた兵士にむかつて現場のアナウンサが、「お元気ですか~?」「戦争、お好きですか~?」「死ぬの、怖いですか~?」とやらかすアレである。
ラジオを聞いてゐたらたまたま流れてきたのがこれだつた。

当時やつがれにはCDやレコードの類を買ふといふ習慣がなかつたので、ラジオから録音して聞いていた。

ところで。
たま~に飲み会などでスネークマンショーの話をすると、なぜか同世代の人間はのつてこない。

 一 スネークマンショーを知らない
 二 知つてゐる自分がはづかしい

のどちらかなのかなあ、と思つたりもするのだが、五歳から十歳くらゐ年上の人間はのつてきてくれるので、やはり一が正しいのだらう。
考へてみれば、やつがれ自身、スネークマンショーは好きだが YMO に関してはそれほど思ひ入れはないので、世代がちよこつとズレてゐるのかもしれない。
#とはいふものの、やつがれ、三十年ばかり遅く生まれて参りましたのでな。
#あまり世代論とは合致しないか、と。

もつたいないよなあ、スネークマンショーを知らないなんて。

まあ一緒に飲みに行く相手(大抵は仕事仲間)が悪いのかもしれないが。

さういへばモンティ・パイソンで盛り上がることもないなあ。
一度盛り上がつてみたいものである。

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Sunday, 16 January 2005

うつかりして

平幹も出ないのに大河ドラマを見てしまふ。

……先週は「とつてもきれい」と思つた常盤御前だつたが。
なんか今週は物足りない感じが。いや、うつくしいのはうつくしいのだが、なんとなく迫力が足りないといふか。まあ高貴の出とかさういふ扱ひぢやないからこれでいいのかな。
うーん、先週、「義経」見たあとで時代劇専門チャンネルで「徳川家康」を見てしまつたせゐだらうか。いや~、淀の方様が夏目雅子だつたのだよ。夏目雅子、お市の方もやつてたよな、なんかの大河ドラマで。いや~、やはりあの母子はああでないと。

「徳川家康」もかつての大河ドラマで尾上辰之助(今の松緑の父、な)が伊達政宗だつたりするアレ。つて書いてもわからないな。家康は滝田栄。確か役所広司の織田信長がとても好評だつた大河ドラマである。多分。
内容自体は「……家康つてこんな人?」と首をかしげてしまふことしきり。谷隼人の大野修理がなかなかいい役なのだが、そのせゐか若林豪の真田幸村がわりをくつちやつてるやうな感じだつた。うむ。木村長門守は加納竜(確か)。幸村よりもつとわりをくつてゐる感じが……。

それで思つたのだが、もうこの時から大河ドラマつて「主役まはりはどーもこー」な作りだつたんだな、といふこと。……つてこれつていつ放映されたんだらう。

もとい。
心配してゐた蛭子さんの一条大蔵卿もそんなに悪くなかつたし。
だつて一条大蔵卿はやつがれの心の師なんですよ。「命長成気も長成」、「鼻の下の長成卿」ですよ。まあ一条大蔵卿が師なんぞといふ輩はそんなにゐないのかもしれないけれども。

あと、小松殿。やつぱりいいんぢやないかな。配役の妙といふアレかもしれない。

北原有起哉、かあ。あれ、字、あつてるかな。今後も出てくるのだらうなあ。見ろといふことだらうか。

ところで次週はいよいよ鬼一法眼の登場と相成るわけだが……出番はこの一回だけだらうか。願はくば子役・牛若と一緒に出てほしいなあ。

……つて子役・牛若は来週まで? え~、もちつとなんとかならなかつたのか。
それともこれつて大人役にかはつた時の衝撃を少しでもやはらげやうといふ配慮みたやうなもの?

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Saturday, 15 January 2005

ミトン顛末記その後

Magnificent Mittens がすすまない。
全然編めない。

まあ、昨日のエントリにあるやうに年末からこの方ずつと問題を抱へてゐてそれどころではなかつたといふ話もあるのだが、それにしてもこのままでは寒いうちに仕上がることはなささうだ。
むう。困つた。

その一方で帽子もほしい。
寄る年波には勝てず、頭髪がさみしいことになつてゐる。
木枯らしが頭蓋骨にしみいるのである。
去年編んだ毛糸の帽子があるのだが、これは耳まで隠れない。
うーん、ここはちよつと大きめの cowl でも編みたいなあ。
これなんかよささうなんだが。
ミラノツィードが何玉かあるのでそれで編んでみやうかなあ。

いづれにしても寒いうちになんとかしなければならない。
まづはミトンかとも思ふのだが。
うーん、ここは編込み模様なしの方向で行かうかなあ。いや「なし」ではさみしいし、今年の目標からも遠 ざかつてしまふのでちよつとは入れることにしやうか。

悩む前に編めっっっ。
そんな感じである。

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Friday, 14 January 2005

ガウス分布

世の中には「ガウス分布」といふものがある。
俗に「正規分布」ともいふ。
どんなものかは知らない人でも、グラフくらゐは見たことがあるかもしれない。
平均値を真ん中に取つた釣り鐘型のグラフである。

いきなりなんの話だ、と思はれるかもしれない。
実は職場で年末からずつと一つの問題に取り組んでゐた。
どんなに調べてもどんなに見返してもなにが悪いのかちいともわからない。
そのうち、なんだかわからないが「二次元のガウス分布」といふのが出てきた。
……統計学なんてわからないよ。

だが、ひよつとしたらここから解決の糸口がつかめるかもしれないと思ひ、まさに「藁にもすがる思ひ」で懸命に調べた。
しかし所詮は基礎的な知識に乏しいやつがれがさうさう簡単にすべてをのみこめるわけがなかつた。

夕べ、原因が判明した。
ただの careless miss、すなはち「ぽか」だつた。

……ガウス分布、とつぶやくやつがれがゐた。

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Thursday, 13 January 2005

色メガネとのつきあひ方

およそ「メディア」といふものに触れる時は、既になんらかの偏見がさしはさまれてゐると考へてみるのは常識であらう。
たとへばニュース番組。どの出来事をとりあげどの出来事は無視するか決めた次点でもう偏見が入つてゐる。

偏見といふことばが悪ければ、「制作者の好み」とでもいはうか。

これは人間がかかはる限り、もうどうしやうもないことだ。
どんなに客観性にすぐれたものであつても、人の手がかかつたものであれば、その人の好みがどこかにでてしまふ。科学論文にしたつてさうだ。
♯なんていふと怒られてしまふかな。

そんなわけで、「報道ステーション」を好んで見てゐる。
この番組の依つて立つところはほかのニュース番組に比べてあきらかである。従つて、この番組でこの問題についてかう取り上げるといふことは、ちやつちやつちやと差し引いて「ああ、かういふことなんだな」といふ理解をするのが容易だからだ。
ほかの「いかにもうちは公正なニュース番組なんですぜ」といつた顔をしたものは時間があれば見る。「報道ステーション」と比べてみて、「ああ、この番組の依つて立つところはかういふ感じなんだな」と思ひながら。

別に「報道ステーション」がすぐれた番組だといつてゐるわけではない。
あくまでもやつがれにとつてニュースを把握しやすい番組である、といふだけである。

だが、世の中の人は必ずしもさうやつてニュース番組を見るわけではないらしい。
いつぞやNHK教育で視聴者代表を何人か募つて「ニュース番組のあり方」といふやうな討論会をやつてゐるのを見たことがあるが、中の一人が「ニュース番組には事実だけを伝へるやう望む」といふやうなことを口角泡を飛ばす勢ひで語つてゐるのを見かけた。
アホちやいまつか。

とはいふものの、世間では新聞やニュース番組で云つてゐることはすべて正しいと信じてゐる人が多いといふ。
親の教育が悪かつたんだらうかなあ。

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Wednesday, 12 January 2005

カスパロフとお近づきに

カスパロフの本がやつてきた。
_My Great Predecessors Part I_ である。

チェスがわからない人間が読んでおもしろいのか。
これが今回の挑戦課題だ。

将棋や囲碁の観戦記は読んだことがある。将棋の名人戦や竜王戦の観戦記は毎年一冊の本にまとめられるが、これも買つたことがある。
観戦記といふのは、これが案外おもしろいものである。
「将棋世界」などでも、観戦記におもしろいものがあると残り記事の大半はわからないくせに購入してゐることもたびたびだ。

指せも打てもしないくせに観戦記がおもしろいのは、野球や蹴球がわからなくてもうまい人に解説してもらふとおもしろく見られるのと似てゐる。
また、野球や蹴球などで、名選手たちがすばらしい form ですばらしい技をくりだしてゐることは、そのスポーツがわからなくてもあるていどは堪能できる。

囲碁や将棋にもさういふところがあつて、たとへば一目見た時に盤面のやうすがうつくしい、なんてなことがある。
盤面はうつくしければいいといふものではないけれども、まあさういふ楽しみ方もあるといふところだ
♯といふよりは、やつがれはさういふ楽しみ方しかできない。
♯ゲームをわかつてゐないからである。

将棋や囲碁がさうならば、チェスも同様のはず。
といふわけで、読み始めてみたところ。

まづ、文章が平易で読みやすい。これ、重要。
そして、各棋士が、「この時期世界はこれこれかういふ情勢であつたので、かういふ棋士が出てきた」といふやうに紹介されてゐるのがおもしろい。スターリンの時代・フルシチョフの時代・ブレジネフの時代にはそれぞれその情勢にそぐつた棋士が登場した、といつた具合である。あるいはフラワー・ムーヴメントの時代にはそれらしい棋士が Grand Champion になつてゐる、とかね。
囲碁や将棋の棋士にもかういふことつてあるのかな。たとへば田中角栄が総理大臣だつたころにはそれらしき棋士が活躍してゐた、とか。さういふ評論みたやうなものつてあるんだらうか。

内容はすぐに棋譜解説のやうな状態になる。
最初、チェスの棋譜の見方がさつぱりわからなくて閉口したが、三つも見てるとだんだんわかつてくるんだな、これが。
わかつた時の「ちやりらりら〜」感、すなはち「雅亮のレヴェルが一つあがつた」感はこたへられない。

そんなわけで、もうさつぱりわかつてゐないのだが、結構楽しく読んでゐる。
ちよつとでも興味がある向きには是非手にとつていただきたい。

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Tuesday, 11 January 2005

好きつていふのはむづかしいのよ

中野翠をもうせん追ひかけてゐる。
多分、最初の本が出版されてからずつと。
確か林真理子の「ルンルンを買って云々」といふ題名の本とほぼ同時期に発売されたと記憶してゐる。
こんなとことは書きたかないが、おそらく林真理子の方が人気があつたのだらう。
だがやつがれは絶対中野翠派だつた。
惚れたのはれたのといつた話にさほど興味がなかつたからだらう。

だといふのに、今回はまだ毎年年末に出る中野翠の本を入手できてゐない。
なぜか最寄り駅にある大型書店の支店は中野翠に冷たいらしく、毎回「そろそろ出てゐるだらう」と思つていつてもおいてないことが多い。少しはなれた駅の書店に行けば並んでゐるにもかかはらず、である。

……考へてみれば、amazon で買ふつていふ手もあるよな、と思ひつつも、本屋に行つてみたところ。
「我楽多じまん」といふ本を見つけた。
その前に立つてゐるのもはづかしいやうな本棚に並んでゐて、チトどうしやうかとも思つたが、そこは好きになつた方が負けだといふので我慢した。

「我楽多じまん」は中野翠が収集した antique などを紹介した本である。antique といつても必ずしも高価なものばかりではなく、著者が愛してやまぬものが掲載されてゐる。

残念乍らやつがれはあまり長いことひとつのものに執着するといふことがないので、そこらへんの感覚を心から理解できてゐるとはいへないのだが、たとへばこけしやモール人形を愛する気持ちといふのは読んでゐて楽しいものである。

weblog なんぞを続けてゐると、自分が好きなものについて書くつてむづかしいな、と思ふ時が多い。嫌いなもの・いやなものについてはいくらでも書けるのに、好きなものについてはなかなかうまく書けない。書いても書いても「これつて読み手につたはるのかな」と不安になる。

もつと好きなもののことを書かう。書けるやうになりたい。
そんな気分にさせられた。

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Monday, 10 January 2005

手芸屋詣で

昨日、手芸屋詣でをしてきた。

今月中に閉店するといふ手芸屋で散財。
Puppy の ミラノツィードの Col.801 をあるだけ買い占める。といつても二玉だけだけど。
この機会にといふので輪針も何本かそろへる。
それから DHC の Special Dantelle を残つてゐる中で気に入つた色を購入。
Anchor の 8番段染め糸も四つ。
店頭で見かけてよかつたので、小さながま口用の口金を二つ。ビーズ編込んでかぎ針編みのがま口を作る予定。

そんなわけで、かなり購入してしまつた。毛糸が少ないからそんな気はしないけれども、レース糸(あるいはレースに使ふ糸)を十四も買つてしまつたからなあ。

閉店の売り出しは先月からはじまつてゐたので、もうめぼしいものはないだらうと思つてゐたが、あみものといとふ観点から見るとまだまだ残つてゐるやうに見受けられる。
この理由は、
 一 閉店セールにしてはまだ値段設定が高すぎる
 二 そもそもあみものなんてする人が少ない
のどちらだらうか……。

この分だと、閉店ぎりぎりにもう一度行つてるやうな気がするな。

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Sunday, 09 January 2005

大河ドラマ見ちやつたよ

「平幹が出る回だけ見〜やうつと」
と思つてゐた今年の大河ドラマ。
なんと初回から登場するといふではないか。

といふわけで見る。
冒頭、鵯越のさかおとしからはじまる。
一瞬、「を、今年は行けるか」と思つたのも束の間。
主人公が一聲発した時に「ああ、ダメだこりや」と目を(耳を?)覆ふ始末。
世の中には時代物には時代物の発聲といふのがあるのだといふことを、たれか教へてやつてくれ。ひよつとしてあの聲で一年やつていくつもりか? 耳が悪いのか? 悪いんだらうなあ……。

同じことは清盛にもいへる。
あの年になつてわからないんだから、仕方ないよなあ。

鵯越のさかおとしの場面も、気のせゐかもしれないが、なんだか余分な CG めいた演出があつてよろしくない。そんなことしなくてもいいのに。
去年の大河ドラマの主題曲を聞き慣れてしまつた耳には今年のは「あー、なんか、大河ドラマの主題曲つていつつもこんな感じだよねえ。退屈」といつた感じ。逆に大河ドラマらしくていい、といふ云ひ方もできるとは思ふがどうか。

まあ愚痴はこのくらゐにして。
常磐御前はうつくしくてよかつた。しかしそれよりも赤子・牛若のあの子っっ。か、かはいいっっ。かはいすぎる。うーん、もう出てこないのかなあ。赤ちやんばかり見てゐる一時間であつたことよ。よく見つけてきたなあ。感心することしきり。
また、こども・牛若。ひよつとしてこの後おとな・牛若(つてーか義経)になつてからギャップに苦しむやうになるのではないかとちよつと不安になる。いや、まあ見なければいいつて? さうなんですけどさ。

義朝、出番これだけなんだらうか。もつたいないなあ。もつたいないお化けが出るんではないかといふいきほひである。

白石加代子。ひとりで濃い。濃すぎる。渡哲也、ついてこられてませんからっっ。ちよつと手加減をしないとダメなんでは? ついてこられない方が悪いのか? むう。まあさうかもしれない。もうどうしやうもない時は「ま、白石加代子が出てるから、いつか」つてな感じで見られるといふ利点は確かにある。

小松殿は勝村政信かあ。ひよつとして適役あたり役?

そして、平幹二郎。
ほんの一瞬の登場ではあつたが、期待以上のよさ。今後の展開場面で剃髪後の姿も一瞬出たが、これがまたいいんだ。目がぎよろりと動くんだけど、もうそれだけで視線釘付けといつたところ。
また、今後の展開場面といへば美輪明宏。うーん、やつぱり見ちやはうかなあ。きつとこども・牛若といつしょに出るんだらうし、これは楽しめるかもしれない。

といふわけで。
「義経」、主役まはりは例によつて例のごとくであるが、それ意外のところから目がはなせないといふ、大河ドラマのお約束をきつちりまもつたドラマと見た。

とにかく平幹。何をおいても平幹。

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Saturday, 08 January 2005

ミトン顛末記

_Magnificent Mittens_ といふ本がある。
その名のとほり、magnificent な mittens がてんこもりの編み物の本だ。
特徴は、cuff にある。
普通、ミトンや手袋は手首の部分がゴム編みになつてゐる。ガーター編みやかのこ編みのものもあるが、少ない。ゴム編みだと手首の部分がぴつたりくるので、風が入りにくいといふ利点がある。

ところが magnificent な mittens はちがふ。
手首の部分が裾のひろがつたスカートのやうになつてゐるのである。そして、服の袖をすつぽり覆ふのだ。
どんなんぢや、といふ向きには是非、上のアンカをクリックしてほんの表紙を御覧いただきたい。

こんなミトン、はじめてみたよ。

最初に本を見た時の感想である。

いや〜、編み気をそそられるのそそられないのつて。
そんなわけで、去年の暮れに挑戦してみたのだが。

編込み模様なんだよねー、基本的に(>_<) 。
すでにほどくこと一度ならず。
「もうあきらめやうかな」と思つてゐたところ。

編込み模様の帽子がそれなりにできたのに気をよくして、今日またほどいて編み始めてみた。
♯もうほどいた回数は数へないことにした。賢明である。

だが。
やはりかんたんではなかつた。

このミトン、手の先から編み始める。
ほぼ編みはじめから編込み模様が入つてゐるのだが、これがむづかしい。
編みはじめなので編み地は小さい。そこへ模様を編込む。
ヲ、ヲレにはできん……。

結局。
そのまま編み進めてゐる。いや、編み上がつた後で洗つたらなんとかなるんぢやないかな、といふ期待をこめて、な。
ある程度大きくなつて以降の編み地は、ほどく前よりはましなことだし。

しかし、寒いうちに仕上がるかどうかは謎。

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Friday, 07 January 2005

早速撤回?

どうやら「その日のうちに寝る」は二月いつぱいまでは達成不可能になつてきた。
家に帰つてくるのがその日のうちギリギリくらゐになるだらうからだ。

といふわけで、これも既に日付変更線を越えてから打つてゐる。

問題はこれが悪循環になつてゐることだ。

就寝時間が遅くなる→睡眠時間が減る→日中効率がさがる→暗くならないと本調子にならない→帰宅する時間が遅くなる→最初に戻る

以下、無限ループ。

このループを断ち切るには、「就寝時間を早くする」しかないと思ふのだが、平日はこれがなかなかむづかしい。
三連休を使つてなんとかしたい。

……とか云ひながらチャットの予定が。
嗚呼(T-T) 。

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Thursday, 06 January 2005

眠りたい病

今年の目標は「規則正しい生活をする」である。
「その日のうちに寝る」「睡眠時間をたつぷり取る」の二つは最低限実行したい。

さう思つてゐたはずなのだが。
今年に入つてから、その日のうちに寝たことがない。
いや、もう長いことその日のうちに寝たことなんてない。

三年手帳を見てゐると、去年の今頃は毎日のやうに午前さまだつたことが書かれてゐる。
土日の休みもなく、あつてもどちらか一日で、毎日どんなにがんばつても三時間くらゐしか睡眠時間がとれなかつた。

しかし、手帳を見ると、それなりに読書もしてゐるし、あみものもしてゐる。読んだ本と作つたものを記録してあるのでわかる。
いつたいどこからそんな時間を捻出してゐたのか、我ながらふしぎである。

多分、仕事に負けたくないと思つてゐたんだらうなあ、と思ふ。
この頃、「働かされてゐる」と思ひながら働いてゐた、と先月二十八日のエントリで書いた。
その一方で、「こんなことで本を読まなくなつたりあみものをしなくなつたりなんてなことになりたくない」と思つてたんだらうなあ。
バカだなあ。その時間、寝てればよかつたのに。

そんなわけで、睡眠時間を削ることばかり覚えてしまつたのだらう。
いかんなあ。

ああ、今日ももう寝なきや。
つてすでに日付変更線を越えちまつたよ。とほほ。

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Wednesday, 05 January 2005

その後のほぼ日手帳

正月一日からほぼ日手帳を使つてゐる。
昨年のうちにタティングレースのモチーフなんぞをカバー・オン・カバーにはさみこんで「自分の手帳」感を高めたのがよかつたのだらう。開いて書き込むのが楽しみで仕方がない。
まだ使ひはじめたばかりだから開いて読むのが楽しみ、といふところまではいかないが、半年もすれば読み返す楽しみも出てくるだらう。

使ひ方は今のところ以下のとほりである。
・予定は月間予定欄に書き込む
・朝起きた時間をその日のページの時刻欄に書き込む
・職場に着いたらその日のページに ToDo を書き込む
・時刻欄の横を日記代はりに使ふ
・夜就寝時間をその日のページの時刻欄に書き込む

ToDo は思ひついたらその場でも書いてゐる。だいたい朝は早めに職場に着くので、主に朝書くことが多い。午前中は頭がぼ〜つとしがちなのでちやうどいいかもしれない。

ところでほぼ日手帳、開いて手のひらにおいたときの感じがとてもいい。やつがれは相当手の小さい方なのだが、持つた時に安定感がある。
たまんないね。

ちなみに……かういふこと、書くと反感買ふのか知らん……起床時間等は普通にその時手元にある萬年筆で書き込んで、日誌欄はペリカーノフューチャーで書いてゐる。やつがれのペリカーノフューチャーは書き味がちよつとかたいので細かく書くのに向いてゐるからだ。月間予定欄は手帳についてきたボールペンで書く。

人間後ろ向きに出来てゐるからだらう、日記として使用できるといふあたりが気に入つた理由かもしれない。

その他、あひかはらず「超」整理手帳も使つてゐるし、QuoVadisも使つてゐる。最近、「超」整理手帳と QuoVadis の地位が自分の中で入れ替はりつつある。
でも A4 用紙をコンパクトに持ち歩けるといふので「超」整理手帳は手放せないのだが。
ま、それは次回の講釈で。

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Tuesday, 04 January 2005

ほめて育てるといふこと

今は「ほめて育てる」のが主流なのだと思はれる。
人材を育てたいならほめること。ほめねば人は育たぬ。
そんな風潮すらある。

かつては、「ほめて育てる」なんてことは皆無だつた。
みなみな師匠からけなされて、兄弟子から馬鹿にされて育つた。
けなされればいい方だつた。
「見て覚えろ」と云はれて、何も教へてくれない師匠ばかりだつた。

いつの時代の話をしてゐるのか、と問ふ向きもあらう。
実際やつがれもそんな時代のことをよく知つてゐるわけではない。
それに、そんな状態に身をおけるとはとてもではないが思へない。

おそらく、脱落していつた人も多かつたらう。
ほめられて育てば大成した人もゐたかもしれない。

だが、そんな中でちやんと成功した人もゐるわけだ。

当時はそれが当然だつたからだらうか。

やつがれにはさうは思へない。

けなして馬鹿にして無視して育てるその場合、育てられる側の自我が必要だ。
そして、師弟間の信頼関係が大事になる。

さう、おそらく、師弟間にしつかりとした信頼関係さへあれば、ほめて育てる必要などないのだ。
ほめて育てるといふことは、この信頼関係を築く手間を惜しんでゐる。さういふことなのではないだらうか。

さう考へると「ほめて育てる」といふのは実にお手軽なことに思へるのだが如何に。

まあ逆にいへば師匠たる資格のない人間が他人に教へる必要があるのが当世だ、といふ話もあるのだがね。

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Monday, 03 January 2005

新年なので

正月なので。
といふわけでもないのだが、iBook で使用する Web ブラウザとメイラをかへてみることにした。
これまで Safari と Mail を使つてきたが、これといつて不満はなかつた。
といふより、やつがれ、あまりアプリケーションに不満を覚えないたちである。かういふ姿勢つてよくないよね。世の中、「オープンソース」だなんだと騒がしいが、やつがれのやうなユーザが一番たちが悪い。なんの貢献もできないタイプだからだ。
♯とか云ひながら WinCVS、なんとかならんのか。
♯このやつがれが使つてゐて苛つくなんて滅多にないことである。

Safari はバグだらけときかされてゐたが、特に困つたことはなかつた。日本語のページが文字化けで表示されることはあつたけれども、文字コードに正しいものを選択すれば読めた。そのうち「この文字化けは Shift-JIS」「この文字化けは EUC」と即正しい文字コードを判別できるやうになつた。「雅亮のレヴェルがあがつた」、すなはちちやりらりら〜な気分になつた。これはこれで喜ばしいことだと思ふ。これを「バグだ」と怒る気にはならなかつた。

Mail にはもつと不満はなかつた。これまで gnus を使つてきて、これにもそれほど不満はなかつたが、どうにも「なぜかうなるのか」わからない部分が多かつたのでそのまま使つてゐた。これまたこれからの時代になんの貢献もできないユーザの姿である。
ただ、わからない部分が多いにもかかはらず、gnus は自由度が高かつたし、フィルタのかけかたも楽だつた。すべて自分で打ち込む必要があるのだが、一度設定してしまへば済む話である。
だが、gnus でどうしてもわからなかつたのは、マルチアカウントで使ふ時の方法だつた。ひよつとしたらマルチアカウントに対応してゐないのではないかと思つたが、あちこち検索して歩いて、結局手動でアカウントを切り替へて使ふやうにしてゐた。
Mail では肝心のマルチアカウント設定は数多あるメイラと同じやうなものだつたのであつといふ間にできてしまつた。フィルタ(Mail では「ルール」)の設定はやつかいだつたが、「迷惑メール」フィルタには学習機能があつてこれはなかなか便利である。

そんなわけで、Safari & Mail でこのまま行くかとも思つたが。
まあ職場でも FireFox 使つてるし、Opera もいいかも、など目移りしたのだつた。
Opera はキーボードだけで操作できることが多くて好きなのだが、製品版を使用しない場合、iBook の小さな画面には向かないだらう。それに、Windows でさんざん使つてはきたものの、メイル部分の設定がうまくいつた試しがなかつた。
FireFox は前述のとほり職場でも使つてゐるし、いいかな、と。んでメイラは Thunderbird でどうかな、と。

問題は、デフォルトのブラウザとメイラを切り替へる時にやつてきた。
システム環境設定から変更するわけではない、といふのがまづ衝撃。MacOSX 10.3以降はデフォルトのブラウザは Safari の環境設定から、メイラは Mail の環境設定から変へるんださうな。
知らなかつたよ。
そんなわけで Safari も Mail も使はなくなつても削除しないやうに、と書いてあつた。
……なんだかどこかで聞いたやうな文句だなあ。

いづれにせよ、FireFox & Thunderbird で早三日、すでにすつかり馴染んでゐる。
FireFox に文句があるとしたら、我が家がナロウバンドのせゐかもしれないが、タブを三つも開けて全部でつなぎに行くと切れがちつてなところだらうか。Safari の時はそんなに切れた記憶がないのだが。それとも Safari の時はそんなに無理をさせなかつたといふだけだらうか。
さうかな。さうかも。

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Sunday, 02 January 2005

悪態の初音

毎年正月といふと、元日にニューイヤー駅伝と天皇杯、二日・三日は箱根駅伝をTVで見るのが常なのであるが。

別段、駅伝が好きといふわけではない。その他の番組、とくにヴァラエティ番組といはれる一連の番組を見るよりはまし、といつたところか。

しかし、特にここ十余年くらゐは、箱根駅伝になんとなく違和感を抱いてゐる。
自分ではなぜだかわからなかつた。
今日、こちらの weblog を拝見してゐて、「ああ、さういふことなのかなあ」と目の前が開ける気がした。

いつたいスポーツの選手といふものは、ちやほやされるものであるらしい。
去年プロ野球の球団から「お小遣ひ」などとて金銭を渡されるアマチュア選手のことが話題になつたが、おそらくもらつてゐる方は、それが特別なことだとは思つてゐなかつたのではないかといふ気がしてゐる。
視野狭窄、と、せんすさんの weblog には書かれてゐるが、多分さうなのだらう。幼い頃から野球だけ蹴球だけ走るだけの生活で、それをしてさへゐれば褒められる生活を送つてゐると、自然とさうなるのだらうことは、容易に想像がつく。

それはスポーツに限らないのかもしれない。勉強のできる子は勉強が、絵のうまい子は絵が、ピアノのうまい子はピアノが、スポーツにとつてかはるのかもしれない。
だが、勉強ができるプロといふのは存在しないし、絵やピアノには存在するが、スポーツのやうにマスメディアにとりあげられる例は少ない。

だが、所詮はスポーツである。たかが野球、たかが蹴球、たかが駅伝である。

さう考へると、みづからの子供にスポーツをすすめるのはどうかといふ気もしてくる。
心身を鍛えるためならよからう。だが、世間を知らせないのは子供のためにはならない。親も一緒になつて世間をせばめては、家族のためにもならない。

……などと書きながら、「考へてみたら、自分は世間を知らないなあ」といふことに思ひ至つた。

人を呪はば穴二つとか。

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初春芝居

開場後しばらくしてから歌舞伎座に着いた。
正月気分とでもいふのだらうか、客も松竹の従業員も役者の奥方たちも、なんとはなしにのんびりのほほんとした雰囲気を楽しんでゐる。
いつもなら開演まで気の急くことが多いのだが、今日ばかりは時間のたつのも忘れてぼんやりとロビーと客席を行き来した。

感想は例によつて sotto voce に速報で載せてゐるが……

ちよこつと書くと、今回座つた座席は一階席上手寄りの二等席で、通路際だつた。隣は六席ほどまるごとあいてゐた。
と、書くと、おわかりになる方にはすぐ合点が行くだらう。
さう、役者の奥方・御令息・御令嬢方が入れ替はり立ち代はりやつてくる席なのである。

初春興行ではしばしばかういふことがあつて、今までも中村鴈治郎夫人・扇千景が隣の隣、中村翫雀夫人が隣、中村扇雀夫人が隣の隣の隣、といふことや、中村時蔵夫人と御令息が隣に、といふこともあつた。目の前が波野久里子なんてなことも二度ほどあつた。

今日は、隣の隣に中村福助夫人、隣に同御令嬢で「石切梶原」を見た。
先月、松嶋屋で見た時はさはやかな青年・梶原平三だつたが、今日播磨屋で見た梶原平三は酸いも甘いも噛み分けた大人といつた趣で、「いやはや、おもしろいのう」といつたところ。いづれも甲乙つけ難い。
こんな風に楽しめるのが芝居のいいところぢやのう。まつこと、おもしろきことおもしろきこと。

さて。
そんな春風駘蕩とした気分で歌舞伎座を後にしてみたらこはいかに。
世の中には正月気分なんぞどこ吹く風、道行く人はみなせかせかがつがつしてゐる。福袋を求める人の姿が餓鬼のやうに見えるのだらうか。
一体どうしたことだらう。

もう「正月気分」なんぞといふものは、芝居小屋にしか存在しないのかもしれない。
そんな気のする年の初めであつた。

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Saturday, 01 January 2005

謹賀新年

新年早々、MacOS X についてきた Chess のコンピュータ対コンピュータ対決を楽しむ。
この Chess、指し手を読み上げてくれるのがまたいい。

チェスの対局を見るのははじめてのやうな気がする。
ここでも将棋の対局を見て見て見続けてゐる経験が生きる。
コンピュータ同士の対局なのだが、一手一手に「なるほど」「あ、それぢやダメぢやん」と思へるのだから。
それにしても「ステイルメイト」つてちよつと馴染まない考へ方なんだけど。

そんなわけで、年末ギリギリに本を注文した。
昨日届いたその本は小野田博一著「チェス 入門から上達まで」である。

しかしこの本を買つたのは Chess が理由なわけではない。
カスパロフの著作で大変おもしろいものがある、と聞いたのが発端であつた。題名からいつて、カスパロフから見た過去のワールドチャンピオンの話が載つてゐると思ふのだが、これが名著であるらしいのだ。

とはいへ、チェスなんぞまつたくわからないやつがれが読んでおもしろいのだらうか。
最初はさう思つた。
だが、amazon によれば届くまでに八日以上かかるとある。
それまでに少しチェスの知識を仕入れれば、それなりに読めるのではなからうか。

わかつてゐる。そんなこと、カスパロフに対しても話題にあがる過去のチャンピオンたちに対しても、そして何よりチェスに親しむ数多の人々に対しても、不遜この上ない姿勢であらう。

だが、読んでみたいといふ気持ちが勝つた。あのカスパロフの書いた(であらう)本である。一度は読んでみたいではないか。

そんなわけで付け焼き刃承知で少しチェスの入門書を読んでみることにしたのであつた。

カスパロフの本を注文したところ、「おすすめ商品」や「リストマニア」にチェス関連の書籍が表示されるやうになつた。その中から選んだのが上記の本である。

その他にも、チェスの入門書にはおもしろさうな題名のものが多い。
たとへば _How to Beat Your Dad at Chess_ なんてそのままでなかなかいいではないか。囲碁や将棋にも似たやうな題名の本があるのだらうか。「お父さんに囲碁で勝つ本」とか「お父さんを将棋で負かす本」とか。あればいいのに。
このままはまるやうなことになつたら次から次へと本を買つてしまふかもしれない。

ヤバし。

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