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Sunday, 26 December 2004

さよなら勘九郎

観客総立ち。
歌舞伎座でははじめて体験したかもしれない。

今、歌舞伎界で勘九郎に意見する人はほぼゐないのだらう。
渡辺えり子が演出すると聞いて、最初に思つたのはそんなことだつた。

野田秀樹に続いて渡辺えり子。松尾スズキが出る日もさう遠いことではないかもしれない。

それはさておき。

過去の日誌なんぞをご覧いただけるとおわかりになると思ふのだが、中村屋に対してかなり辛辣な方である。
中村屋には役者に必要な「バランス感覚」に欠けるところがある。「ガラスの仮面」ではさういふ役者のことを「舞台荒らし」と呼んでゐる。
中村屋の場合、荒らすのは他の役者が主役をつとめる舞台だけではない。みづからの舞台すら荒らしてしまふ。おそらく、歯止めのきかない性分なのであらう。走り出したらだーっっと行かないと気が済まない性質と見ゆる。

だが、抑制のきいてゐる時の中村屋のすばらしさは……かういふことを書いてはいけないのかもしれないが……筆舌に尽くし難い。
これが同じ役者とは思へないほどの変貌ぶりだ。
そして、これがあるから中村屋を見ずにはゐられないのである。

えうするに、中村屋が好きなわけだ。

とはいふものの、どうやら中村屋の贔屓は、中村屋のバランス感覚のなさを愛してゐるやうに見受けられる。あるいは真の中村屋贔屓とはさうした人々のことを云ふのかもしれない。
つまりやつがれは中村屋贔屓としては邪道といふことだ。うむ。さうだらうな。

ところで、「野田版・研ぎ辰の討たれ」については初演当時かなり酷評が多かつた。特にいはゆる歌舞伎好きからは「あんなの歌舞伎ぢやないよ」といふ意見が圧倒的だつたやうに思ふ。
だが、やつがれはさうは思はなかつた。
かつて、本家本元木村錦花の「研ぎ辰の討たれ」を中村屋がやつた時は「バランス感覚のなさ」が表に出てしまつてとても見られたものではなかつた。
だが「野田版」はどうだらう。確かに中村屋も年を経て本家本元当時よりはよくなつたのかもしれない(しかし「バランス感覚のなさ」といふものは往々にして年を経るにつれてひどくなるもののやうな気もする)。
「野田版」は中村屋のさうした欠点が魅力にかはるやうな出来だつたと思ふ。さう、「バランス感覚のなさ」は一方でまた中村屋の魅力でもあるわけだ。

演出家にはわかつてゐる。

さう思ひながら「今昔桃太郎」を見た。

まづ中村屋の衣装に目を引かれる。パッチワークのやうなかわいい衣装だ。色合ひもカントリーな感じで、だが数多のカントリー風パッチワークのやうな「田舎臭さ」はみじんもない。これがまた中村屋に似合ふのである。
そして、物語半ばの踊り。まさか中村屋で「連獅子」の子獅子をまた見られることがあらうとは思つてもみなかつた。

勘三朗を襲名すると、ますます向かふところ敵無しといつた状態になるだらう。
そんな時、たまに演出家を起用してみるといいのかもしれない。
中村屋のすることだ。たれも文句など云はぬにちがひない。

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